閑話 「下着泥棒」

「くそっ……」

 時間は二十二時を回った頃。

 男子学生寮に帰ってきた俺は、自分の部屋に向けて廊下を移動しながら、思わずそう言葉を漏らしていた。

「まさか、あそこまで警戒してるなんて……」

 呟きを続けながら思うのは、先ほど見た女子学生寮のことだ。

 三日も前なら、鼻歌交じりに下着を盗めた女子寮も、この二,三日の俺の犯行により、まるで要塞の様な警戒態勢に変わっていた。

 見た目にはさほど変化はないが、俺くらいになると、寮内に張り巡らされている結界魔法に気づくなんてわけの無いことだった。

「しばらくは大人しくしてるしかないか……」

 俺は肩を落としながら、廊下を歩く。

「まぁ、でも丁度良いのかもしれないな。昨日は危うく掴まる所だったんだし」

 そう言いながら思い出すのは昨日のことである。

 俺が初めて犯した失態は記憶に新しい。

 すっかり城塞と化した女子寮に愕然とした俺が、意気消沈して帰る途中に見つけた珠玉の宝、あの学園の才女と名高い『ローゼ嬢』のパンツだった。

 そのお宝は、貴族の別荘という檻に囚われてはいたが、試行錯誤と紆余曲折を経た上で、潜り抜けた俺は気づけばそのお宝を手にしていた。

 ――そこまでは良かったのだ。

「なっ!? どなたですの!? そこで何をしていますのっ!!??」

 だが、そこで喜びのあまりに気が抜けた俺は、最後の最後で下着の持ち主であるローゼ嬢に見つかってしまったのだった。

 そこから俺は、死に物狂いで、この男子学生寮に逃げてきたのだった。

 しかも途中で、手に入れたお宝を落としてしまう、という最大の失態を持って。

「あれは惜しかったよなぁ」

 今でもその時のことを思い出すと、奥歯を噛みしめるほどの後悔がこの身を襲ってくる。

 失われた宝の価値を思うと、それは悔やんでも悔やみきれないものだった。

 しかも、その失態の本質はそれだけではない。

 初めて、物的証拠を残してしまったのだ。

「だからこそ、今日は朝から頑張ったわけだが」

 このままでは犯人探しが始まると思った俺は、先手を打って、犯人をでっちあげることにしたのだった。

 その対象は、二,三日前からこの学生寮の噂を独占している、『最上階の悪魔』こと、ナリカネ ノゾムという人物だった。

 初めは苦し紛れに思いついた策だったが、ここ数日前から開始した俺の犯行と、そのナリカネの入居が同時期だったこと、ナリカネ自身が黒い噂の絶えない最上階に住んでいることや、連日連夜、ここが男子学生寮であるにも関わらず、少女を部屋に連れ込んでいるという状況から、下着泥棒の罪をきせることは難しくなかった。

「まぁ実際、もともと悪い噂は流れていたんだし、これくらいは良いだろう」

 そういう言葉で思考を終わらせた俺は、いつの間にか自分の部屋の前まで来ていた。

 そのまま、扉を開けて中に入る。



 部屋に入った俺が異変に気付いたのは、ふと部屋の中央にある机に視線をやった時だった。

「なっ……!?」

 そこには、俺のコレクションの一つである『白のパンツ』がぽつんと置かれていたのだ。

「どうして、ここに!?」

 俺はその下着を拾いながら、そう言葉を紡いだ。

 そして考えるのは、その下着がそこに置いてあった理由だ。

 俺の記憶が確かなら、このコレクションはいつも誰にも見つからないように、ベットの下にまとめて隠している筈だ。

 この『白のパンツ』だって、昨日の一人鑑賞会を終えた後は、しっかりと片付けた筈だが、仕舞い忘れたのだろうか。

 ……いや。

 それは考えにくいだろう。

 もしそうなら、朝や日中に俺が気づかないとは思えない。

 俺がそこまで考えた所で――


「動くと殺す……」


 ――後ろから声がかけられた。

「なっ!?」

 俺が思わず、声を漏らした瞬間、その声の主は、後ろから俺の口を塞いできた。

 そのまま、その人物は俺に対して言葉を紡いでくる。

「スキルを使うと殺す……声を出しても殺す……わかったらゆっくり目を閉じろ」

「……っ!!」

 その人物は動揺する俺に対して、ゆっくりと言い聞かせるようにそう言った。

 俺は初めこそ、声を上げてしまったが、今となってはそんなことは出来なかった。

 背後から押し寄せる初めての気配。

 言葉だけは知っていた『殺気』と呼ばれるそれを、俺は人生で初めて明確に感じていた。

 部屋に満ちるその殺気が作り出した、呼吸すら満足に出来なくなるほどの息苦しさは、その声が言っていることが真実である、と俺に知らしめていたからだ。

 ……殺されるっ!!

