第51話 「どっちも自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」

「それで、何があったんですか?」

「ええ。なにやらすごい剣幕で二人とも喧嘩してましたけれど……」

 椅子に座り、腰を落ち着けた俺は、ノワールを頭に乗せたまま、そう尋ねた。

「うむ。……どこから、話したもんかのぅ」

 そんな質問に対して、理事長は髭に手を当てて考え出した。

 俺はそれを視界に入れながら、目の前のお茶に手をつける。

 ちなみに、俺たちは今、理事長室とは少し離れたトリスさんの部屋に来ていた。

 学内に個人の部屋があるとは、やはり大学教授とやらはこの世界でも格が違うらしい。

 ……まぁ、当の本人は理事長の命令で茶葉の買い出しに行かされてるから、良いことばかりでもないんだろうけれど。

 閑話休題。

「まぁ、順を追って話そうかの。お主たちが気絶した後でのぅ」

 ――という言葉で始まった、理事長の話をまとめると以下のような内容だった。


 あの後、理事長の説得によって、賢者はとりあえず、ナイアから話を聞くことにしたらしい。

 その中で、三百年前の魔王討伐について、実は大きなすれ違いがあったことが発覚したのだった。

 まず、勇者パーティと魔王が戦うことになった経緯だが、実はこの人間の大陸において、魔大陸を支配していたナイアは、真に『魔王』として認識されていたというのだ。

 ――というのも、新大陸に思いを馳せ、魔大陸へ旅に出た冒険者たちが、全員、それこそ老若男女一人の例外もなく、死体で帰ってきたからということが原因らしい。

 また、その死体には酷く痛めつけられたような痕跡が見受けられたリ、人間たちが住んでいるこの大陸をも、いずれ『魔王』の名の下に支配してやる、というメッセージが刻まれていたりしたそうな。

 この事態を重く見た人間側は、人間としては規格外なステータスを持つ勇者たちによって、『魔王』という脅威を取り除くことにしたらしい。

 それが決まってからの行動は異常に速かったそうだ。

 どこからか入ってきた『月の全く出ない夜こそ、魔王がもっとも弱る日である』、という情報は勇者たちを一番近い『新月』の日に、魔王城へと攻め入らせるに十分なものだった。

