第58話 「全ては遠き理想郷」
「君の知識は本当に素晴らしいよ!!」
「はぁ……どうも」
あれから、冷静さを取り戻した賢者さんは、開口一番にそう言った。
なんだか、既視感に襲われる風景である。
現在、俺とノワールとナイアは、そんな賢者さんの対面に座っていた。
ノワールだけは、席に座ると見えなくなってしまうので、机の上に座っているけれど。
「重力や引力も素晴らしかったが、なにより『原子論』が素晴らしかった!! まさかこんな形で、世界構造の一つを知ることが出来るなんて、思ってもいなかったよ!! ……残念ながら、今の時点では『原子』を観測する方法が無いから、研究を深めることは難しいけど、それはこれから方法を考えれば良いだけだしね」
にこにこと嬉しそうに語ってくる賢者さん。
うん。
「……喜んで頂けたのなら何よりです」
俺としてはそう答えるしかない。
「ふふふ。喜びなんて言葉では言い表せないさ。お陰でこの数日間はとても充実したものだったよ。君の理論の証明をするためにね――」
それから、この数日間で行った試行実験について語り始める賢者さん。
内容としては、難しすぎて俺には理解できなかったが、途中途中で理事長が実験体になっていることが判明した。
あの老人の衰弱振りは、どうやらそれが原因みたいだな。
そのまましばらく話を聞いていると、どうやら思い出してきたみたいで、賢者さんはまたヒートアップしてきた。
「ああっ!! こうしているだけでも、興味が尽きないよっ!!」
いきなりそう言うと、彼女は俺の両頬に手を当てて、何やら陶然とした表情でこっちを見てきた。
「あれだけの知識だって、君の知識からしたら一部に過ぎないんだろう? ああ、その頭の中には後どれだけの知識が入っているのか……」
そのままうっとりとした様子で、彼女は自分の顔を近づけながら、右手を俺の後頭部に持っていく。
そうして、ぐいっと引き寄せられた俺は。
――気づけば、鼻先で彼女の顔に触れてしまいそうなほどに、急接近していた。
「わかってるんだ……我慢するべきだって。……でも、僕は……僕はッ!!」
文字通り、目と鼻の先で、瞳を潤ませて、堪えるようにそう言う彼女。
その表情はとても切なそうで、俺は――
「だから、それを止めんかッ!! この色ボケがっ!!」
――ナイアに後ろから引っ張られて、首を痛めたのだった。
「うおぉぉぉぉ!! ゴキッっていった!! ゴキっていったぞ、今っ!!」
俺は急に訪れた首の激痛に叫び、机の上でのたうち回った。
「まぁまぁ、良いじゃないですか、ご主人。その直前まで、良い思いをしてたんですから」
そんな俺に対して、適当な言葉を返すノワール。
いや確かに、妙に良い匂いとかも感じたけど、この首の痛みは半端ねぇよ。
「ノワール。……無敵流は鉄甲無しでも、絶対強いぞ」
「ご主人の場合、締められたわけでも、極められたわけでも、投げられたわけでも無いじゃないですか」
……まぁ、そうなんだけどさ。
痛いのは本当なんだって。
首は人体の急所って、ほんとだね。
「全くっ!! 油断も隙もないのぅ!!」
「……あれ? 僕は一体、何をしていたんだっけ?」
「白々しいのじゃ!! この色魔がっ!!」
「なっ、ナイア君!? 君はまた、人を変態みたいにっ!!」
「みたいというか、まごうことなき変態じゃろうが!! 己が行動を客観的に見れんのか!?」
「はぁっ!? 一体、何の話をしてるんだい!?」
俺がノワールと会話をしている間に、賢者さんと魔王の会話はまたしても白熱していた。
「そこまで、惚けるかっ!! ええいっ、ならば見とれよ!! 妾がお主の痴態を再現してやるわいっ!!」
「……ん? うおぉぉぉ!!」
そうして気づけば、俺はまたナイアに引っ張られていた。