 少しの間を置いて、その人物はゆっくりと俺の口を開放した。

 俺が抵抗する気力を失ったことを察したからだろう。

「そうだ。それで良い。……まずは話がしたいんだ。座って話をしようじゃないか」

 後ろから、その声はそう言った。

 恐らく、声からして若い男だとは思うが、この鋭い殺気とはまるで別人のように落ち着いた声は、逆にいやな凄みを帯びていた。

 ズズズッ

「……!?」

 俺がそう考えていると、俺の目の前の椅子が引かれた。

 ちょうど、俺に着席を促すように。

 だが、声の主の気配は相変わらず俺の後ろから動いてはいないし、目に見える範囲でおかしな所はなにもない。

 まるで、怪奇現象のような光景に、俺は吐き気を感じていた。

「……うぇっ」

「どうした? 座れよ。ゲロを吐くくらい怖がらなくても良いじゃないか……安心しろ……安心しろよ、マーリー君」

 そんな俺の嗚咽に気づいたのか、後ろの男はゆっくりと、あくまで落ち着きを持ってそう言った。

「……」

 俺にその声に逆らうことは出来なかった。

「君は『復讐』というものをどう思う?」

 俺の着席を確認すると、その男はそんな質問を投げてきた。

「……」

 だが、俺にはその質問に対しての返答は出来ない。

 先ほど、男は声を出せば殺すと言ったのだ。

 その言葉が真実であるのは、決して緩まない殺気が教えていた。

「まぁ、答えは十人十色なんだろうな。『復讐』なんかをして、失ったものが戻るわけではないと知ったフウな事を言う者もいるだろう。許すことが大切なんだと言う者もいる」

 そんな俺の態度には興味が無いように、男は言葉を続けた。

「だが、自分の信用をドブに捨てられて、そのことを無理やり忘れて生活をするような人生は、俺はまっぴらごめんだ。……だから、俺は覚悟をしてきた」

 そこで、言葉を区切ると男は息を吸い、次の言葉を一語一句しっかり、はっきりと発音した。

「『復讐』とは自分の運命への決着をつけるためにあるッ!!」

 俺はそう考えている――、と続けながら、男はこちらへ対する言葉の中にも怒りを露わにした。

「マーリー君。……俺は今から君に復讐をする」

 男がそう言った瞬間――


 ドドドドドドドドドドッ!!


