第71話 「お前は完全に包囲されている。大人しく出てきなさい」
「……はい?」
「うーむ。じゃからのぅ。悪いんじゃが、再来週から『勇国』の第二王女様がこの大学へ通うことになったのじゃ」
理事長室にて、何かの間違いだろうと聞き返した俺に、理事長は困ったように髭を触りながらそう答えてきた。
「ちょっ!? なんでそんなことになったんですか!?」
そして、そんな回答を聞いた俺は、もはや詰め寄る勢いでもって理事長に問いかけた。
なぜなら俺は、その『第二王女様』に命を狙われたことがあるからだ。
……というか、まだ狙われている可能性が高い。
そもそも俺が『勇国』からこの『賢国』に逃げてきたのだって、その『第二王女』が原因なのだから。
「うむ。勿論、説明はするから座ってくれんかのぅ……トリス。お茶を入れてくれるかの?」
「分かりました」
理事長は詰め寄る俺に着席を促しながら、自分も席に着き、トリスさんにそう声をかけた。
ちなみに、現在この部屋には、俺、ノワール、ナイア、理事長、トリスさん、というメンバーが集まっている。
賢者であるルーエさんを除けば、俺がユニークスキル<ノワール>持ちの異世界人であり、ナイアが三百年前に『勇者パーティ』に討伐された『魔王』であることを知るメンバーが全員が勢ぞろいしていた。
「うむ。ありがとうのぅ、トリス……さて、話しに戻るかの」
「……お願いします」
湯呑を受け取った理事長は、ちらりと、俺たちの着席を確認してから、その口を開いた。
「――という訳じゃ」
「……成る程」
理事長の話を聞いた俺は、自分の体重を椅子の背もたれに預けながら、そう返事を返した。
「要は、三百年前の魔王戦に存在したかもしれない『陰謀』を、調べるための交換条件として、『第二王女様』の留学が認められたんですね?」
「うむ。その認識で間違いないのじゃ」
ズズッ……
そこまで話して、理事長は目の前のお茶に手をつけた。
そんな理事長を視界に入れながら、俺は考える。
『第二王女』がこの学校に来ることになった経緯は分かったし、それが止められないという事も分かった。
そうなると考えるべきことは――
「……すみません。リッジ様。私としては、『第二王女様』の留学に際して、私たちの安全性が気にかかるのですが」
――とそこで初めて、俺の頭の上の黒猫が口を開いた。
さすがはノワール。
考えることは一緒だったようである。
「うむ。無論、儂らもそれには留意をしておる」
そう言いながら理事長は湯呑を置き、目線を俺の頭の上に合わせ、再度口を開いた。
「まず、『第二王女』がこの学校にいる間は、儂がお主たちの護衛に就くのじゃ」
「……えっ!! 良いんですか?」
「勿論じゃ」
その理事長の言葉で、俺は少し安心した。
この理事長は、『勇者パーティ』の一員である『賢者』さんの弟子だし、弱体化しているとは言え『魔王』であるナイアを、模擬戦闘で倒すほどの実力者でもある。
そんな存在が護衛に就いてくれるというのは、願っても無い話だからだ。
その安心感はさながら、元特殊部隊のコックさんに守られているようである。
「第二王女』じゃが、留学が認められたとは言え、ここは他国であるし、過剰な武力は持ち込めない筈じゃ。己惚れる訳ではないが、儂が傍に居れば戦闘面での危険は、ほぼ無いと見て良いじゃろう」
続く理事長の言葉からも、俺の考えがあながち間違えて無いことが分かった。
まぁ、実際。
この理事長もそうだが、『魔王』であるナイアも傍に居る訳だし、相手が『勇者パーティ』とかでもない限り、戦力面での危険は無いと見ても良いだろう。
「それは助かります……ですが、理事長としての仕事は宜しいのでしょうか?」
「うむ。それは問題ない……というのものぅ。恐らく、『護衛』は早々に終わるじゃろうというのが、儂と師匠の考えだからじゃ」
「え?」
そこで呆けた俺を見ながら、理事長は説明に入った。
「実はのぅ。師匠が『勇国』の資料から、『魔王』であるナイア君の無害さを、証明できる証拠を掴んだ後は、ノゾム君たちには『第二王女』が留学しているこの『賢国』から、一時『剣国』か『聖国』へと避難してもらおうと思っておるのじゃ」
「っ!? そうなんですか?」
「うむ。その方がお主らにとっては、安全じゃろうからのぅ」
そこまで話して、理事長は再びお茶に口をつけた。
その間に、俺は頭の中で今までの話をまとめていく。
要は、『賢者』であるルーエさんが『勇国』での調べものを終えるまで、俺たちは理事長の護衛の下で、『第二王女様』と学園生活を送るということか。
そして、ルーエさんの調査が終わり次第、『勇者パーティ』と『魔王』であるナイアの和解を行い、この『賢国』から他国へと逃げる訳だ。
うん。
かなり良いんじゃないか?