 その奇襲性に重きを置いた電撃作戦の結果は、『魔王討伐』という形で幕を引いた。

 それが人間側。

 この場で言えば、『賢者』と『理事長』が知っている三百年前の事実だった。

「……それは、俺たちがナイアから聞いた話とは少し違いますね」

「うむ。そこなのじゃよ。今回の問題点はのぅ……まさか、魔王が誰も殺しておらんとはのぅ」

 そう。

 俺が以前に聞いたナイアの話では、ナイアは魔王城に来た人間を一人の例外もなくボコボコにして、力の差を思い知らせた上で、魔王城の外に叩きだしたと言っていた。

 その話が本当なら、ナイアは誰も殺していない筈なのだ。

 ――それこそ、一人の例外もなく。

 俺がこの矛盾に頭を捻っていると、頭の上の黒猫は酷く焦ったように理事長へ声をかけた。

「……っ!? 待ってください。それじゃあ――」

「気づいたようじゃのぅ。ノワール君……そうじゃ、別の第三者による介入があったということは間違いないじゃろう」

 理事長はそんなノワールの言葉に対して、静かにそう返した。

「第三者……」

 俺は少し、愕然としながら言葉を漏らした。

「そうじゃ。……少なくとも、魔大陸に渡った人間を皆殺し、人間側の危機感を煽った存在がおったはずじゃ」

「……」

「……」

 吐き出されるように紡がれた理事長の言葉に、俺とノワールは沈黙を持って答えることしか出来なかった。

 その考えが否定できない内容だったからだ。

 結果として、殺していない魔王と死んでしまった人間が居る以上、何者かが間に入っている筈なのだ。

 人間側に魔王への敵意を持たせ、ついには勇者パーティを利用して魔王を殺させた何者かが。

「――ん? でも、それなら……どうして今、賢者様とナイアが喧嘩をしているのですか?」

 だが、そこで俺は疑問を持った。

 今の話が確かなら、明らかに第三者が問題であり、賢者とナイアが争う理由もないと思ったからだ。

 裏に第三者の意図があったとすれば、そんな二人の不和こそ、その第三者の思惑通りなのだろうから。

「あー。それはじゃのぅ」

 俺のその言葉を聞くと、理事長は疲れも露わに目元を抑えて、首を後ろに傾けた。

 そのまま彼は言葉を続ける。

「始まりは師匠がナイア君に詫びたことじゃった……誤解だったとはいえ、一度ナイア君を殺めているわけじゃしの。それはそれは、誠意を込めた謝罪じゃった」

 理事長の言葉を聞いて、俺はますます分からなくなった。

 なので、静かに理事長の言葉の続きを待つ。

「……ただのぅ。一度、殺されたナイア君としては積もり積もる感情があったらしくてのぅ。……謝罪をする師匠を責めまくったのじゃ」

「……」

「……」

 そんな理事長の言葉で俺は思い出していた。

 あの普段は明るく優しい魔王様が、勇者パーティのことを思い出す時だけ般若のような顔になることを。

 ……まぁ、ナイアからすれば、殺されただけでも腹立たしいのに、殺され方が弱体化しているところを四人がかりでフルボッコって言ってたからなぁ。

 しかも今回、そもそもの殺害動機が誤解だったと分かったのである。

 寛容さに定評がある、うちの魔王様をしてもメチャ許せんっていう感じなんだろう。

「師匠も初めは自分に非があるとして、耐えておったんじゃが……ナイア君の言葉が実に的確に胸に響くモノばかりでのぅ。……やがて、師匠が逆ギレしたのじゃ」

 そこからは売り言葉に買い言葉でのぅ、――と理事長は疲れたように語った。

「なるほど」

「ええ。大体、分かりました……心中お察しします」

 もう疲れたと全身で語る老人に、俺とノワールは同情的な視線を向けて、溜息をつきながらお茶をすすった。

 ――ナイアはその可愛らしい見た目に反して、凄まじいまでの煽りスキルの持ち主だ。

 それを考えると、この理事長が見た光景もなんとなく想像がついた。

「……ちなみに、二人はどれくらい言い争っているんですかね?」

「……二時間くらいかの。ああ、言うておくと、ノゾム君たちが倒れたのは五時間程前になるのぅ」

 ――ということは賢者さんは、少なくとも大体二時間くらいはナイアへ謝罪を続けていたということか。

 背景を考えると、賢者様が逆ギレをするのはおかしい筈なんだが……ナイアの毒舌を知っていると、二時間も謝罪を続けた賢者様を称賛してしまうのはどうしてなんだろうか。

「このお茶。美味しいですね」

「うむ……儂のお気に入りじゃ」


 事態を理解した俺は理事長と二人、ゆっくりと茶をすするのだった。



「……さてと、それじゃ行きますよ。理事長」

「のぅ。何もかも忘れて、旅に出んかの? 割と本気でそれも選択肢だと思うんじゃが?」

 あれから、茶を飲みながら、少し雑談に花を咲かせた俺たちだったが、さすがにいつまでも現実逃避をしている訳にもいかず、問題の理事長室前に戻ってきていた。

「俺としても中々に魅力的な提案ですが、さすがにそう言う訳にもいかないでしょう。……開けますよ?」

「ふぅ。……まぁ、そうじゃよなぁ。師匠が相手ならどこに逃げても意味は無いじゃろうし」

 そう言って、力なく理事長が頷いたのを確認して、俺は扉を開けた。

 瞬間――

「大体、四人がかりってなんじゃっ!! 勇者だとか賢者だとか大層な名前を持ちながら、恥ずかしいとは思わんのかっ!!」

「ステータスで僕らを圧倒している『魔王』にそれを言われるとは思わなかったねっ!! それを言ったら君だって、自分より遥かに、か弱い存在に一対一をしろなんて、それこそ恥ずかしいと思わないのかい!?」

「なにが『か弱い』じゃ。妾の全身を消滅させたお主がか? これはまた面白い冗談じゃのう」

「接近戦で勇者や剣聖の剣戟を縫いながら、僕や聖女にも魔法を叩きこんでくる存在と比べたらか弱いと思うんだけどねぇ。実際、僕たちの方にだって全く余裕は無かったからね?」

「それこそ、妾の『か弱い』抵抗ではないか!! 恥を知れ!! 恥をっ!!」

「直撃すれば、確実に死ぬような拳や魔法を打ち込んでくることが、君の言う『か弱さ』なのかいっ!?」

 ――俺は、相も変わらず部屋の中は修羅場であることを理解した。

「あのー。お二人とも」

「その……そのくらいにしませんか?」

「……」

 俺たちは激しく言い合いを続ける二人に戦々恐々としながら声をかけた。

 理事長は沈黙を選んでいたが……理事長ェ。

「うん?」

「なんじゃっ!?」

 それで、二人とも部屋に入ってきた俺たちに気づいたらしく、こちらを見てくれた。

「おーっ!! ノゾムっ!! ノワールっ!!」

 そして、俺たちを確認した時点で、ナイアは、こちらへと歩み寄り、抱き着いてくる。

 ……。

 反射的に警戒してしまったが、さすがにこの短期間で同じミスをするほど魔王様は抜けてはいないようで、前回の俺の意識を刈り取ったハグとは違い、今度のハグはちゃんと加減されたものだった。