 ――部屋に謎の異音が発生した。

 低く、重く、重量感を持って、断続的に鳴り響く音は、まるで地響きのような迫力を持って、俺の精神に圧力をかけてきた。

 息苦しかった呼吸が更に荒くなる。

 聞いているだけで緊張感を高めるその音は、殺気ともあいまって俺から正常な思考を奪っていく。

「精々、犯した罪と、冤罪をかける相手を間違えた己を悔やむと良い」

 男がそう言うと、部屋にあった殺気は更に強まった。

 その台詞で、俺は男の正体を把握した。

 この男こそが、『最上階の悪魔』として名高い、ナリカネ ノゾムなのだ。

 この瞬間、俺の希望は全て無くなった。

 『最上階の悪魔』は本当に悪魔だったのだ。

 彼がどうやって、この短期間で俺が下着泥棒であることを知ったのか、鍵をかけていた筈の俺の部屋に侵入したのか、手も使わずに物を動かしたのか。

 それらは些細な謎だった。

 これから『悪魔』に処刑をされる俺にとっては、この殺気こそが、彼が『悪魔』である何よりの証明だったのだから。 

 ああ、俺はここで死ぬのか……。

 俺が震えながら、そう事態を把握した時、気づけば、先ほどまで震えているだけだった己の口が言葉を紡いでいた。

「……助けて。助けて下さい……俺に出来ることなら、何でもしますから」

 漏れたのは、我ながらみっともない命乞いだった。

 この殺気から考えると、そんな言葉一つでこの男が許すわけがないだろう。

 俺はそう思いながら、硬く目を瞑った。

「ん? 今、何でもするって言ったよね? 分かった。……そこまで、言うなら許そうじゃないか」

 ――だが、言葉の効果は劇的だった。

 先ほどまで、部屋を満たしていた殺気は嘘のように引っ込み、謎の音も静寂へと置き換わっていた。

「えっ……」

 俺は急激な男の態度の変化に驚く、そんな俺に対して、男は先ほどまでの態度が嘘のように、明るく声をかけてきた。

「だけどまぁ、それは君の誠意を見せて貰えたらの話だ」

「誠意……?」

 男はそう言うと、笑いながらとんでもないことを言ってきた。

「ああ。今から、そのコレクションだけを身に着けて、この学生寮を一周してこい。それが許す条件だ」



 その少し後。

 俺は、女性物の下着だけを身に纏い、学生寮の廊下を歩いていた。

「大丈夫だ……時間は深夜だし……」

 現在時刻は二十三時半といった頃。

 時刻は深夜といっても差し支えなく、『人が出歩く可能性は低いだろう』という悪魔の声を支えに、俺は右足と左足を交互に動かしていた。

「命あっての物種だ……殺されるよりは……」

 生殺与奪を握られた俺には、拒否権なんてなかった。

 今、俺の頭にあるのは、早くこの苦行を終わらせることだけだった。

「誰も出てくるなよ……」

 俺はびくびくしながら、廊下を歩く。


 そうやって、しばらく歩いていたが、幸運なことに誰とも会わなかった。

 そして、初めは恐怖しか感じていなかった俺だが――

「……なんだろう。俺、今ドキドキしてる」

 ――気づけば、胸の内には恐怖ではない感情が芽生えようとしていた。

 女性物の下着を身に着けていることで感じる、股間への強烈なフィット感覚。

 胸を焦がす、凄まじいまでの背徳感と羞恥心。

 誰かが今にも扉を開けるかもしれないというスリル。

 それらが合わさって、俺は『新しい俺』を知った。

「……盗むだけなんて、前までの俺はなんてちっぽけだったんだ。俺は今、本当の幸せというものを知った」

 そう呟き、俺はまた廊下を歩く。

 もう、びくびくしてはいない。

 むしろ、背筋を伸ばし、両足を交差させるように歩き、まるで、誰かに見せつけるように胸を張った。


 それからの行動はどんどん大胆になっていった。

 扉の前で、わざと少し立ち止まってみたり、がに股で廊下を進んでみたり、匍匐前進で床との摩擦を楽しんだりした。

「凄い……凄いぞっ俺っ!!」

 俺は新しい俺の誕生を心から喜んだ。

 今までの冴えない俺はどこにもいなかった。

 ここに居るのはどこまでも、どこまでも自由な俺だった。

「知らなかったっ!! 世界がこんなに自由だったなんて!!」

 俺は感激していた。

 今までの俺にとって、この世界という存在は酷く窮屈なものだった。

 重視されるのは学歴。

 そんな世界では、両親は俺が勉学に励むことを強く希望したし、俺だってそんな両親の期待に応えようと全力で駆け抜けてきた。

 結果として、この国内で一番古い歴史を持つ大学へ入れはしたのだが……振り返れば、俺の人生には何もなかった。

 娯楽などは勉学の妨げになると排し、色恋などともまったく無縁の人生。

 うわべの友人こそいれど、勉学を共に極めんと切磋琢磨する友人とも、俺は出会えなかった。

 そんな俺にとって、世界とは決められたルーティーンをこなすだけのものであり、酷く味気ないものだったのだ。

 ――だが、今は違う。

 今、俺は全身で自由を感じていた。

 今の俺を止めるものは誰もいない。

 気づけば、俺はスキップ交じりで学生寮を行進していた。

 この素敵な感覚を教えてくれた『最上階の悪魔』に感謝すら抱きながら。



 気づけば、俺の素敵な行進も、折り返し地点である一階の管理室の前に来ていた。

「ふぅ……もう、降りきってしまったのか」

 後はまた、階段を上がるだけだな――、と考えると、その時強い寂寥感が俺を襲った。

「そうだ! せっかく、折り返し地点に来たんだし、ここで一つパフォーマンスをしよう」

 そう考えた俺は、おもむろにその場でブリッジを取る。

 今にも開くかもしれないドアの前で、股間を強調するブリッジは、俺に最高のエクスタシーを届けてくれた。

 俺がそうやって、快感に酔いしれていると――


「今、出ればいいのよね……。っ!? ちょっと、マーリー君!? 何をやっているの!?」

「おい、騒がしいぞ? 一体、何の……変態かっ!!??」


 ――いきなり、目の前の管理人室の扉が開き、中から俺も良く知っている、寮母さんとその旦那さんが出てきた。

「へっ……?」

 とっさのことで、動けなかった俺は、そのまま旦那さんに押さえつけられてしまった。

「は……離せぇぇえええええ!! 俺は、俺は自由なんだぁぁああああ!!」

「くそっ!! 暴れるな変態!! このまま、憲兵に突き出してやる!!」



 翌日、憲兵に連れていかれた留置所で、こってりと絞られた俺は理解した。

 この世界は、やはり狭い鳥籠だった。

 人々は自分たちが作ったルールや常識で、自分の行動に制限をかけている。

 ――だけれど、俺は知ったのだ。

 あの自由を。

 ノゾムさんが教えてくれた、あの素晴らしき自由を。

「今は……大人しくしておこう……今は」

「おいっ!! 聞いてんのかっ!! この変態野郎っ!!」

 唾を飛ばす憲兵の言葉を、右から左へ受け流しながら、俺は胸に刻んだ。

 いつか、俺が開放するのだ。

 この閉ざされた社会から、人々を。

 俺がノゾムさんに気づかせてもらったように――。


 後に、大いに紙面を賑わせ、賢国を悩ませることになる、世紀の下着泥棒『純白の貴公子』は、今はただ、じっとその牙を研ぐのだった。

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