第57話 「人の話を聞かないからな」

 下着泥棒の逮捕から三日後。

 俺たちは順調に大学生活を送っていた。

 まぁ、この三日間でちょっとした変化があったので、まず、それらを軽くまとめようと思う。



「あれ? ローゼさん。今日はいつもみたいに弁当ではないんですか?」

「皆様と食堂でご一緒する以上、いつまでも無料で席を借りるわけにもいきませんわ」

「食堂の席は余っていますし、元々の目的は学生の補助なんですから、別に良いと思うんですが」

「……ローゼちゃんは、しっかりしてるから」

「そういうメグリさんも、今日はお弁当じゃないんですね」

「……うん。……その、ナイアちゃん見てると、食べてみたくなっちゃって」

「ああ、成る程。ナイアは美味しそうに食べますからね」

 まず、ローゼさんとメグリさんが、一緒にお昼を食べるようになった。

 あの事件の後で、ノワールとローゼさんが仲良くなったお陰だろう。

 八人しかいないクラスなのだから、交流は大事だと考えている俺としては、本当に喜ばしい変化だった。

「――と俺は思うんだけど、ナンバはどう思う?」

 楽しそうに話している女性陣を見ながら、俺は横にいるナンバにそう聞いてみた。

 ノワールとローゼさんとメグリさん。

 いやはや、本当に仲良くなったものである。

「まぁ、殺伐としてるよりは良いんじゃねぇか? それよりも、ノゾム。アレは放っておいて良いのか?」

 そんな俺の質問に適当に答えながら、くいっと親指である光景を指し示すナンバ。

 そこでは――

「かかかっ!! おばちゃんよっ!! 今日の日替わりも大層美味じゃのぅ!!」

「本当に作り甲斐のあることを言ってくれるお嬢ちゃんだねぇ!! ほれ、もっと食べな!!」

「うぬ!? 良いのかっ!! 嬉しいのじゃーっ!!」

 ――いつもどおりの魔王様の姿があった。

 俺はそれを確認した上で、ナンバに言葉を返す。

「無茶言うなよ。あの状態のナイアを止めれるわけないだろうが」

「お前でも無理なのかよ。……しかし、本当にナイアの食いっぷりはすげぇよな」

「ナンバから見てもそう思うか? あの小さい体のどこに入っているんだろうな」

 俺たちは、相変わらずのフードファイター振りを見せつけるナイアを横目で見ながら、そう漏らした。

 今のナイアを見ていると、例えコンクリートでもバターと醤油で炒めれば食べてしまいそうで怖い。

 そのまま、少しの沈黙を置いた後で、話を変えるようにナンバが口を開く。

「でもまぁ、飯を食う人数が増えるのは別に良いんだけどよ。リッジの奴はどこに行ったんだろうな?」

「……それな」

 そんなナンバの質問に、俺は一人の人物を思い出す。

 少し前まで、一緒に飯を食べていたクラスメイトであるリッジ君のことを。

 彼はここ数日、教室に来ていない。

 一応、講義は自由出席とは言え、特に教師による説明もなく、連続欠席ともなると、同じクラスメイトとして気になってくるものである。

 ……まぁ、リッジ君の場合、クラスメイトというのは仮の姿であり、本当の彼は俺やナイアの監視を目的とする、この学校の理事長なのだが。

 ――あの日、師匠である賢者に連れていかれたあの老人は、一体その後どうなってしまったのか。

「……まぁ、そのうちケロッと戻ってくるだろ。リッジだし」

「そうだな」

 俺は答えが出ない思考を打ち消すためにそう言った。

 ナンバも話題には出してみたものの、それほどは心配していないみたいで、そんな俺に対して、一言だけ言葉を返し、食事に戻った。

 ううむ。

 俺としては、リッジ君がひっそりと『転校』しちゃわないことを祈るばかりである。

「っと」

 その時、急にノワールが俺の頭の上に戻ってきた。

「ん? どうした、ノワール。ローゼさんたちと話していたんじゃないのか?」

「せっかく一緒に食べているんですから、ご主人やナンバさんもローゼさんたちと会話をするべきだと思いまして」

「そんな義務感でやらんでも」

「まぁまぁ、ご主人。良いではないですか。良いではないですか」

 お代官様みたいな猫である。

 とはいえ、確かに一緒に食べているのに、会話が無いというのも変な話か。

「すいませんね。二人とも。なんか、ノワールが無理言っちゃったみたいで」

 そう考えた俺は、二人に話を振ってみることにした。

「いえ、ノワールさんが仰ることも最もですわ。良く考えれば、私たちはクラスメイトなんだからもっと交流を取るべきですわ」

「まぁ、悪くないかもな。俺も今まで、あんまりローゼともメグリとも話したことは無いし」

 結果、帰ってきたローゼさんの快い返事に対して、同意しながら、ナンバがさらっと衝撃的事実を告げた。

 ……え?

