第54話 「奴は大変なものを盗んでいきました」

 前回のあらすじ


 ありのまま、今起こったことを話すぜ。

 夜中に街灯の明かりの元、女性用下着を掲げていると、クラスメイト(女子)に会った。

 何を言っているのか分からねぇと思うが、俺にも何が起きたのか分からなかった。

 陰謀とかそんなチャチなもんじゃ断じてねぇ。

 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。



「も……もう一度、お聞きしますわ。ノゾムさん。あなた一体何をしてますの!?」

「まっ!! 待ってください、ローゼさん!! 僕は……僕は無実です!!」

 あまりのことに一人称が変わる俺が居た。

 いや、もう実際問題、俺の頭の中はメダパニってた。

「私は何をしているのかを聞いているのですわっ!!」

 そんな俺に対して、ローゼさんは同じ質問を返してきた。

 そのお陰で、俺も冷静になる。

 そうか。

 今答えるべきなのは、俺が何をしているのか、だ。

 それなら、答えは――

「これが誰の物なのか調べようとしてます」

 ――簡単だった。

 そう。

 俺は落とし物を拾っただけなのだ。

 であれば、持ち主を調べて届けるだけである。

 うん、なんだ。

 落ち着いてみれば、簡単な話だな。

「なっ!! なんてことを言いますのーっ!! ハレンチっ!! ハレンチですわっ!!」

 だが、そんな俺に対して、ローゼさんは顔を真っ赤にして、抗議してきた。

「えっ? 俺、そんなに変なこと言いました?」

「当たり前ですわっ!! し……下着の持ち主を特定して、何をするつもりですのっ!!」

「え? いや、そりゃ返すんですよ」

 俺がそう言うと、彼女は真っ赤な顔のまま、口をパクパクと開けたり、閉めたりし始めた。

「えっ?……そっ、それでは、ノゾムさんはその下着を……どこに持っていくつもりですの?」

「そうですね。まぁ、見ても誰の物か分からなければ……とりあえずは、学生寮に持って行って寮母さんに預けようと思っていますが……」

「なっ!? なんで、寮母さんに渡すんですのー!!??」

 俺が先ほどまで考えていたことを話すと、ローゼさんは真っ赤を通り越して、真っ青な顔でそう言ってきた。

「いや……それは、俺には持ち主が分からないからですよ」

 俺がそう言うと、彼女は絶望的な顔になって、俯いた。

 そうすると、彼女の長い髪がその表情を隠してしまう。

「……ううぅ。なんていうことですの。……持ち主だと言うしかありませんの?……殿方に?……なんで、私がこんな辱めを受けねばなりませんの?」

 そのまま、彼女はこちらに聞こえないくらいの大きさで何かを呟いた。

「ローゼさん? 大丈夫ですか?」

 俺は急に元気が無くなった彼女を心配したが――

「ご主人。少し黙った方がいいです」

 ――その瞬間、俺の頭から飛び降りた猫に殴り飛ばされた。

「いってえええええ!!」

「まったく……」

 ノワールは落下しながら俺を殴りぬくと、その拳で俺が持っていた下着を奪い、着地した。

 某スナイパー並みに器用な奴である。

 そのままこちらに背を向けたまま、ローゼさんに近づいていく。

「ローゼさん。ご主人が大変失礼をしました。……重ねてお手数をおかけいたしますが、こちらの下着をローゼさんから持ち主の方へお渡し願えませんか?」

 そうして、猫はローゼさんにそう言った。

 ローゼさんはそんなノワールに驚いたようにしていたが、少しの時間を置いて笑顔になった。

「ええっ!! 分かりましたわ、ノワールさん!!」

 彼女はそう言うと、下着を受け取って、懐にしまった。

「この下着はしっかりお預かりしましたわっ!! 後は、この私が責任をもって、ご本人の元に届けますわっ!!」

 ローゼさんは張り切っているが……ノワールの行動は選択ミスだろう。

 だって、俺たちは先ほど、その下着を落とした男を見ているのだから。

 下着の持ち主は学生寮に居るはずなのである。

「あれ? でも、それが――」

