第63話 「栄光の手(ハンズ・オブ・グローリー)」
「えー。それでは、これから実技訓練を行いますので、皆さん、移動を開始してください」
「……また、この試験が来てしまったか」
「……試練ですね、ご主人」
リッジが賢者さんに連れていかれた日の午後。
俺に、二度目の試練が訪れようとしていた。
――実技訓練。
実際のダメージを全て、幻痛に置き換える特殊な結界内にて行われる、体術あり、武器あり、魔法ありの戦闘訓練である。
一応、結界のお陰で、致死量のダメージを受けたとしても、ほんの一日程度、酷い幻痛に苦しむだけで済むのだが、……これが本当に歩けないほどに痛い。
そんな実技訓練が、これから行われようとしていた。
「前回は酷かったなぁ、ノワール」
「私は運よく躱せましたけど、ご主人は完全にボコボコでしたからね」
教室から結界のある訓練場に移動しながら、俺は頭の上の黒猫と前回の訓練を思い出す。
好意で弱い魔法を使ってくれていた同級生女子に、一瞬の隙を突いてジャーマンス―プレックスをかまし、そのお返しとして、上級の水魔法でボコボコにされた前回を。
「……思い返せば、完全にセクハラでしたね、ご主人」
「言うな、ノワール。俺だって反省してる」
ちなみに、その同級生ことローゼさんは、そんなことをした俺の見舞いに、リンゴ持参で来てくれる程の良い人である。
そんな人を相手にセクハラをして、罪悪感を抱かない程、俺は人間を辞めてはなかった。
「しかも聞いてみれば、ローゼさん。男性に抱き着かれたのは、それが初めてらしいですからね。……初めての抱擁をジャーマンにするとは、さすがはご主人。私には出来ないことを平然とやりますね」
「ぐぅぅぅぅっ!?!?」
ズキュゥゥゥン
俺は不意に紡がれた黒猫の言葉で、まるで好きでもない相手からキスをされたかのように、深く心をえぐられる。
ああ、前言撤回。
俺は既に人間を辞めているレベルの鬼畜だった。
なぜだろう、目に浮かぶ。
いつか、ローゼさんに出来るであろう恋人の前で高らかに笑う自分の姿が。
恐らく、未来の俺はこう言うのだ。
『初めての相手は君ではないッ!! このナリカネだッー!!』
「……うわぁ。本当にそうなったなら、俺はゲロ以下だな」
「そこまでいけば、生まれついての悪ですねぇ」
「ノワール。酒だ。こうなっては、飲まずにはいられない」
俺は、脳内に浮かんだ最低のビジョンを消すために、頭を振りながら、ノワールにそう声をかけた。
想像とは言え、未来の自分が予想以上にクズ過ぎた。
ジャングルはいつもハレだった。
「……ご主人、残念ながら現実逃避もここまでです。訓練場が見えてきましたよ」
そんな俺に対するノワールの返事は、当然無情なものである。
「もうこんなに近くに来てたのか。……今から、台風とか来ねぇかな?」
「そんな小学生みたいなことを言ってないで、そろそろ覚悟を決めて下さい、ご主人」
「うぅ。この太陽が最後に見るものだなんていやだ―」
近づいてくる訓練場は、俺に前回の痛みを思い出させて、俺の心はマインドクラッシュされていた。
……実際、致死量のダメージを受ければ、バーチャルリアリティーにボコボコにされるような激痛を受けるのである。
その痛みは、目の前で大事なカードを破られるレベルなのだ。
老人なら寝込むレベル。
一度目は何とか乗り越えたが、もう一回受けようとは思えない。
「……さて、茶番はここまでだ。ノワール」
「ええ。ご主人。了解しました」
危機感を思い出し、気持ちを切り替えた俺たちは、この迫りくる実技訓練を乗り越えるための方法を、全力で考えることにした。
「とりあえず、これが講義の一環であって避けられない以上、取れる方法は一つだよな」
「ええ、ご主人。この場合は、優しく倒してくれる相手を選ぶことが最良の道でしょう」
話し合い、そう結論を出した結果、俺たちは同時に一人の名前を呼んだ。
「ナイア!! 俺たちと訓練しようぜ!!」
「ナイア!! 私たちと訓練しましょう!!」
「ん? うむ。構わんぞ。よろしくのぅ、ノゾム。ノワール」
その言葉を聞いて、優しさに定評のある魔王様は了承してくれた。
やっぱり、持つべきものは友である。
「……なんだ、特に焦ることはなかったな」
「ええ。ウサギの名探偵もびっくりのスピード解決でしたね」
ナイアであれば、力加減をした上で、相手をしてくれるだろうし、俺とノワールは胸を撫で下ろしながら、訓練場へ行くのであった。
