第73話 「徒然なるままに」

 そんなこんなで、『勇国』の『第二王女』という名の暗殺者の入学まで、残り僅かとなった俺は――

「ノワール」

「どうしました? ご主人」

 黒猫と一緒に――

「そこのミカンを取ってくれ」

「むぅ。尻尾で持ち上げるって大分面倒くさいんですからね、ご主人」

 ――部屋でゴロゴロと寛ぎながら、平和を甘受していた。

「サンキュー。……うむ。やはり、部屋でまったりしながら食べるミカンは最強だぜ」

「なんともダメ人間の発言に聞こえますね、ご主人」

「後はテレビがあれば完璧なんだが」

「異世界にそんな物はありません」

 俺はミカンを口に運びながら、黒猫と会話を交わす。

 黒猫は机の上で丸くなりながら、くぁぁ、と欠伸を漏らしていた。

「うん? 疲れたか、ノワール?」

「そうですね、ちょっと疲れが出たかもしれません」

「寝てて良いぞ? ここしばらくは引っ越しでバタバタしてたしな。メルだってお休みだし」

「……んー。眠くはあるんですが、寝る気分じゃ無いんですよねぇ」

「なんだそりゃ」

「何でも良いので会話をしましょう、ご主人。途中で眠くなったら寝ます」

「……主人の会話を子守歌に利用するとは、随分と不届きな<スキル>だな」

「良いじゃないですか。ナイアも居ませんし、テレビも、ラジオも、ネットも、マンガも、ゲームも無いこの世界では、私が寝たらご主人だって暇でしょう?」

「んー。まぁ、そうだな」

 そんなノワールの言葉に、ミカンを口に入れながら俺は頷いた。

 ちなみにナイアは、面白そうだという理由で、賢者さんたちの戦闘訓練を見に行った。

 相変わらず、アクティブな魔王様である。

 俺は良いのかって?

 『魔王』『賢者』『指弾の魔術師』という豪華キャストが繰り出す戦闘訓練に、『魔法が当たれば、一発即死』のデメリットを抱えた人間が入り込む余地があるとでも?

「急に黙りこくってどうしたんですか? ご主人ー?」

 寝ますよー? ――とか、アホな脅しをかけながら、俺の手に尻尾をぶつけてくるノワールさん。

「止めろ、ノワール。俺には猫の毛に塗れたミカンを食べる趣味は無い」

「それなら、話題を提供するのです、ご主人」

「話題ねぇ」

「何でも良いんですよ? 最近あった面白いこととか、驚いたこととか」

「んー……」

 ノワールの尻尾をやんわりと受け止めながら、俺は考える。

 そして少しの沈黙の後で、口を開いた。

「そう言えば最近では無いけど、この世界の文明の進み具合には驚いたな」

「ん? そうなんですか?」

「ああ。だって向こうの世界では『只の中学生』程度の知識しかない俺の知識が驚かれるんだからな」

「ああ、そういう事ですか」

 俺はそう言いながら、最後のミカンを口に運ぶ。

 実際問題。

 義務教育程度の知識で、『賢者様』からチヤホヤされたのである。

 現代日本の教育は世界一ィィィィィッ!!

 ――などと素直に思えるほど、俺はおめでたい脳みそはしてなかった。

 そう考えながらミカンを咀嚼していた俺を、眠そうに細めた目で見つめながら、ノワールは口を開く。

「まぁ、仕方ないんじゃないですかね? ご主人のいた世界は西暦が二千年を超える……言い換えるなら、数千年以上の『人の歴史』があった訳ですから」

「……」

 ミカンが邪魔して、喋れない俺を無視して、ノワールは言葉を紡いでいく。

「対して、この世界で『人』が記録を始めたのは三百年前らしいですし、寧ろそれを加味すると異常な速さで文明開化していると言えるでしょう」

「……んー。そう言えばそうだな」

 ミカンを飲み込んだ俺は、そう言葉を返した。

「確かに三百年でここまでインフラ整備の整った国を作れたことを思うと、散切り頭を叩くってレベルじゃないな」

「ええ。――そう考えると、やっぱり『魔法』は凄いですねぇ」

「ああ。俺が居た世界では、苦心して編み出された技術なんかが、『魔法』であれば直ぐだもんな」

 例えば、『水道』などの現代社会が誇るべきインフラ整備は、『土魔法』によって精巧なパイプを作り、張り巡らせ、『水魔法』によって清浄な水を供給することで、すぐ出来上がってしまう。

 魔法の発動に必要なのは、『イメージ』なので、どちらも難しいことは無いだろう。

 他の技術にしたって同じようなものだ。

「まぁ、だからこそ、『原子』とかの発見が遅れているんでしょうけどね」

「そんな便利なものが有ればそりゃあ、そっちの研究ばっかりするよなぁ」

 ――とそこで、話題が『魔法』から『学問』へと移行した。

 ちなみに、この世界では『学問』といえば殆どが『魔法学』を指す。

 何故なら、学問として研究されているのが、ほぼ『魔法』だけだからだ。

 何故『魔法』だけが、他の学問と明らかに扱いが違うのかと言うと、その理由は単純で、『魔法』で出来ることを増やせば、その分だけ生活が豊かになるからである。

 『呪文』の改善点は無いか?