 マジか。

 だって、俺が来る前に一年間くらい同じクラスメイトとして、講義を受けていたんだろう?

 俺が驚いて、女性陣を見ると――

「……うぅ。だって、その……恥ずかしくて」

「そ、そうですわ。殿方と話すなんて慣れてませんもの」

 ――ローゼさんとメグリさんがその理由を話してくれた。

「そ、それにナンバさんの方だって、あまり私たちに話しかけてくれませんでしたわ!!」

「いや、俺は女子が好きそうな話題とか知らねーし」

 ふぅむ。

 どうやら、会話が無かった理由はお互いに原因があったぽいな。

 まぁ、過去は過去だし、これから仲良くなれば良いだろう。

「では、皆さんが話しやすくなるように、前座として、ご主人のすべらない話で場を温めましょうか」

「ノワールさん。そういう無茶振りは本当に止めてくれ」

 その後はいつも通りの平和な時間が流れるだけだった。



 そんな平和が壊されたのは、すっかり日常の一コマとなった、ナンバ主催の勉強会をしている時だった。

「ナンバ。悪いけど、ここを教えてくれないか? なんで魔力の消費が抑えられるのかが、ちょっと分からなくてな」

「ん? ああ、ここはな――」

「――それは、『キーワード』による術式の簡易化が原因ですわ。先に方向性を決定している分、術式の固定にかかる魔力が減りますの」

「ああ!! 成る程。ありがとうございます、ローゼさん」

「べっ、別にこれくらい何でもありませんわ」

「……良いんだけどよ。なんだか釈然としねぇな」

「ナンバさん。ご愁傷様です」

「ああ、ノワール。なんで、ローゼが俺への質問に割り込むのか分かるか?」

「残念ながら……私は所詮、猫ですから」

「……ローゼちゃんは、一生懸命だから」

「それは答えなのかのぅ」

「……それより、ナイアちゃん。この文字の意味を教えて」

「ん? これは、『廻す』じゃな。古代文字とは、中々懐かしいものよのぅ」

「……ありがとうナイアちゃん」

「かかかっ。なんでも頼るが良いぞ!! メグリよ!!」

 上の様な会話からお察しだろうが、実はこの勉強会にもローゼさんとメグリさんが参加してくれるようになっていた。

 二人の参戦は嬉しいものだったが、特にローゼさんは人に物を教えるのが好きらしく、お陰様で俺は魔法理論の基礎について理解を深めることが出来ていた。

 それもあって、俺の中では割と優先順位の高い時間なのだが――


「ノゾム君っ!! ノゾム君は居るのかなっ!?」


 ――突然現れた賢者さんによって、そんな時間はあっけなく壊されてしまった。

 教室のドアを豪快に開けた彼女は、珍しく焦っているようで、普段は顔を隠しているローブがめくれていることにも気づいていない様子である。

「なっ!? 賢者様だと!?」

「ええっ!? どういうことですのっ!?」

「うそっ……!!」

 さすがに自分たちの国が誇る英雄の顔は有名らしく、クラスメイトは全員、驚愕に顔を染めていた。

 この状況で名乗りを上げるのは、シャイな俺には大変厳しいものがあったが、賢者さんの反応から一大事かもしれないと思い、気持ちを切り替えた。

「……俺ならここにいますけれど、どうされました? ルーエさん?」

「どうしたかだってっ、それを君が聞くのかい!? 僕をどうにかしたのは君じゃないか!?」

 とりあえず席を立ちながら、焦っている賢者さんに向けて質問した俺だったが、そんな俺の質問に対する彼女の答えはまさに支離滅裂というものだった。

 どうしたんだろうか、賢者さんは。

 いつになくテンションが高いな。

 あまり上げ過ぎると、顔がブレてしまいますよ?