「えー、これから皆さんには『くじを引いてもらって』今日の訓練の相手を決めて貰います」
そんな俺たちの目論見は、訓練場に着くなり発せられた教師の台詞で、粉々に打ち砕かれた。
「トリスさんっ!? 前回みたいに、自分たちで訓練の相手を決めてはいけないんですか!?」
当然、俺はそんな教師の横暴に抗議をしたのだが――
「ええ。前回は特別です。毎回、生徒が自分たちでペアを作ってしまうと、いつも同じ相手と戦ってしまう可能性がありますから。この訓練の目的は多種多様な相手と当たって、新しい経験をすることなので、今回はくじ引きで決めようと思います」
――そう言う言葉であっさりと収められてしまった。
さすがは、大学教授。反論の余地が無い。
「くっ!! やっぱりあの人、俺を潰すつもりだろ!?」
「……いえ、ご主人。これは考えてみれば、悪くない展開ですよ」
俺が思わずトリスさんへの恨み言を漏らしていると、不意に頭の上の黒猫がそう言ってきた。
「なんでだ? ノワール」
「いや、ご主人。考えて見て下さい。このクラスのメンバーを」
「俺、お前、ナイア、ナンバ、リッジ、ローゼさん、メグリさん、ナギ君……だな」
「そうです。この内で、我々が実技試験の相手として避けなければならないのは、実はたった一人だけなんですよ」
「一人? ……そうかっ!! ナギ君か!!」
「ええ。彼以外のメンバーとは、既に一緒にお昼を食べる仲ですし、手加減も期待できるでしょう。それを考えると、今回のくじ引きという方法は」
「なるほど。確かに悪くない展開だな」
そんな黒猫の話で、俺のテンションは上がってきた。
悪くないどころか、むしろイージーモードだと言っても良い。
「えー。では、一人ずつ引いて下さいね」
俺が、ノワールと話している間にも、トリスさんは話を進め、くじ箱を持ちながら、生徒にそう呼び掛けていた。
俺の他には、特に不満がある生徒はいなかったようで、一人、また一人と順調にくじを引いていくのだった。
「俺から引くぞ。……一番だ」
そして、問題だったナギ君は、一番ということが分かった。
「よし、ノワール。一番以外を狙うぞ」
それを確認した瞬間、俺は頭の上の猫にそう声をかける。
「……狙うと言っても、ご主人。くじですよ?」
「お前、なんとか出来ないか? こう、ピッっと、くじを操作したりとか」
「出来ませんよ。……ご主人が額に第三の目を持っていたり、格闘技の世界チャンピオンなら、相棒ポジションとしてワンチャンスありましたけどね」
俺たちがそんなアホなことを言っている間にも、くじはどんどん引かれていった。
「俺は……三番か」
「私も三番ですわね。ナンバ、よろしくお願いしますわ」
そうして、ナンバとローゼさんの対決が決まってしまった。
「ああっ!! 安全パイが一気に二つも無くなってしまった!!」
「落ち着いて下さい、ご主人!! まだ、可能性はありますよ!!」
残りは三枚。
俺はハラハラしながら、くじを見守った。
「……二番です」
目の前で、メグリさんがそう言った。
メグリさんは二番か。
現実は残酷で、俺の順番が回ってくるまでに、一番を引く生徒はいなかった。
「……ご主人。分かっていると思いますが、残りは一番と二番しか残されていません」
「……ああ、任せろノワール。俺は引き当てて見せるさ。二番をな」
俺はこみ上げてくる不安を、必死に押し隠しながら、くじ箱の前に立つ。
「次はノゾム君だね。さぁ、どうぞ」
そう言って、俺が取りやすいように箱を差し出してくるトリスさん。
俺はそれに頷きで答えて、目を瞑りながら箱に手を入れた。
一番は嫌だ……
一番は嫌だ……
一番は嫌だ……
そう念じながら、くじを掴む。
「こいっ!! グリフィンドォォォォル!!!!!」
俺は叫びながら、その掴んだくじを引っこ抜いた。
恐る恐る見たくじには――
――しっかりと二番と書いてあった。
「よっしゃぁぁああああああああああ!!」
「やりましたねっ!! ご主人っ!!」
それを確認した俺とノワールはお互いの手を取り合って、喜び合った。
「……グリフィンドォルってなんですの?」
「分からん。少なくとも俺は聞いたことが無い」
そんな俺たちに対して、クラスメイト達が若干引いていることに気づくのは、もう少し後のことだった。
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