第50話 「忘れたくてもそんなキャラクターしてねーぜ。テメーはよ」

 ……

 …………

 そこは音のない空間だった。

 見渡す限りが暗闇で、目を開けていても、閉じていても変わらない。

 そんな空間で俺は片膝を抱いて座っていた。

 意識がぼんやりしている。

 自分が誰で、どうしてこんな所に居るのかすら曖昧だった。

 そうして、呆けていると。

 ――急に声がかけられた。

「どうしました、ご主人。ざまぁありませんね」

「……お迎えがお前とは皮肉だな……まぁいい。早く連れていってくれ」

 見れば、声の方向には、わずかな光を身に纏った見覚えのある黒猫が、どこかシニカルに笑いながら、こちらを見ていた。

 俺はこの猫を知っている。

 なぜか名前は思い出せないが、いつも傍に居たこの黒猫のことを俺は知っている。

「ご主人。馬鹿を言ってはいけません。私はただ、貴方をあざけり笑いに来てあげたんです」

 そう言うと、猫は俺の傍により、俺の足にちょこんと自らの手を乗せてきた。

「いつまで寝てるんですか」

 そのまま黒猫はそう言葉を続けた。

「もういいんだ……もう疲れた……」

 そう言う黒猫を見るともなしに、俺は言葉を返す。

 そんな俺に対して――

「ご主人は本当に仕方のない方ですよね」

 ――そう言って笑う黒猫。

 何故だか、俺は少し恥ずかしくなった。

 自分のことはあまり思い出せないが、この猫は俺のことを深く知っているような気がしたからだ。

「俺はもう店じまいだ。……なんだか、胸に穴があいた気分なんだよ」

 そう言って、俺は自分の胸に手を当てる。

 そこには何も異常はない。

 ――何故か感じる虚無感以外には。

 何か、大事なことを忘れている気がする。

 とても大事な何かを――。

「ふふ。ご主人。――これを覚えていますか?」

 そう言うと、黒猫は『黒い招き猫型貯金箱』をどこかから取り出し、俺に渡してきた。

「これは……この世界に来た時の……」

 それを見た時に、自分の口から意味の分からない言葉が出た。

 その言葉の意味すら理解せずに、ただただ、ぼんやりと俺はその貯金箱を受け取る。

「ええ。私の雛型になった<スキル>ですね」

 そう言いながら、黒猫は一つの金貨を俺に渡してきた。

「せっかくなので、再現してください。ご主人」

「……」

 チャリン……

 俺は黒猫に言われるままに、金貨を貯金箱に入れた。

 それを横目で確認した猫は、またどこからか出した金貨を渡してくる。

 入れる。

 チャリン……

 入れる

 チャリン……

「そのまま聞いてください。ご主人」

「……」

 チャリン……

 俺は黒猫が言うように、金貨をただただ入れながら、黒猫の言葉を聞いていた。

 なぜかは分からないけれど……安心する。

 胸に何かが満ちていくようなこの感覚はなんだろう。

「私は……夢を、見ていたんです」

「……」

「夢の中のその人はとても不器用で……」

「……」

「とても優しくて……とても素直で……とても可愛い女の子でした……」

「……ノワール」

 黒猫の名前を呼ぶ。

 そうだ。

 どうして忘れていたんだろう。

 この黒猫の名前を。

 ――そして、一緒に旅をした魔王のことを。

 ノワールとナイアのことを考えると背中に鳥肌が立つのはなぜだろう。

 それは目的が一致した初めての仲間だったからだ。

 一億をかせぐという、この旅。

 数十日の間だったが気持ちがかよい合っていた仲間だったからだ。

「きっと会える……それが、私が最後に見た、あの子の夢です」

「でも――俺の胸には穴が……っ!!」

 ノワールの言葉に、気づけば俺は立ち上がっていた。

 そして、そんな俺を見上げながら、ノワールは微笑みと共に言い切った。

「ふふふ。……ご主人の胸にもう――穴なんて開いてませんよ!!」

 その言葉を最後に――


 ――俺の意識は覚醒した。 




「お、起きたかのぅ」

「「……っ!?」」

 目を覚ました俺とノワールが見たものは、最近ですっかり馴染みになった御爺様のドアップであった。

「理事長っ!! ……ここは?」

「医務室……ですか?」

「うむ。あの後、気絶した君たちをそのまま寝かせておくわけにもいかんかったからのぅ」

 そう言いながら、髭をさする理事長。

 その顔にはどこか疲れが見えた。

「あの後……っ!? そうだナイアは!! ナイアはどこですか!?」

 そんな理事長の言葉を受けて、俺は理事長に詰め寄った。

