第72話 「しかし回り込まれてしまった」

「……ふぅ。これで引っ越し作業は終わりだな」

「お疲れ様です、ご主人」

「うむ。妾の方も終わったぞい」

「……」

 理事長との話し合いから一週間後。

 俺たちは無事に大学への引っ越しを済ませていた。

「しかし、前の部屋に比べるとやっぱり狭いな」

「仕方ないですよ、ご主人。そもそもここは教員用の一人部屋なんですから」

「そう考えると寧ろ広い方よのぅ」

「……」

 荷解きなども終えた俺たちは、程よい脱力感を抱えながら、新しい部屋で寛いでいた。

 ……若干一名を覗いて。

「……メル。大丈夫か?」

「……はぃ。メルは大丈夫です」

 うん。

 それは大丈夫じゃない人の返事だぞ、メル。

「やっぱり、完全に緊張しちゃってますね、ご主人」

「ああ、この一週間の外出訓練で、なんとかここまでは来れたけど、そろそろ限界か」

「ううむ。寮を出てからずっと無言じゃったしのぅ」

「精霊であるメルにとっては、知らない場所っていうのはかなり居心地が悪いみたいだしな」

 メルの不調は俺以外の二人にも伝わっていたらしい。

 ノワールもナイアも心配そうにメルを見つめている。

「うぅ。ご心配をおかけしてすいません。その……学生寮と違って、まだこの校舎に慣れていなくて」

「……よし、メル。大学内を散策しようか」

 俺はそんな状況を打破するべく、メルにそう声をかけた。

 知らない場所だから委縮するのであれば、その場所自体を知ってしまえば良いのだ。

「散策……ですか?」

「ああ。歩き回ってこの大学の事を知れば、少しは慣れるんじゃないかなって思ってさ」

「……分かりました」

 そんな感じで、俺たちは校内探索へと乗り出したのだった。



「――っとこれで大体、回ったか?」

「そうじゃのぅ。もう主要な所は全部見たと思うのじゃ」

「どうでしたか、メル? 少しは慣れてきましたか?

「ええ、ノワールさん。なんだか、かなり気が楽に成りました」

 そうして学内をぐるっと回る頃には、ガチガチだったメルの緊張も解けたのだった。

 やはり、精霊としてはその場所を知っているというのは、大きな安心要素らしい。

「しかし、流石に休みの日だと人が居ないな」

「そうじゃのぅ。普段であれば妾たち『特進コース』以外の学生も多く見かけるもんじゃが」

「研究棟の方には、結構人がいるみたいですけどね」

「そうなんですか?」

「ええ、メル。この大学には約千名ほどの学生が通っていまして、平日になれば結構人とすれ違うんですよ」

「そうなんですねぇ」

 目的を達成した俺たちはそう話しながら、自分たちの部屋に戻ろうとしていたのだが――

「……おや、ノゾム君たちではないかのぅ」

 ――そこに声がかけられた。

「あ、理事長。お疲れ様です」

 見れば声の主は豊かな髭を蓄えた、この大学の理事長であった。

「ふむ。こんな校舎裏に来るとは珍しいのぅ? 何かあったかの?」

「いえいえ。ここに居るメルに、少し道案内をしていまして」

「ああ。成る程のぅ。そう言えば、メル君も連れてくると言うておったのぅ」

「……お世話になります」

「ほっほっほっ。ご丁寧にどうものぅ」

 そう言って、笑いながら礼を返す理事長。

 気のせいかいつもより疲れているように見えるけれど、何かあったんだろうか?