「うぬ? 落としたのは男で――」

「ご主人もナイアも、それで構いませんね?」

 そう思った俺とナイアが疑問を口にしようとした瞬間、ノワールが割り込むようにそう言ってきた。

「ご主人もナイアも、それで構いませんね?」

 もう一度、口を開こうとした時に、いつもより低い声音でノワールは続ける。

「あ……ああ。それでいい」

「……う、うむ。妾も異論はないのじゃ」

 そのノワールにしては珍しい迫力に俺とナイアは思わずそう返してしまった。

「では、ローゼさん。お願いしますね」

「ノワールさん……。このご恩は絶対忘れませんわ」

 俺とナイアが折れたのを確認して、ノワールはローゼさんにそう声をかけて、なんだか感謝されていた。

「ううむ。ノゾムよ? 妾たち、なにかノワールを怒らせてしまったかのぅ?」

「分からん。……けど、まぁ、怒ってるって感じでは無いと思うぞ?」

 普段とは違うノワールの声に、うちの魔王様は心配になったようだった。

「ナイア。そんなに心配しなくても良いと思うぞ?」

「うむぅ。そうなのかのぅ? ノワールのああいう口調を聞いたのは二度目じゃから、なんだか不安になるのじゃ」

 二度目?

 ……。

 ああ、一回目は俺と一緒に、ナイアの自己犠牲を止めようとした時だったか。

 確かに、あの時と同じ口調だと考えるとナイアが心配になるのも仕方ないか。

 もともと、ナイアは対人関係のやり取りに慣れてない部分があるし、少し臆病な部分があるのかもしれない。

 ……煽りスキルはやけに高いのに、アンバランスな魔王様である。

 いや、煽りスキルも対人経験の無さが原因か?

 なんて俺が考えていると、ローゼさんとの会話を終えたノワールが帰ってきた。

「ただいま戻りました。ご主人、ナイア」

 そのまま、呼吸をするように、俺の頭へ登ってくるノワール。

 俺はそんなノワールに対して物申した。

「ノワール。流れるように俺の頭に戻る前に言うことがあるんじゃないか?」

 こいつはさっき、俺を殴り飛ばしているからな。

 せめて、謝罪の一つくらいあっても良いだろう。

「え? ああ、ご主人。お礼なら良いですよ?」

 なのに、いけしゃあしゃあとそんなことを仰るノワールさん。

「ノワール? お前、俺のことを嗜虐趣味マゾヒストだと思ってないか?」

「いえ? ただ、先ほどの私は本当に褒められても良いとおもいますよ」

 俺の台詞を受けても、平然としているノワールさん。

 ううむ。

 コイツとここまで、会話が通じないのは始めてだな。

 俺がまた一言、何か言い返そうと考えていると、そこにローゼさんから声がかけられた。

「あの……一つお伺いしたいのですが、ノゾムさんたちはこの下着をどうやって手に入れましたの?」

「えっ? ああ。そこで拾ったんですよ。先ほど、男の人が落として行きまして……」

「そうでしたの」

 そう言うと、彼女は悔しそうに顔を歪めた後で、深く息を吐いた。

「分かりましたわ。ちなみに、その男はどちらに向かって逃げましたの?」

「そうですね。学生寮の方向でしたけど……」

 それを聞くと彼女は難しい顔をした後で、肩を落とした。

「見つけるのは難しそうですわね……」

 肩を落としたまま、そう呟くローゼさん。

「……やっぱり、俺が見つけて、返しておきましょうか?」

 俺がそう言うと、彼女は先ほど下着をしまったポケット抑えながら、俺から後ずさった。

「なっ!! なにを仰いますのっ!?」

「えっ?」

 その反応に俺が驚くより先に――

「ご主人。もう黙って下さい」

 ――そう言った猫の言葉と共に、俺の意識は刈り取られていくのだった。



「……ゾム……ノゾムさんっ!!」

 気づけば、俺は学生寮の自分の部屋で、メルに起こされていた。

「……ん? あれ? メルか。なんで俺はここに居るんだ?」

「あっ!! 起きてくれました!!」

 俺が起きたと分かると、メルは破顔一笑という言葉の通りに、満面の笑みを浮かべてくれた。

 ううむ。

 なんて良い笑顔なんだろうか。

 惚れてまうやろー!!