考えをまとめた後で、理事長が湯呑を机に戻したのを確認してから、俺は声をかけた。
「……ちなみに、ルーエさんの調査ってどれくらいかかる予定なんですかね?」
「あくまでも目安じゃが、調査については一ヶ月程で終わると考えておる」
一ヶ月か。
……確かに、ルーエさんがこの『賢国』の資料を調べた時はそれくらいだったしな。
そう考えると、『第二王女』が来るのは『再来週』ということだから――
「では、二週間程が護衛期間という訳ですか」
「無論、師匠の調査が難航すれば護衛は続けるがの。考え方としてはその通りじゃ」
うん。
やっぱりか。
二週間の我慢で、先の安全が買えるのなら悪い話ではないだろう。
そこまで考えた俺は、仲間であるノワールとナイアに確認を取ることにした。
二人が俺と同じ意見であるなら、今回の話は理事長の意見に従うことにしよう。
「――と俺は思うんだが、どう思う? ノワール」
「私も良い話だと思います」
「分かった。……ナイアは?」
「……一つだけ、確認したいのじゃ」
俺が声をかけると、ナイアはゆっくりと理事長を見た。
「仮に『第二王女』がノゾムたちに害を成そうとしたのなら……」
――瞬間。
ナイアから、殺気にも近い威圧感が漏れた。
「妾は全力でノゾムたちを守るぞ? ……手段を選ばずにのぅ」
その気配は雄弁に語っていた。
手段を選ばないという言葉の意味を。
「……それで構わんよ」
「……言うたのぅ」
その上での理事長の肯定を受けて、ナイアは念を押すように言葉を続ける。
「後で『賢国』の立場が、とか言うのは無しじゃぞ?」
「無論じゃ。……そもそも、儂や師匠としても、今回の件は甚だ不本意極まりないものであるし、優先順位としては『勇国』の『第二王女』よりも、『異世界』そして『魔王』の知識を持つノゾム君やナイア君の方が高いからのぅ」
「……ふむ。そう言う事であれば、妾から言う事はもう無いのじゃ」
しばらく含むように考えた後、ナイアは威圧感を霧散させ、口を閉じた。
そんなナイアを見て、理事長は軽く微笑み、言葉を投げる。
雰囲気を変えるように、軽く。
「じゃが、この学校を預かる理事長としては、『必要の無い』国家間の争いを生むことは本意ではないからのぅ。それだけは頭の片隅に入れておいて欲しいのじゃ」
「はっ! 妾を小物扱いするでないわ。言質を取ったからとて、こちらから手を出すほど狭量では無いわい」
ナイアをそんな理事長の目的を察した様に、手を振りながら返した。
……うん。
難しい問題だよな。
隣国の王族との関係なんだから。
ただその中でもはっきりと、俺たちの方が『優先順位が上』だと明言してくれたのは有難い話である。
「……色々と有難う御座います、理事長」
「今回の件は、そもそもがこちらの不手際で起きたことじゃから、礼は言わんでくれ、ノゾム君……むしろ、『第二王女』を呼び込むことになった事を深く詫びさせて欲しいのじゃ」
「頭を上げて下さい……それじゃあ、お互い様ということで」
「すまぬのぅ。そう言って貰えると助かるのじゃ」
そこで俺と理事長は軽く笑い合った。
これから護衛として今まで以上に、一緒に活動をしていくのだろうし、ここはお互い水に流して、わだかまりを無くしておこう。
「さて、それじゃあ、最後のお願いじゃが――」
そんな思いは理事長も同じだったようで、そう言って話を変えてきた。
「――ノゾム君たち。悪いんじゃが、引っ越しをしてくれんかのぅ?」
「? 引っ越しですか?」
「うむ。儂が護衛に入るのは良いんじゃが、万が一を考えるなら、通学や学生寮にいる間が怖いからのぅ。この大学の職員用の一室を空けるから、そこに移り住んでほしいのじゃ」
「成る程」
その後、色々と細かい所は話したが、結果として『第二王女』が来る二週後までに、今住んでいる学生寮から、大学へ移ることが決まったのだった。
そんな感じで話し合い自体は問題無く進んだのだが――
「っ!? ノゾムさん!! 何故、荷物をまとめているんですか!?」
