第53話 「獲物は確かに頂いたぜ」

「ふぅ。息が詰まったな」

「ええ。とても気を遣う時間でしたね」

「かかかっ。妾的にはなかなかに愉快な時間であったがの!」

 俺の寿命がストレスでマッハな食事時間を済ませた後、俺たちは賢者と別れた。

 食事の後、賢者は理事長と話があると言って、どこかへ転移してしまったのだが、その時、理事長が見せた表情を俺は忘れない。

「ムンクの叫びみたいな顔してましたね」

「……まぁ、師弟なんだし酷いことにはならないだろ」

 かの東方不敗も弟子にはなんだかんだ甘かったわけだし。

 そんな訳で、自由になった俺たちだが――

「しっかし、今日は正直疲れたな」

「……ええ。午前中は迷宮に、午後は賢者さんと対談でしたからね」

「ううむ。いつの間にか日も暮れておるしのぅ」

 ――今は疲れ果てていた。

 現在時刻は夜の二十一時頃。

 それなりに良い時間である。

「ご主人。この後はどうするおつもりですか?」

「決まってるだろ、ノワール。……帰って寝る。今日はしんどい」

「では、バス停へ向かおうかのぅ」

 ナイアにもノワールにも異論は無かったようで、俺たちはバス停への移動を開始した。


 ザッザッザッ。


 そうやって、バス停に着いた俺たちが衝撃的な事実を目撃した。

「もう、バスが無い……だと……?」

「はははっ、ご主人。冗談はやめて下さいよ。黄昏よりも暗くなってきたとはいえ、今はまだ9時ですよ? そんな時間にバスが無い訳……」

「どうやら本当みたいじゃのぅ。まぁ、通学用だと考えれば、学校が休みの日のこの時間に走らせるのは無駄じゃしのぅ」

 時に現実は残酷である。

「それじゃあ、どうしますか? ご主人」

「……まぁ、バスが無いなら歩いて帰るしかないよなぁ」

「そうじゃのぅ」

 疲れている俺には厳しいが、それしかないだろう。

 幸い、学生寮までの道は覚えているし、間のバス停の数も多くは無い。

 恐らく、歩いて一時間程では帰れるはずだ。

「正直、ちょっと辛いけど仕方ないよな」

「うぬ? ノゾムよ、辛いのなら妾が負ぶろうか?」

「ご主人……」

 やめろ、ノワール。

 そんな目で、俺を見るんじゃない。

 平時から少女をタクシー代わりにするほど、俺だって、堕ちちゃいねーよ。

「ありがとう、ナイア。でも、大丈夫だ。自分で歩くよ」

 俺はナイアの気遣いに礼を言って、その申し出を断った。

「そうかの? まぁ、辛くなったら言うんじゃぞ?」

「はははっ。ありがとうな、ナイア」

「ご主人が鬼畜で無くて良かったです」

「……俺の評価が上がったのなら、何よりだが、お前はそろそろ鏡を見ような?」

 なんか、上から目線(物理的にも)で評価をしてくるノワールさんだが、常日頃、主人の頭の上に居座り、タクシー代わりにしているこの黒猫には、俺に御高説を垂れる資格はないだろう。

「ご主人。この世には二種類の存在がいるのです。それは上に居るものと、下に居るものです。分かりやすく言うのなら、ご主人をグレンだとすると、私はラガンということになりますね」