そのまま、彼女と向かい合う形で停止させられる。
「ああっ!! こうしているだけでも、興味が尽きないよっ!!」
ナイアはいきなりそう言うと、先ほどの賢者さんのように、両手を俺の頬に当ててきた。
「わかってるんだ……我慢するべきだって。……でも、僕は……僕はッ!!」
そう言いながら、またしても、先ほどの賢者さんのように俺の顔を引き寄せるナイア。
やがて、顔が触れそうな距離まで近づいた時――
「……ううっ、妾にはこれ以上は」
――ナイアは真っ赤な顔でそう言うと、急にポイッと俺を投げ捨て、賢者さんに向き直った。
「……どっ、どうじゃぁぁー!! 思い出したか、この変態がーっ!!」
投げられた俺は、先ほどと同じ軌跡を描いていた。
「あら、ご主人。お早いお帰りで」
「ああ。ただいま。ノワール」
「ご飯にします? ライスにします? それともお・こ・め?」
「なんだろうな。お前と話している時に感じる、この実家の様な安心感は」
そうして、俺は放られた先で、黒猫と話すのだった。
まぁ幸い、今度はある程度、覚悟してたので首の痛みは無かった。
「実際、首は大丈夫ですか? ご主人」
「……最終的には心配する辺りズルいよな、お前」
「この辺の心配りが人気の秘訣ですよ?」
「……あこがれちゃうなー」
そんな会話をしながら、俺が投げ出された体勢を起こして、ナイアと賢者さんに視線を向けると――
「ああっ!!……うそだぁ……なんで僕は……こんなことを……?」
「思い出したようじゃのう!! この痴れ者が!! 」
――真っ赤な顔を必至に隠す賢者さんと、同じように真っ赤な顔で叫ぶナイアが居た。
「……」
「……」
あれから、少し時間が経ったが、賢者さんは最初の勢いが嘘のように、静かになったままだった。
ナイアもしばらくは色々と叫んでいたのが、そのうち黙ってしまった。
二人の共通点はどちらも顔を逸らして、俺を見てくれないことだろうか。
「嫌われましたね。ご主人」
「……止めろ、ノワール。地味に心にきてるから」
実際、フクロウの如く首を曲げて、こちらから逸らしている二人の姿は、俺のメンタルを削るのに十分な破壊力を持っているのだから。
「しかし、このままでは話が進みませんよ、ご主人」
「分かってるよ」
だが、そんな俺に対して、ノワールはあくまで現実主義だった。
ううむ。
まぁ、ノワールの言ってることが正しいことは明白なのだ。
……だって、さっきから数分間このままだからね。
クイズ番組の名司会だって、ここまで沈黙を引っ張ったりはしないだろう。
俺は覚悟を決めて、先ほどから黙りこくってしまった賢者さんに話しかけた。
「……えっと、今回、俺が呼び出された理由についてお伺いしたいのですが」
俺のその言葉を聞くと、彼女は逸らしていた顔をゆっくりと戻しながら、返事をくれた。
「――っと……ああ、そうだったね。……僕としたことがごめんね?」
そういう、彼女の顔はまだ少し赤かったけれど、俺はそれには触れないことにして、話を進めた。
「いえ、大丈夫です。……それであの、理由なんですけれど」
「うん」
その一言で、一度台詞を区切った彼女は、深く息を吸うと、続きの言葉を吐き出した。
「実はね、今日、ノゾム君に来てもらったのはお礼と、後は渡したい物があったからなんだ」
そう言うと彼女は、懐から輪っかのような物を取り出して、こちらに渡してきた。
数は三つ。
俺はそれを受け取りながら、質問を返した。
「あの、これは?」
「まぁ、魔道具の一種でね。身に着けている者への<鑑定>を誤魔化す効果があるんだ」
さらっとそう言う賢者さん。
「ええっ!? っていうことは――」
「うん。君が異世界人っていうことも、ノワール君がそんな君の<スキル>っていうことも、ナイア君が魔王っていうことも<鑑定>出来なくなるってことだね」
