閑話 「アリア・アルレイン・ノート」 「純白の貴公子」

「成る程。寮母……ということでしたか」

「……納得したわ」

「なんか驚かせちゃって、ごめんなさいね? その怒らせちゃったかしら?」

「いえ。納得出来たので大丈夫です。……では、お嬢。帰りましょうか」

「ええ、そうね。カリエ」

「ええっ!? そんなに!? そんなに怒る所だった!?」

 がっし、っとカリエの服を掴む女性だが、ここに至れば事情は変わってくる。

「帰るわよ、カリエ。全力でここから離れるわ」

「分かりました。……ちょっと放してください、主人が呼んでますので」

「なんでー!? 結局、まだお礼も何もしてないのに!!」

「お礼をしたいと言うのなら、今、私の服を放して下さい。それで十分ありがたいです」

「待ってー! ゆっくり、ゆっくり、指を離さないでーっ!!」

「……よしっ。外れ――ひゃんっ!? っ!? ちょっと、どこを掴んでいるんですか!!」

「お願いよー!! 少しだけで良いから、寄っていって頂戴!! 最近は女の子と話す機会が無いんだから!!」

 組んず解れつしている二人の会話を聞き流しながら、私は酷い焦燥感を感じていた。

 ここは『リーネ大学 男子学生寮』という所らしい。

 ――ならば。

「……ちょっと、カリエ!! 急ぎなさい!!」

「ええ、分かっていますっ!! ただ、この人が離してく――っぁん。……っ!?!? だから、そこはダメって言ってっ!?」

「へぇー? カリエちゃん、かなり敏感なんだね」

「へっ……? いやッ!! 止め――」

「――貴方たちっ!! 何をしてるの!! 離れなさいっ!!」

 叫びながら私は、手つきを怪しいものに変えた女性とカリエの間に割って入り、二人を強引に引きはがした。

「うわっ!? お嬢ちゃんっ、力強っ!?」

「お嬢っ!! ありがとうございますっ!!」

「良いから行くわよ、カリエ!! ここが『男子学生寮』だと言うのなら、いつ『彼ナリカネノゾム』が来てもおかしくないんだから!!」

 私はそう言いながら、カリエの手を取り、立たせて、この場から離れようとする。

 でも、そんな私の行動が完遂されるより――

「ん? ナリカネ ノゾム君? って、あのノワールちゃんの飼い主の?」

 ――引きはがした女性の声が私の耳に届く方が先だった。

「……知っているのね?」

「うん。つい最近、出ていっちゃったけど、ここに住んでた子だからね」

 そう言うと、彼女は膝を軽くはたきながら立ち上がった。

「……出ていった?」

「そうそう。お引っ越しでね。でも、ノゾム君も隅に置けないなー。あんなに可愛い子と一緒に住みながら、こんな可愛い子とも知り合いなんて」

 やっぱり、何か怪しいことに手を出しているのかしら――、なんて呟いている彼女の言葉は、私の耳にやたらと残った。

「……今、なんて言ったのかしら?」

「ん? ノゾム君が隅に置けないっていう話を――」

「その後よっ!!」

 私がそう叫ぶと女性は一瞬、瞳をぱちくりさせた後。

「し・り・た・い?」

 んふー、と鼻を広げるような、小憎らしい表情でそう言った。

「……何かしら? その顔は?」

「私としても是非是非教えてあげたいんだけどねー。ゆっくりと……ご飯でも食べながら」

 ウィンクを決めながら、そういう女性。

「……」

「……」

 そうして、私たちはしばらく見つめ合った。

「……お嬢? 何をしているんですか? 駄目ですよ? 帰りましょう? 他の何は良くても、この人だけは駄目ですよ? さっき私は確認しました。この人は変態です。近寄っちゃ駄目な人ですから」