「君の考えを聞いて以来、僕は……僕はおかしくなってしまったんだよ。責任を取ってくれるね!?」

 困惑している俺を置き去りに、そう言いながら彼女は、俺の手を両手でガシッと掴み、こちらの顔をまっすぐ見てきた。

 その時、俺は気づいたのだが、、現在、彼女の両頬は興奮の為か上気しており、潤んだ瞳と相まってなんとも言えぬ色気を醸し出していた。

 更に、立て続けに言葉を発したことで失われた唇の水分を、舌で艶めかしく補給する彼女は。

 ――俺には刺激が強すぎた。

「……えっと、その。……ルーエさん?」

「あの日から、うまく眠れもしないんだ。……一日中、考えてしまうのはただ一つさ」

 どもってしまう俺の言葉を聞いているのか、いないのか。

 そう言うと、彼女は目を閉じて、俺の手を握ったまま、強く胸元へ引き寄せた。

「こんな気持ちは久しぶりだよ。……いや、ここまでの高ぶりは初めてだと言えるかもしれない」

 ぎゅうっ

 ――と改めて強く握りしめられた俺の手が、彼女の『柔らかな何か』に触れそうになる。

「はぁっ……ノゾム君……僕は、僕はもう我慢が出来ないよ」

 そう言った彼女が、片手を俺の手から放して、俺の顔に伸ばした所で――

「ノゾムから離れるのじゃーっ!! この色情魔がーっ!!!!」

 ――横合いから飛んできたナイアが、綺麗なドロップキックを賢者の腹に決めていた。

「ごふぅっ!!」

 そんな女性としては色々と残念な声と共に床を滑る賢者さん。

 そうして、倒れた彼女から俺を庇うように立ちながら、ナイアは声をかけてきた。

「ノゾム、急いでこの変態から隠れるのじゃっ!!」

「おっ、おい、ナイア。何をっ……」

「良いから早うするのじゃっ!! 今の妾では、お主を守りきれんのじゃから!!」

 俺がナイアを止めようと声をかけると、ナイアは振り返ることなく、叫びを返してきた。

 彼女の視線は倒れている賢者から逸らされることは無く、硬く握りしめられた拳はしっかりと賢者に向けられていた。

 そんな構えの先にいる賢者さんは――

「いったぁぁ。突然、何をするんだ君は!!」

「それはこっちの台詞じゃっ、この痴れ者が!! 衆人観衆の中、発情しおってからにっ!!」

「なっ!? なんてことを言うんだい!! 誰がいつそんなことをしたんだ!!」

「『お主』がっ!! 『今』じゃ!!」

 ――起き上がりながら、ナイアとの口論を始めた。

 ……おお、良かった。

 いつもの賢者さんだ。

 あまりにもいつもと違うから、『もう一人の僕』でも出て来たのかと思ったわ。

「言いがかりにしても、酷すぎる!! 温厚な僕にだって、限界はあるんだよ!?」

「はっ!! 仮にも賢者を名乗るのなら、堪えられん発情期の限界くらい、一人で処理してみせんかっ!!」

「君はどうしても、僕を変態にしたいみたいだねぇ!!」

「己が行動を振り返ってから、喋ってくれんかのぅっ!!」

 ぐるる、がるる――と肉食獣のようににらみ合いを続ける二人に、俺は後ろから声をかける。

「……あの、二人ともまず落ち着いて、話をしませんか?」

 そう言うと、二人は俺の方を見て……その後で、驚きのまま固まっているナンバたちを確認し、お互いに目を合わせた。

「……ここはノゾム君の顔を立てて退こうじゃないか。彼に感謝するんだね、ナイア君」

「はっ!! それこそ妾の台詞じゃ。良かったのぅ、自国民の前でこれ以上の醜態を晒さずに済んで」

 ……ううむ。

 やっぱり、この二人は水と油みたいだな。

 その後、俺たちはナンバたちに勉強会を途中で抜けることを謝罪して、理事長室へ移動することになった。

 憧れの賢者さんの意外な一面を、これ以上彼らに見せることは憚られたからである。

 ……ナンバには、明日事情を話すという約束をさせられたが、どうしたものか。



「……お、おぉ。もしかして、そこに居るのはノゾム君かの……?」

 理事長室に入った俺たちを迎えてくれたのは、濁り切って何も反射しない瞳で虚空を眺めながら佇む一人の老人だった。

「りっ、理事長!? 一体、どうしたんですか!?」

 俺は慌てて駆け寄り、変わり果てた老人に理由を聞いた。

「ふふふ。儂はもう駄目じゃ……。じゃが、君が来てくれて本当に助かった……これで、儂の役目は終わる……」

 そう言うと、理事長はゆっくりと瞼を閉じた。

 やがて、彼の体から力が抜けたのか、握っていた杖が静かに手を離れ――

 カラーン。

 ――床に落ちたことで、無機質な音を響かせた。

「理事長……? そんな、嘘ですよね。……理事長!!」

 俺が必至で、声をかけても、瞼を閉じた彼は一言も返してくれず、その体も指の一本すら動くことはなかった。

 ただ、最期まで立ち尽くすその姿は、まるで物語で聞いた武蔵坊弁慶のようだった。

「理事長ーーっ!!!!」

 俺の叫びが木霊する中、彼は眠りについた。

 ……文字通り。

「あ、寝たのかい? まったく、師匠を放って寝るとは本当に弟子としての意識があるんだろうか」

「師匠に似たのではないかのぅ」

「本当に疑問なんだが、君って奴はどうして喧嘩を売らずにはいられないんだい!?」

「はっ!! 賢い賢い賢者さんにも分からないことがあるんじゃのぅ!!」


 頼むよ、理事長。

 目を覚ましてくれ。

 こんな修羅場に俺を独りにしないでくれ。

 俺は心の中で、呼びかけたが――


 ――返事は無かった。

 黙して、立つ理事長の姿は、只の屍のようだった。

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