なんてこった。
そんなアイテムがあったなんて。
「それは……本当に有難い話ですけど。本当に頂いちゃって良いんでしょうか?」
効果を知った俺は、恐る恐る賢者さんにそう尋ねる。
実際、俺たちからしたら、喉から手が出るほど欲しいアイテムだが、この世界では<鑑定>が使える人材はかなり希少だと聞いた。
なら、その<鑑定>を防げるというこのアイテムの価値は、それ以上の筈だからだ。
「いや、君たちがこれをつけることは、僕のお願いでもあるんだよ」
だが、そんな俺の質問に対して、賢者さんは予想外な答えを返してきた。
「まず、僕個人の正直な話をすると、僕にはもう魔王であるナイア君を害するつもりはないし、異世界の知識を持っているノゾム君とは友好的な関係を築いていきたいと思っている」
賢者さんはそこまで言うと、チラッとこちらを見てきた。
俺が相槌を持って返礼とすると、彼女はそれを確認して、言葉を続ける。
「だが、そんな僕から見れば、今の君たちの立場は危なすぎる。ナイア君が『魔王』であることが、誰かにバレればすぐに討伐されてもおかしくはないし、ノゾム君の知識が漏れれば、同じく悪用を考える者が出てもおかしくはない」
だから、それを着けて欲しい――、とそんな言葉で賢者さんは自分の言葉を締めくくった。
成る程。
内容を聞けば納得であったし、そういうことならこちらが気兼ねすることも無さそうだ。
「分かりました。それでは、有難く頂戴しようと思います」
「うん。サイズは自動で合わせられるはずだから、手首にでも着ければ、邪魔にならないと思うよ」
サイズの自動調整とは凄いな。
そういう所も魔法具、ということなんだろうか。
さっそく、俺は自分の左手首の辺りに着けてみる。
すると、キュッと閉まる感じで、輪っかの大きさが変形し、リストバンドのように固定された。
「おお~。凄いな、コレは」
「ご主人。私のもお願いします」
その光景を見ていたノワールは急かすようにそう言ってきた。
まぁ、猫の手ではこういう道具を着けることは難しいだろうしな。
俺は机の上で、心なしかそわそわと手を伸ばして待機しているノワールに近づく。
……珍しくテンション上がってるな、コイツ。
そんなノワールの腕に輪っかを通すと、やはり輪っかはノワールの手首にピタリとフィットする大きさになった。
「おお~。これはなんとなくテンション上がりますね」
「ああ、良いよな。後は通信機能とか変身機能があれば完璧だったんだが」
「こうキュッとして閉まる感じが良いですよね。テンションもドカーンと上がります」
「その二つを合わせるんじゃない。なんだか、着けた瞬間、こっちが壊されそうじゃないか」
そんなことを言いながら、俺は未だにそっぽを向いているナイアにも輪っかを渡そうと近づいた。
「……ん」
だが、彼女はそっぽを向いたまま、俺に向けて手を伸ばしてきた。
……着けろということだろうか。
「……着けるぞー?」
一応、俺がそう声をかけると、彼女は明後日の方向を向いたまま、こくりと頷いた。
まだ恥ずかしいのか。
どうやら、ナイアの復活までは、もう少し時間が掛かりそうだと考えながら、俺はナイアにも輪っかを着けた。
ちなみに現在、俺もノワールもナイアも左の手首あたりに輪っかを着けている。
これからは、これが仲間の印ということになるだろう。
「……ご主人。輪っかの下に×印でも付けときます?」
「俺も思ったけど……止めとこう。ナイアはある意味王女だし、フラグになったら困る」
ノワールとアホな会話をしながら、一応、腕を振ったりして付け心地を確認する。
うん。
別に気になる感じは無いな。
それが確認できた時点で、俺は賢者さんにお礼を言った。
「ありがとうございます。これで、心配事項が一つ減りました」