「……カリエ。虎穴に入らずんば、という言葉があるわ」

「お嬢っ!?」


 結果から言うのなら、私たちの夕食は女性の手作りカレーだった。



「……ふぅ。ご馳走様。食べたことの無い味だったわね」

「……お嬢に……カレーを……しかもこんな……庶民の味を……」

「気に入って貰えたみたいで、嬉しいわ」

「美味しかったとは言ってないわ。具材の大きさからしてバラバラだったし、味だって、雑味が酷いし」

「うぅっ!! なんて素直な意見っ!!」

「……まぁ、食べれない味では無かったけれど」

「……何かしら。新しい世界に目覚めそうだわ」

「お嬢っ!! 急いで離れて下さいっ!!」

「いや、貴方が守りなさいよ。護衛でしょう」

「……くっ。かかってきなさい、変態。でも、仮に私を倒せたとしても、体は自由に出来ても、心は自由に出来ませんからね!!」

「……どうしてそんなに震えているのかしら? 流石の私だって傷付くわよ」

「貴方も何を落ち込んでいるのよ。自分の行動が原因でしょうに」

「久しぶりの女の子とのコミュニケーションで、テンションが上がってしまっただけなのよ。カリエちゃん。謝るから、その武装を解いて頂戴」

「嫌です」

「うぅ……。信用を失うってこんなに辛いことなのね。ノゾム君もこんな気持ちだったのかしら」

 そうやって呆れながら、よよよ、と崩れる女性を視界に収めつつ、私は思う。

 彼女から聞いた『彼ナリカネノゾム』の話を。


 曰く――

 一、ナリカネ ノゾムは生粋の変態であり、少女に自らを運ばせることに快感を覚える人間である。

 二、ナリカネ ノゾムの変態性はそれだけでは留まらず、夜な夜な少女を部屋に連れ込み、怪しげな儀式をしている。

 三、頭の上にいる、いつもフードを被っている生き物は、儀式によって生み出された怪生物であり、その醜さ故にフードを取れない。

 四、彼の変態性は寮外にまで及び、かの儀式の素材として、夜な夜な女性の下着を盗んでいるのだった。

 五、それはデマであったが、そのデマを流した三〇四号室の奴は、復讐として女性の下着だけを身に着けた状態で留置所へ送られた。

 六、あの不良のナンバですら、ナリカネ ノゾムの舎弟らしい。


 ――とのことだった。

「……私は、本当に何も知らなかったのね」

 まぁ一応、これらは全て噂らしいが、そのような噂が立つだけでも、『彼』の異常性が垣間見えるだろう。

「……お嬢。やっぱり『勇国』へ帰りませんか? 『賢国このくに』はもう駄目ですよ。変態しかいません」

「……本当。なんでこんな相手に振り回されてるのかしら、私」

 カリエの言葉を聞いて、ちょっと頷いた私だが、その行動は少し迂闊なモノだった。

「ん? お嬢ちゃんは、ノゾム君に何かされたの?」

 ――ばっちりと、その発言を女性に拾われてしまったからだ。

「……貴方には関係ないわ」

「酷いなー。一緒に同じ釜の飯を食べた仲じゃない」

「半ば無理やりだったわよね?」

「えー? なんだかんだで、お米一粒も残さず食べてるから、お嬢ちゃんだって満更じゃなかったんでしょう? 良いじゃない、教えてよー。最近、ガールズトークしてないから、聞きたいのよー。そういう話」

 そう言うと、駄々っ子のように転がる女性。

 いい年だと思うのだけれど、恥ずかしくは無いのかしら?