 寝起きでボケている場合ではない。

 今、慌ててこの部屋を見回しても、あの素直な魔王はどこにもいないのだから。

「落ち着くのじゃ。ノゾム君。……ナイア君なら今、理事長室におる」

 理事長はそんな俺を宥めるようにそう声をかけてきた。

 だが、そんな言葉だけで落ち着くことなんて出来るわけがなかった。

「ナイアは平気なんですか!?」

 それは頭の上のノワールも同じらしく、珍しく詰問するような口調で理事長に問いかけている。

「……」

 だが、そんな質問に対する理事長の答えは沈黙であった。

 俺は思わず、彼のローブの襟首を掴み、叫ぶ。

「答えて下さい!! 理事長!!」

 彼はそんな俺を見て、沈痛な面持ちで佇むだけだった。

 その表情が嫌な想像ばかりを掻き立てていく。

 ――賢者はナイアを見た時にハッキリとこう言っていた。

『なっ!! あり得ない……確かに、三百年前にっ!!』

 それは、ナイアを見て、彼女が魔王である、と判断したという決定的な証拠にほかならない。

 それならば、勇者パーティのメンバーである賢者が魔王を放っておくだろうか。

 最悪の場合――俺はその想像を首を振って否定した。

「……儂にはどうすることもできんかった」

 俺がそうやっていると、目の前の老人は静かに口を開いた。

 彼はそのまま言葉を続ける。

「あんな師匠なぞ見たことも無かったしのぅ……恥ずかしながら、ナイア君がああなってしまうというのも予想すら出来んかった」

 その言葉には深い悔恨の念が籠められているように感じられた。

 己の行動の全てを後悔しているかのような暗い声音。

 俺が知っている理事長は、いつだってその腹の底が読めない人物であり、ナイアが魔王であると気づいた時にも、俺が異世界人だと気づいた時も笑みを浮かべながら、こちらを試してくるような存在だった。

 ――けれども、今、俺の目の前にいるのは年相応に覇気を失った、枯れ木のような一人の老人であった。

「……」

 ぱちんっ

 気づけば、彼は黙したまま小さくその指を鳴らしていた。

 それは理事長が魔術を行使するときに常に行う動作であり、さきほどまでの白を基調とした空間とはかけ離れている眼前の光景は、行われた魔術が『転移』であることを俺たちに明確に伝えていた。

「ノゾム君。ノワール君や。……ナイア君がどうなっているのか、儂は語る術を持たん。己の眼で向き合った方がよいじゃろう」

 そう言うと、老人は立っていた場所から、左にずれ、俺たちに道を譲ってくれた。

 彼が動いたことによって、彼の背に隠れていた扉が、俺の視界にはっきりと映ってくる。

 『理事長室』というプレートと共に。

「ご主人……」

「ノワール。……大丈夫。大丈夫だ」

 聞いたことも無いほどに、震えている黒猫の声にそう返しながら、俺は扉に手をかけ。


 一気に開いた――


「だーかーらっ!! なんども謝っているじゃないか!!」

「妾は、それが謝る者の態度かと問うておるのじゃ!! 誠意など欠片もないではないか!!」

「それは君が何度も何度も、『ほぅ? のぅのぅ、後学のために聞いておきたいのじゃが、無辜の存在を絶対的正義の立場で葬る気分はどうであったかの?』、とか『賢者? かかかっ。人間の語彙力には本当に頭が上がらんわい。己が眼で本質を見極められん痴れ者ですら、かような美辞麗句で装飾出来うるのじゃからのぅ』、とか言うからじゃないか!!」

「戯けっ!! これしきで妾が受けた屈辱が安らぐ筈が無かろうて!!」

「開き直った!? そもそも、君がしっかりと部下の行動を把握出来ていれば、こんな事にはならなかったんだよ!?」

「それを言い出したら、人間側が魔大陸への進出をしたのがそもそもの始まりじゃろうてっ!! 面の皮の厚さには、この魔王を持ってすら完敗じゃぞ!!」

「自分の領地内の大量殺人を見過ごした上で、堂々と『王』を名乗れる君なら良い勝負できると思うけどね!!」

「ぬぅ!! お主、言うてはならんことを言ったな!!」


 ――そして、俺はその扉をそっと閉めた。


「……」

「……」

 俺とノワールは無言で、目を合わせ、そのまま理事長へと視線を向ける。

「……あの、これは一体何が起きたんですかね?」

「……是非ともご教授願いたいのですが?」

「長くなるでの。お茶でも飲みながら、話そうぞ」


 俺たちに、疲れ果てている老人の言葉に反目する理由は無かった。

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