「いやいや。さっきも言ったみたいに、僕の都合でもあったからさ。お礼は要らないよ」
「……あの、一つ良いでしょうか?」
俺が賢者さんにお礼をしていると、少し畏まったように、ノワールが話に入ってきた。
この猫にしては珍しいことである。
「どうしたんだ? ノワール?」
「いえ、賢者様に質問なのですが……」
「ん? 僕にかい? 一体何かな?」
「あの……先ほど、私がこのご主人の<スキル>であると仰っていましたが、どうしてそれが分かったんでしょうか?」
そんなノワールの質問で、俺はハッとした。
前に、理事長に俺たちのことがバレた時も、ノワールのことまではバレていなかった筈だ。
これはどういうことだろうか。
「ああ。それは簡単だよ。僕は<鑑定>を使えるからね。君たちが気絶していた時に<鑑定>させてもらったのさ」
そんな俺たちの質問に、彼女はケロッと答えた。
なるほど。
聞いてみれば簡単な話だったか。
これは、俺たちに<鑑定>をかけないと言ったトリスさんや理事長のことを思えば、約束の反故ということになるんだろうけど、あの二人にこの賢者さんを止めることが出来たとは思えないし、致し方ないだろう。
まぁ、結果として、鑑定妨害の魔道具までもらえたのだから、文句は言うまい。
――などと、俺が考えていると、そっぽを向いていたナイアがぐるんと体を回し、叫んだ。
「まてぇぇい!! それじゃあ、お主はなにか!? 三〇〇年前、妾が人間を殺めてないと知っていたにも関わらず、妾の体を焼いたのか!?」
あ、そうか。
<鑑定>使えるっていうことは、ナイアが魔王だと分かると同時に、称号から人を殺していないっていうことも分かるんだったか。
そう考えると、確かに三〇〇年前の行動に疑問が出るな。
ナイアが思わず、復活するのも納得である。
そこまで思った俺が賢者さんを見ると――
「何を言っているんだい!? 君が僕の<鑑定>を 『笑止!! 妾のことが知りたいのなら、直接ぶつかってこんか!!』 とか言いながら弾いたんじゃないか!! 開幕から、得意な魔法を弾かれた魔法使いの気持ちが分かるかい!?」
――賢者さんは心底、遺憾であると言うように叫び返した。
ああ。
悲劇はそうやって起きたんだな。
「覚えておるか、そんなもん!! 大体、その一回だけで諦めてしまうとは何事じゃ!! 仮にも英雄を称するならば、二度や三度と言わず、通じるまでトライすれば良かったではないか!!」
「なんて自分勝手な言い分なんだい!? そもそも、戦闘に発展したのだって、会話が面倒くさくなった君が実力行使に出たのが原因じゃないか!!」
「いきなり、人の城に入り込んで、『君を倒しに来た』とか言われれば、実力行使に出てもおかしくなかろうて!!」
「エルの所為みたいに言うのを止めて貰っても良いかな!? 君が魔王城に来た人間は一人残らず断罪したとか言ったからだよねぇ!!」
「盗人をボコボコにしたのは本当じゃから仕方がないじゃろう!! 誰が、殺人の容疑まで掛けられてると考えるか!!」
「だーかーらっ!! それは部下の行動をしっかりと把握しておかなかった君の責任でもあるじゃないかぁ!!」
「むぅ……。ああっ!? 急に、古傷が!? 三〇〇年前の痛みがぁぁ!!」
「ズルいな、君は!? 都合が悪くなったら、被害者の立場に逃げるのは卑怯だぞ!!」
――言い争う二人を見ながら、俺は横の猫に静かに語りかけた。
「……ピザが食べたいなぁ、ノワール。ほら故郷に帰ってさ」
「……ああ、マルガリータとか良いですねぇ、ご主人」
そうして、俺たちは現実から妄想の中のネアポリスへと逃避するのだった。
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