 俺はそんなナイアの頭を撫でながら……さりげなく体を離していく。

 ……幼女から少女になったナイアには色々と男心というものを理解して頂きたい。

「ご主人……まさか、悟りを」

「ノワール。俺は小学校五年生に劣情を抱いたりはしない」

 実際、まだ自分の腹くらいまでの身長しかないナイアに欲情できるほど、俺は高みにはいない。

 ただ、世の中には大きなお友達という特殊な性癖をお持ちの方もいるから、ナイアにはもっと警戒して欲しいのだ。

「すまんかったのぅ。二人とも。……もう痛くはないかの?」

 そうして、こちらを見上げてくるナイア。

 そこには先ほどまで見せていた鬼の形相はもう無かった。

 ……怖いわ。

 女の人って本当に怖い。

「ああ、もう大丈夫だ」

「ええ。心配をかけてすいません、ナイア」

「ああ、よかったのじゃ。……ノワール」

 そう言うと、ナイアは俺の頭の上のノワールに向けて、両腕を伸ばした。

 それを受けたノワールは、ぴょんと飛び出し、魔王の胸に飛び込んだ。

 ナイアはそんなノワールを優しく抱きしめ、頬ずりをし始める。

 そこに言葉は必要なかった。

 二人はただただ、お互いの親愛を確認するかのように、身を寄せ合うのであった。

 うん。

 今日も世界は平和です。

「そこにいるのは僕の不逞の弟子じゃないか。そう言えば、いつの間にかいなくなってたね」

「……師匠が頭を下げるところなど、弟子の私が見るのは不敬に当たると思いましての」

「なるほど。僕の記憶が確かなら、君が逃げたのは僕と彼女の口論が始まってからだと思ったけれど……何か言うことはあるかい?」

「……師匠。勘弁して下され。あのような場に居続けるなどこの老体には堪えます故」

「僕より若いくせに言うじゃないか。嫌味かいそれは?」

 ……向こうでは理事長が笑顔で、責められていた。

「ええっと、ルーエさん」

「……何かなノゾム君?」

 そんな中、俺が声をかけると、賢者はジト目でこちらを見つめてきた。

 ううむ。

 気絶する前は、それなりに親しみを込めた眼差しだったのだが、どうやらこの数時間でそれは失われたようだった。

 ……まぁ、避けられたとはいえ、彼女に向けて蹴りを放ったりしたしな。

 むしろ、ジト目で済んでるだけ温情というものかもしれない。

「あの、先ほどいきなり蹴りかかってすいませんでした。……それと、少しお話ししたいのですが」

「……」

 彼女はしばらく、無言で見てくるだけだったが、少しすると額に手を当てて、言葉を返してくれた。

「ふぅ。……そうだね。僕からも聞きたいことがあるし。蹴りのことなら気にしてないから謝らなくていいよ」

 彼女はそう言うと、手でこちらに座るように促しながら、自身も腰を掛ける為に椅子に手をかけた。

「かかかっ。気をつけるのじゃぞ、ノゾム。油断すれば消し炭にされるかもしれぬからのぅ」

 ――だが、そんな賢者の心遣いに対して、うちの魔王様は爆弾をぶち込んだ。

「君は本当にっ!!」

「かかかっ!! おっ? またかの? あーあ。また三百年ほど眠ることになるのかのぅ。妾は誰も殺しておらんのじゃがのぅ。三百年は長いぞ? あ、妾が死んでいる間もお主たちは生きておったんじゃから、知っておるか。妾が死んでいる間にも時間は流れていたはずじゃしのぅ」