 ――彼女の体が半透明でなければ、だが。

 まぁ、精霊のメルに無茶を言っちゃいけないな。

「あ、起きましたか」

「おお。ノゾム。おはようじゃ」

 俺がアホなことを考えながら上体を起こすと、リビングの方からノワールとナイアが声をかけてきた。

「ああ、ナイア。おはよう。……もしかして、また運んでくれたのか?」

 俺がこの部屋に居る時点で、大体お察しではあったけれど、万が一という希望も込めて聞いてみた。

「うむ。安心するのじゃ、ノゾム。しっかりと、前で抱えて運んだぞい」

 だが、胸を張ったナイアの言葉は俺の希望を吹き飛ばすのに十分な威力を持っていた。

 ちなみに、前で抱えるというのはお姫様抱っこのことである。

 俺はどこに安心すればいいのだろうか。

 三日に渡って、少女に運び込まれる俺の姿は、この学生寮の住民にどういう印象を与えているのか。

 考えるだに恐ろしい。

「……ノワール。ちょっとそこになおれ。成敗してくれる」

 そのナイアの返事を確認した時点で、俺は立ち上がり、今回俺を気絶させた犯人に向き直った。

 そのまま俺は、両手を広げ、肘を大きく曲げながら、片足も同じように高く上げて、膝を鋭く曲げる。

 俺はまるで、荒ぶる鷹のようにノワールを威嚇した。

「はぁ……。ちゃんと説明しますから、話を聞いてくださいね」

 そんな俺に対して、黒猫は呆れたように首を振りながら、俺に着席を促してきた。

「……」

 俺はとりあえず、恥ずかしくなったので、そのまま何も言わずにノワールの向かいの席に着く。

 こちらがテンションを上げても、向こうが付き合ってくれなければ恥ずかしくなるのはなんなんだろうか。

「……で、どういう理由で、お前は俺を二度も殴ったんだ? 生半可な説明では俺は許さんぞ」

「もう色々と面倒くさいので、結論から言いますけれど、ご主人。恐らくあの下着は、ローゼさんの物ですよ?」

「……ん?」

 その瞬間、俺の動きが止まった。

「まず、下着が女性物だったこと、最初の男の人が逃げている様子だったこと、その後にローゼさんがタイミングよく表れたこと。まぁ、以上の三点から推測しただけなので、確実ではありませんけどね」