「ああ、これはな――」
「まさか、出ていってしまうんですか!? メルが何かいけなかったですかぁ!?」
「違っ、ちょっ!? メル、泣かないでくれ!!」
「うぅ……っ!! あんまりですーっ!!」
――学生寮では、最大の問題が俺たちを待ち構えていたのだった。
「メルっ!! 落ち着いてくれ!!」
「行かせません!! 絶対に!!」
学生寮に着いた俺たちが軽く荷物をまとめていると、メルがその作業を阻止しようと立ちふさがってきた。
「荷物なんてこうですーっ!!」
「うおっ!! 止めろ、メル―!!」
メルが叫ぶと同時に、俺が荷造りしていた下着類が一斉に宙へ浮かび、一時停止した後で、俺に向かって飛びかかってきた。
「うわぁ……ここまで、汚いファンネルを見たのは初めてですよ、ご主人」
「んなもん俺だってそうだわ!!」
「……いや、よく考えれば、ファンネルというより、バグですかね?」
「考察は良いんで、助けてくれませんかねぇっ!?」
俺は離れた所で落ち着き払っている黒猫に叫びながら、飛び回る下着を回避していた。
「しかし、ご主人。これは滅多にないチャンスですよ?」
「何の話だ!?」
「今ならば、空気中のブリフィッシュエネルギーを吸収して、よりエレガントな男に成れるかもしれません」
「俺はトランクス派だっつーの!!」
そうやって、しばらく騒いでいた俺たちだったが、その少し後で、下着は床に落ち、それに伴って俺も回避行動を止めた。
「……どうしても、どうしても出ていくって言うのなら――」
そして、俺が下着を飛ばしていたメルを見ると――
「――私を倒してからにして下さい」
――彼女はドアの前で両手を広げて、通せんぼをしていた。
どうやらこの下着攻撃は、メルがドアの前に行くまでの時間稼ぎだったようだ。
……ぶっちゃけ、精霊であるメルの体は物質を通過するから、その行動には何の意味も無いのだけれど。
「メル。落ち着いてくれ。……まず、俺たちがこの部屋を出ていくのは本当だけど、それは今日じゃない」
「……」
俺の言葉を聞いて、メルは黙って目線を下げた。
表情が読めなくなってしまったが……俺は構わず言葉を続ける。
「それともう一つ。後、一週間と少しで、俺たちはここから『リーネ大学』へ移動するけど……良かったら、メルにも来てほしいと思っている」
「……」
俺はそう言って、メルの反応を見た。
この幽霊部屋と噂されていた部屋で、一人で住んでいた精霊の少女を。
数日間の同居ではあったけれど、俺は彼女のことも仲間だと思っている。
だから、可能であるのなら、引っ越し先の大学まで付いてきて欲しかった。
「……分かりました」
そんな俺の言葉を聞いて、メルは俯いたまま両手を下げ、そして言葉を紡いだ。
「……でも、移動の件は考えさせて下さい」
そう言うと、彼女は体を徐々に薄くさせて、やがて消えてしまった。
こうなると俺には、彼女の存在を感じることは出来ない。
恐らく、この部屋の何処かには居るんだろうけれど。
「……メル」
「……仕方ありませんよ、ご主人。ここはメルが生まれ育った場所ですから。そこから離れるのは、直ぐに決めれるものではないでしょう」
「……そうだな」
そのままメルに会うことは無く、今日という一日は過ぎていくのだった。
翌日。
「私もノゾムさん達について行きたいです!!」
そんなメルの一言で、俺たちは起こされた。
「本当か!! 嬉しいぞ、メル!!」
「はいっ!! ……でも、一つお願いがありまして――」
――そして、この日から。
「怖くないぞー。外は怖くないぞー、メル」
「ええ、メル。お外は楽しいですよー」
「良い日差しで良い気分じゃぞ!! メル!!」
「……うぅっ……やっぱり怖いですーっ!!」
生まれてからずっと、この学生寮から出てこなかった、生粋の引き込まりであるメルの外出訓練が始まったのだった。
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