「ところで、理事長こそどうしてこんな所にいるんですか?」

「……ううむ。これには海より深く、山より高い理由があるから聞かんで欲しいのじゃ」

「……もしかして、ルーエさん絡みですか?」

「……」

 俺が重ねて質問すると、理事長は明らかに目を逸らしてきた。

 どうやら、俺の予想は当たっていたらしい。

「何があったんですか? もし俺に出来ることなら、手伝いますけど」

 そして、その予想が当たっているのなら、俺はこの理事長をこのまま放っておくことは出来なかった。

 何故なら、この理事長の師匠である『賢者ルーエ』さんは、ある意味では俺たちの為に『勇国』という隣国へ調べ物に行っているからだ。

 理事長自体にも普段お世話になっているし、何か手伝えることがあるのなら、力に成りたかった。

「うむぅ……気を遣わせたみたいじゃのぅ。じゃが、これは儂の問題じゃからの。ノゾム君たちが気にすることは何も無いぞい」

「そんな事を言わずに、まずは話してみてくれませんか? もしかしたら、お力に成れるかもしれませんし」

「……ううむ」

「お願いします、理事長」

「分かったのじゃ。無駄に心配させるのも悪いしのぅ。……ただ、これだけは約束して欲しいのじゃ。話すことは話すがのぅ。師匠に儂の居場所を言うのは無しじゃぞ?」

「分かりました」

 そうして理事長は語りだした。

 理事長である彼が、こんな校舎裏にいる理由を。



「――という訳じゃ」

「まとめると、『ルーエさんとの戦闘訓練が嫌で逃げて来た』んですね?」

 それを聞いた俺は右手で額を抑え、溜息をついた。

 何をしてんだ、この爺さん。

「そう言われると、その通りじゃがのぅ。実際、師匠の訓練は地獄じゃぞ!?」

 アレはもはや鬼じゃ――そう言いながら、恐ろしそうに首を振る理事長。

 ……まぁ、前にチラッと聞いた魔術実験とかからしても、割と同情を誘うものだったし、理事長の言い分も分からんでもない。

「成る程のぅ。それでお主は魔力を抑えておったのじゃな?」

「うむ。師匠の魔力感知であれば、校内のどこにいても一発で居場所がバレてしまうからのぅ」

「転移で逃げることは出来ないんですか?」

「転移なぞ、使った瞬間に居場所がバレてしまうわい。儂に出来ることは、こうやって誰も来ない場所で魔力を隠し、大人しくしておくことのみよ」

 ドヤ顔で情けないことを言う理事長。

 涙腺が刺激されるのは何故だろうか。

「まぁ、儂は理由を話したからの!! 約束通り、この場所を師匠に言うのは無しじゃぞ!!」

「……分かりました」

 俺は理事長にそう言葉を返した。

「でも、一つだけ言わせて下さい、理事長」

「ん? 何かのぅ?」

「後ろを見て下さい」

 俺がそう言った瞬間。

 さっきまで笑っていた理事長は表情を凍り付かせ、聞いてきた。

「……滅茶苦茶、嫌な予感がするんじゃが、ノゾム君。今、儂の後ろには何か居るんかの?」

「振り向いて下さい。理事長。……振り向けば、分かります!!」

「出来る訳……出来る訳ないじゃろうが!?」

「落ち着いて下さい、理事長。ゆっくりで良いんです!! 怖いのは分かります!!」

「――何故じゃ……なぜ、後ろから足音が聞こえるのじゃ!!」

「……どうして逃げたのかな? ……かな?」

「うああああああぁぁぁぁぁぁっ!! 師匠!! ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんな――」

 後ろからの声を自覚した瞬間。

 理事長は謎の謝罪を繰り返した。


 そして数瞬後。

 校舎裏からお調子者の老人の気配は消え、後には二人分の足跡だけが残されていた。



 ……どうしてこんなことになったのか、私にはわかりません。

 これを読んだあなた。どうか真相を暴いてください。それだけが私の望みです。

 成金 望




「これって多分、私たちの魔力から位置がバレたパターンですよね? ご主人」

「多分なぁ。……少なくとも人を探している時に、知り合いが一か所に留まってたら、様子は見に来るよな」


 転移魔法で消えていったルーエさんと理事長を思いながら、俺とノワールはそう言葉を交わすのだった。

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