 ……なんだろう。

 この女性を見ていると、なんで自分がこんなに悩んでいたのかが分からなくなってくる。

「……貴方は悩みが無さそうで良いわよね」

「そんなことは無いわよー? こう見えて、数々の修羅場を潜り抜けてきた実績があるからね、私」

「へぇ。実績ねぇ」

「あらっ! 信じてないわね? 本当よっ! 離婚届を出してきた旦那を泣き落として、何故か旅行の約束を取り付けるくらいには出来る女なんだから!!」

 自信満々という風情で、胸を張る彼女。

「だから、話してみなさいな。頼りになるわよー? わたし―?」

 ばっちこーい――、なんて頭の悪そうなことを言いながら、彼女は私に話を促した。

「……まぁ、良いわ。そんなに言うなら話してあげる」

「本当っ!! お姉さん嬉しいわーっ!!」

 ――そんな彼女を見て、私はなんだか、思い悩むのが馬鹿らしく思えてきた。

「……何かされたというより、私がしたのよ」

 そうして、私は話した。

 私と『彼』の出会いから、今日の出来事まで。



「……王女様って本当?」

 最初は楽しそうにニコニコと聞いていた彼女だったけれど、話しが終わる頃には正座して、顔を引き攣らせ、そっぽを向きながらそう聞いてきたのだった。

「まず、そこなのね。本当よ」

「大変失礼致しましたー!!」

 そして、私の言葉を聞いた瞬間、彼女は流れるように頭を下げる。

「悪気があった訳じゃないんですーっ!! ご容赦をっ!! ご容赦をーっ!!」

「……いっそ、清々しいわね。良いから頭を上げなさい」

「うぅ……。久しぶりの女の子との会話にテンションが上がっただけなんです。本当に、本当に、ご容赦を……っ!!」

「分かったから、顔を上げなさいな」

「……怒ってませんか?」

「怒るならとっくの昔に手打にしてるわ」

「ふぅ……良かったぁ」

 胸を撫で下ろしながら、そう言う彼女。

「……で、どう思ったのかしら?」

「いえいえ。『第二王女』であらせられます、アリア様に落ち度は無いかと。……悪いのは全部、ノゾムとか言う庶民かと思います」

「……嘘をつくにしても、せめてこっちの目を見ながら言いなさいな」

「嘘なんてそんな。恐れ多い」

 悪魔で、こちらを見ずに冷や汗をかきながら、言葉を続ける彼女。

 私はそんな彼女をしばらく見ていたが、彼女は明後日の方向を見続けるだけだった。

「……もう良いわ」

 カリエ、帰るわよ――と、声をかけながら、私は立ち上がった。

 ……結局、『他国』においても。

 『第二王女』である私と、会話をしたがる物好きは居ないのだという事実を実感しながら。

「……もう、宜しいのですか、お嬢?」

「……ええ。もう、話すことは無いみたいだし」

 私がチラリと視線を送ると、彼女は困ったように笑うだけだった。

 残念だわ――、そう呟き私は背を向け、玄関へと向かう。 

 そして、私が靴を履き終わり立ち上がった。

 ――その瞬間。

 ふわっと、後ろから抱きしめられながら、優しく声をかけられた。

「『アリア』ちゃん。その悩みには、誰かの答えを求めちゃ駄目よ。自分でしっかり考えなさい。そして、苦しくても、辛くても、目を背けちゃ駄目。ゆっくりでもいいから、ちゃんと向き合いなさい。――どうして、胸が痛むのか。貴方は『彼』をどう思っているのか」

 私は振り向こうとしたけれど、それは私を抱きしめている腕によって、やんわりと止められた。

 そうして、言葉は紡がれる。

「大丈夫よ。女の子なら、誰でも一度は経験するものだから。……どうしても苦しくなったら、また『カレー』でも食べにいらっしゃい」

 そして。

 腕は解かれ、私は優しく背中を押された。

 ――振り返ると。

 彼女は『してやったり』という笑顔と共に、片手をひらひらと振っていた。

 バタンッ。

 やがて。

 そんな彼女を残して扉は閉まった。

「……やられたわ。なんというか異常に悔しいわね」

「……何かあったのですか? お嬢?」

「白々しいわよ、カリエ。貴方なら彼女が抱き着く前に止めれたでしょうに」

「……何のことでしょうか? 私は前方を警戒していたので、わかりかねますが」

 明後日の方向を向いて、吹けもしない口笛を吹くカリエ。

「……まぁ、良いわ。帰りましょう、カリエ。運転手だって待ちくたびれているだろうから」

「ええ。お嬢」

 そうして、私は『男子学生寮』を後にした。


 ――背中に暖かい余韻を感じながら。



 同日。

 某時刻。

 『男子学生寮 三〇四号室』


「……これは予想外だったな。まさか、マークしていた大物が自分からここに来るなんて」

 けっして広くは無い部屋で、窓に張り付くように外を見ていた少年は小さくそう漏らした。

「出所でてきたばかりだし、暫くは大人しくしている予定だったんだが――直接見ると、予想以上に素晴らしいな」

 彼は窓から離れると、ベッドの下の木箱を取り出した。

「押収を逃れた僅かばかりのコレクションも鮮度が落ちてきているし――」

 そう言いながら、彼は木箱を開け、中から小さな布のような何かを取り出すと、おもむろにそれを被り、くぐもった声で呟く。


「――そろそろ動くか」


 幸か不幸か。

 その狂気を孕んだ少年の声は、誰の耳にも届くこともなかった。

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