「……っ!!」

 あ、賢者さんが握っていた椅子の背もたれが握りつぶされた。

 これは怖いわ。

 静かに横目で確認すると、理事長の目から光が消えてた。

 ……老人のレイプ目なんて初めて見たぞ。

「ナイア……あのな」

 俺はとりあえず、ナイアを止める為に声をかけることにした。

 この状況では話が進まないと感じたからだが――

「安心するのじゃ。ノゾム。この賢者なる存在は、無実の妾を惨殺するような人物じゃが、なんとか妾の命だけで許してもらえるようにするからの」

 ――ノリノリなナイアの口は滑らかに続きを紡いでいた。

 ううむ。

 結構、根が深い問題なのかもしれないな。

 ――などと、俺が考えていたその時。

「……僕たちが悪かった。それは疑う余地がないことだし、それについては弁明の言葉もない」

 その言葉を受けた賢者が、頭を深く下げた。

 その態度からは、先ほどまでのような怒りは伺えず、本当に申し訳なく思っているという雰囲気が伝わってきた。

「君を殺めてしまったことは取り返しがつかないことだし……謝って済む話ではないことは分かっている」

 そう言うと、彼女はゆっくりと頭を上げて、まっすぐとナイアを見ながら言葉を続ける。

「そろそろ、冗談は抜きで謝らせて欲しい。……僕に出来る謝罪ならなんでもしよう。許してもらえなくても構わないが、茶化してはぐらかすのは止めにしないか?」

 そういうと、彼女は言いたいことは言ったとでも言うように、口を閉じた。

 俺はナイアをちらりと見る。

 俺の視点からでは、ナイアの表情は髪に隠れて見えないが、さっきまでとは違って、どこかからかうような雰囲気は消えていた。

 ナイアとしても、賢者が本気で謝罪したいと考えていることを理解したのだろう。

「……なんじゃ。バレておったんじゃのぅ。妾がお主をからかっておったことは」

「……まぁ。理由までは分からないけどね」

 そこで、ナイアは髪をかき上げて、まっすぐと賢者を見つめ返した。

「まぁ、確かにそろそろよかろうて。……正直に言うとのぅ。妾はもう、それほど主ら勇者パーティを憎んではおらん」

「なっ!?」

 ナイアのその言葉に賢者は大きく息を飲んだようだった。

 だが、それは賢者だけではない。

 横にいる理事長だって、俺とノワールだって少なからず衝撃を受ける内容だったのだから。

「それは……どうしてだい? 僕が言えた義理ではないけれど、君が受けた苦痛はとても簡単に許せるものではない筈だ」

「ふむ。簡単じゃ。……それのお陰で、妾はノゾムとノワールに会えたからの」

 驚きを隠せない賢者の質問に対して、ナイアは満面の笑みを持って応えた。

 その言葉に嘘がないことは、その表情を見れば明白だった。

「主らに殺されるまで、妾の人生は生きているだけで、酷く味気の無いものじゃった。妾が今、この世を心から謳歌出来ておるのは、ある意味では主らがあの日、妾を完全に殺したからじゃ」

 じゃから、主らに対して既に恨みは無い――、と彼女は言いきった。

 この魔王様の懐は、相変わらず俺の様な小市民には読み切れないようだった。

「……敵わないね。完敗だ」

 賢者もそんな魔王様には敵わなかったようで、呆然とした様子から立ち直ると、呆れたようにそう言った。

 ――というか、それだけ言うのが精一杯のようだった。


 そして、場が暖かくなっていく。

 そこには先ほどまでの険悪な雰囲気は既に、影も形も無かった。



「……でも、ナイア。それほど、恨んでいなかったのなら、どうして最初からそう言わなかったんですか?」

「まぁ、恨みは無いが、殺されたのは事実じゃしのぅ。許しを乞うて頭を下げるそこな女が、中々に見てて愉快じゃったから、からかいたくなったのじゃ」

 そして、そんな雰囲気は数分もしない内に、ノワールの直球ストレートとそれを真芯で捉えたナイアの特大ホームランにより、場外に飛ばされてしまった。

 どうやら、この魔王様は単純に愉快犯として、自分を殺した相手をからかっていたらしかった。

 本当に強かな魔王様である。――乙女は強くなくっちゃね。

「……君はそんな理由で、僕の謝罪を二時間もはぐらかして、あまつさえ暴言を叩きこんでいたのかい?」

「かかかっ。こちらに気を使いつつも、罪悪感からポーズ以上の強気には出れず、落としどころを必死で模索するそなたは良い道化であったぞ。実に大儀であった」

「君って奴は本当にっ!!」

「おおっ。すぐに手を出すのかの? 三百年前から何も変わっておらんのぅ」

「だぁぁぁあああああああ!! 君は本当に魔王だったんだな!! 表に出ろ!! 今度こそ、全てを消滅させてやるっ!!」


 俺たちが話し合いのテーブルにつくのはもう少し後のようだった。


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