 『魔力』の消費を抑える方法は無いか?

 資質が無い属性を覚えることは出来ないか?

 実際にそれらの研究によって生み出された成果が、魔法石を代表とする『魔法具』であり、上記のようなインフラ整備などに利用され、人々の暮らしを豊かにしているのである。

「一応、術式への理解を深める為に、算術……まぁ、所謂いわゆる『数学』も研究はされているみたいだけどな」

「それだって、目的は『魔法』の『術式』理解の為ですし、単純な公式や方式の発展は遅れてますけどね」

「だからこそ、前の世界の『中学』までの知識しかない俺が『大学』に通えている訳だけどな」

 そういうノワールとの会話で、俺は二つの世界における『数学』の違いを考える。

 要は『目的』が違うのだ。

 俺が元いた世界では、数学とは世界の真理に近づく学問であり、実際に人は星の動きなどを計算することで、『この星せかいは丸い』『この星せかいは動いている』というような事実に気づくことが出来た。

 対して、ここ異世界における数学の目的は、効率的な術式構築の為の『魔力』の流れを数値化して、理解することである。

 例を挙げるなら、ここ異世界での数学の目的は、『火魔法ファイア・ボール』のMPの消費率を割り出すことだったりするのだ。

 そういった、そもそもの目的の違いから、数学の研究のスピードは違っているのだが――

 ――俺はそれも仕方が無いと思う。

 この世界では、全ての理が『魔法』にあると思われているようなのだから。

 神が『魔法』で世界を作りました。

 昼夜があるのはそういう風に作ったから。

 四季があるのはそういう風に作ったから。

 月や太陽の満ち欠けも、海の潮の満ち引きも。

 全てが全て、神による『魔法』でそう作られたと考えられているのが、この世界の現状だった。

 だからこそ。

 この世界のあらゆる謎を知りたがった研究者は、『魔法』の解明に全力を注ぐ。

 そこに答えがあると信じて。

「なまじ『魔法』が万能な所為で、全ての原因を『魔法』に求めてしまうんでしょうねぇ」

「……ある意味、悲劇的かもな」

 俺がそう言うと、黒猫はじっとこちらを見てきた。

「ご主人がその知識を公開すれば、この世界のそういう悲劇は回避できるわけですが……どう思います?」

 そして、こちらを試すように口を開くノワール。

「やめておくよ、ノワール。……今なら、『理事長』や『賢者さん』が止めた理由も良く分かる。『魔法』があるこの世界で『俺の知識』は危なすぎるってな」

 そんな黒猫に俺は肩をすくめながら、そう言葉を返した。

 上でもチラッと話したが、『魔法』の発動に対して必要なのは、『資質』と『イメージ』だ。

 イメージが『魔力』という不確かな『エネルギー』によって支えられ、『実現』するのが魔法である。

 だからこそ、『重力』や『引力』。

 そして『原子論』と言った新しい概念が、危険視されたのである。

 『重力』を知った存在は、その系統の魔法の『資質』さえあれば、『重力』を操ることが出来るようになる。

 そして、その魔法は『重力』を知らない存在には止めることが出来ない。

 『重力』を止める魔法の『イメージ』が出来ないからである。

「『魔法』は便利だけど、その分危険過ぎる。研究者の皆さんには悪いけれど、この世界の研究は自分たちのペースでやってもらおう」

「……ふふっ。そうですね。そもそも、知っているから教えないといけない、というルールもありませんし」

「ん。そういう事だな。……すまん、ノワール。また、ミカンを取ってくれ」

「そろそろ控えないと、ナイアの分が無くなりますよ? 神話生物と化したナイアを見るのは嫌ですからね? 私」

「後、一つだけだからさ。頼むよ、ノワール」

「……分かりましたよ、ご主人」

「サンキュー」


 そうやって。

 休日はのんびりと過ぎて行くのだった。



「妾の分のミカンが無いじゃと!?」

「……アレがラスト一個だったなら言ってくれよ、ノワール」

「私はちゃんと、『ナイアの分が無くなりますよ?』と警告した筈ですが?」

「ノゾムゥゥゥゥ!!」

「すまん!! ナイア!! 許してくれっ!!」


 形を変えて現れた『妖怪一足りない』を前に、俺はひたすら頭を下げるのだった。

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