「ノワール。……天は人の上に人を作らず、という言葉があってな?」

「しかし、現実はそうではない、と続きで福沢先生も説いていますね」

「……人と言う字は支えあって出来ているんだぞ? 上下ではない助け合いの思想を持つことが大事だと思わないか?」

「あれって、絶対に長い方が短い方に寄りかかっているだけですよね?」

 むぅ。

 いつも通り、ノワールさんを動かすのは難しいようだった。

 俺では口先の魔術師にはなれないらしい。

「ところで、私からタクシーに一つお願いがあるのですが」

「主人を名実共にタクシー扱いするのは止めろ。……で、お願いってなんだ?」

「ええ。前のナイアを追ってください」

「ん?……ってナイアー!!」

 ノワールの言葉に気づいて前を見れば、ナイアが一人で遠くに行ってしまうところだった。

「ん? おお、ノゾム、ノワール。なにやら、美味しそうな匂いがあちらからするのじゃ。行こうぞ」

「あれだけ食べたのに、まだ入るのか……。分かったから、一人で遠くに行くのは止めてくれ」

 そうして、俺たちは寄り道をしながらも学生寮へと向かうのだった。

「しかし、夜になるとまた雰囲気が変わるもんだなぁ」

「そうですねー。特にこの世界では街灯も少ないですし」

「うむ? ノゾムたちの感覚では、そうなのかのぅ。妾からすれば、十分に明るいと思うのじゃが……」

「うーん。なんというか、街灯の感覚が広いんだよな。俺が元々いた世界だと、もう明かりには不自由しないくらいに置いてあったからさ」

 まぁ、正確には街灯以外の明かりも多かったんだけど。

 コンビニエンスストアや自動販売機、大型のショッピングセンター、駅前の明かり、看板やまだまだ電球が明るいビル群。

 案外、あの世界も街灯だけにすれば、このくらいなのかもしれないな。 

「ふぅむ。しかし、それでは夜の風情はないのではないかのぅ?」

 ナイアは俺の話を聞いた後で、そう言った。

 まぁ、確かに。

 街が明るすぎて、夜の天体観測が出来ないとかあったしな。




 そうやって、寄り道や、雑談を重ねていると、気づけば俺たちは学生寮の近くまで来ていた。

「おお、もうすぐだな」

「ええ。あと五分くらいでは着きそうですね」

「うぬ? なにか来よるぞ?」

 俺とノワールが話していると、ナイアがいきなり、そう声をかけてきた。

「なにか来るって? なんだ? ナイア」

「いや、ほれ。そこの路地からのぅ」

 聞き返した俺に向かって、ナイアは一つの路地を指さしながら、言葉を返す。

 その瞬間――

「はぁっ……はぁっ……」

 ――、一人の男が路地から飛び出してきた。

 暗かったため、顔は良く分からなかったが、彼は酷く焦っているようで、まるで何かに追われるように必死に足を動かし、俺たちの前を駆け抜けていった。

「……なんだったんだ? 今のは?」

「男の人みたいでしたけどね? どうしたんでしょうか?」

「それも気になるのじゃがのぅ。あ奴、なにか落としていったぞ?」

 あっけに取られていた俺たちだったが、ナイアは男が走り去る時に何か落とした所まで見えたらしかった。

 そのまま、その何かを拾いに行くナイア。

 ふむ。

 さすがは魔王ヴァンパイア。

 俺たちよりも夜目は効くようである。

「ご主人、どうしましょうか?」

「まぁ多分、俺たちと同じく学生寮の生徒だろうから、帰りがてら届けに行くか」

 すれ違った男は顔こそはっきりとは見えなかったが、身長とかから察するに、まだ学生だろう。

 走り去っていった方向からしても、学生寮の住人である可能性が高いし、学生寮まで届けて、大家さんにでも頼んで、なんとか本人に届けられるようにしておこう。

 俺がそこまで考えていると、首を捻りながら、ナイアが戻ってきた。

「……ふむぅ? なぜにかようなものをあ奴が持っておったんじゃ?」

「ん? どうしたんですか、ナイア? やけに首を傾げたりして」

「いや、あ奴が落とした物がのぅ」

 その態度を不思議思ったノワールが尋ねると、ナイアはそう言いながら落とし物を俺に渡してきた。

 俺もそんなナイアの態度に興味が沸いたので、受け取ってノワールにも見えるように顔の前に持っていく。

 少し見づらかったので、一番近くの街灯の下に移動して確認した『それ』は、淡い桜色をした布地で出来ており、掲げるときにゴムの様な収縮性を垣間見せ、柔らかな感触は触っている掌に心地よさを伝えてきた。

 そう、『それ』は俗に――


「なっ!? ノゾムさん!! そこで何してますのーっ!?!?」


 ――『パンツ』と呼ばれる代物であった。

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