 動きを止めた俺には構わずに、彼女は言葉を続けた。

 俺は必至でそのノワールの言葉を整理し、情報を理解しようとする。

「……つまり、お前はこう言いたいのか? 最初の男は下着泥棒で、ローゼさんはそいつを追いかけていたと」

「恐らく、という枕詞は外せませんけどね」

 確かに、どこにもそれが真実であるという証拠は無いし、現状からの断定はできない。

 ――が。

 言われてみれば、ローゼさんのようなしっかりした人が夜の十時なんていう時間に外を歩いていることは不自然であるし、あの男の態度も怪しかった。

 断定は出来ないけれど、その推論の可能性は異常に高いと思われる。

 というか、普通に考えて、男の人がああいう下着を持っているとは思えないし。

「……」

「さて、ご主人。そういう『仮定』の話を頭に入れた貴方は、私をどう成敗するのでしょうか?」

「すいませんっしたーっ!!」

 俺は高速でノワールに対して、頭を下げた。

 知らなかったとはいえ、本人を前に、下着の持ち主を探すだとか、下着を取り上げようとするとか、俺は中々の鬼畜だった。

 ノワールはそんな俺を止めてくれていたのだ。

「ふふふ。分かれば良いのです」

 そう言うと、ノワールは上機嫌で俺の頭に乗ってきた。

 まぁ、何も言うまい。

 こいつのお陰で助けられたのは間違いないのだから。

「……しかし、そうなるとローゼさんも大変だよなぁ」

 ノワールがしっかりと頭に乗ったのを確認して、下げていた頭をゆっくりと上げる。

 そうしながら思うのは、先ほど会ったクラスメイトのことだ。

 下着が盗まれるなんて、女性からしたら相当困ることだろう。

「何か力になれれば良いんだけれど」

 この数日で、彼女には大分助けられている。

 恩は返していきたい俺としては、何か彼女の力になりたかった。

「そうですねぇ。でも、今の時点では推測ですし、事態が事態なので我々から動くのも……」

 だが、そんな俺の言葉に対して、ノワールは難しそうに呟き、言葉を途中で止めた。

 まぁ、状況が下着泥棒だ。

 デリケートな問題だし、女性としてはクラスメイトの男子の力なぞ借りたくない可能性も高いだろう。

「そうだな。まぁ、現状は様子見しかないか」

「ええ」

 ノワールと話した俺はそう結論付けて、その後はナイアやメルも交えて少し雑談をした後で寝た。

 既に深夜と言って差し支えない時間だったし、今日は色々あって疲れていたからだ。

 布団に入った俺は、気づけば意識を手放していた。

 その日はそうやって、終わった。


 ――そう、『その日』はそれで終わった。

 終わってしまったのだった。


 今にして思えば、それが俺の犯した間違いだった。

 俺がこの後に起こる事件を止めるのなら、チャンスはこの時しかなかったのだから。

 下着なんていう物的証拠を落とした犯人が、犯行を誤魔化すプランを練っていたこの時しか。


 ――翌日。

 間抜け面をした俺が、いつも通りに学生寮を出て、バスで大学へ向かった時には、既に犯人は動き出していた。

 着々と、自分の身を守るために。


 ――結局、俺がその異変に気付いたのは、何もかもが手遅れになってからだった。



 講義を終えて、放課後のナンバとの自主勉強会も終わった後で、学生寮へ帰ってきた俺は、珍しいことに寮母さんに呼び出しをされた。

 たまに学生寮の入り口などを掃除しているこの寮母さんは、基本的にフレンドリーであり、学生を見かけると挨拶をしてくれる美人さんだが、それでもその場で世間話をする程度である。

 わざわざ、管理人室に呼び出した上で、話をされるというのは初めてだった。

「ごめんね? 急に呼び出したりして」

「いえ、それは全然かまいませんが……その要件と言うのはなんでしょう?」

「ええ。ご主人が知らぬ間に失礼なことをしていましたでしょうか?」

 滅多にないシチュエーションに、緊張しながらそう尋ねる。

 頭の上の猫もそれは同じようだった。

 ……ノワール。

 お前は一度、主人を貶さないと質問も出来ないのか。

 あとちなみに、俺とだけ話がしたいということで、ナイアもナンバもこの場にはいない。

「うん。私の方も遠回しに言うのは苦手だから……その、率直に聞くんだけど」

 そう言うと、彼女は少し覚悟を決めたような表情で、俺に質問してきた。


「ノゾム君が下着泥棒って本当なの?」


 ――後で分かったことだが、この時点で俺は後手に回っていた。

 この時、俺が寮母さんに呼び出しをされた時点で、俺が下着泥棒であるという噂は、学生寮内に浸透していたのだった。


「あ、あのね? 私も君くらいの年頃の男の子なら、そういう……なんていうのかな? えっと、……そ、そのちょっと……エッチ……なことに好奇心があるのは分かるんだけどね? 人の物に手を出しちゃ駄目だよ?」


 下着泥棒とかいう不名誉な冤罪をかけられている――と、判断できたこの瞬間。

 俺は生まれて初めてマジに神様にお願いをしていた。


 『どうか、この僕に人殺しをさせて下さい』……と。


 ローゼさんの下着だけでなく、俺から周りの信用を盗んだ犯人を、俺はこの手で裁くと固く誓ったのだった。


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