閑話 「ローゼ・フロウ」

 ――貴族であれ。


 優雅であり、高貴であり、潔癖であり、忠臣であり、良主である。


 ――そんな貴族であれ。


 それが私が物心ついた頃から、聞かされてきた我が家の家訓。賢国の中でも、4大貴族に数えられるフロウ家の家訓。

「ローゼ。特に貴女は長女なのだから、しっかりしないといけないわ。」

 そう言って、微笑む母。彼女は家訓を説くときに必ず、私の頭を撫でてくれた。

 ……だからだろうか、私はこの家訓が好きだった。


 4大貴族ともなれば、国の政事にも深く関わることになる程の家柄だ。

 そこの長女に求められる教養や品位は、とても高く。故に私の毎日は、常に己を磨く日々だった。

 朝は日の出と共に起き、前日の勉学の復習。

 そして、朝食をとった後は歩行や挨拶、食事などの日常の動作一つ一つを苦痛なまでの反復練習で磨いていく。

 午後は有事に備えての体術、魔法の訓練。

 そして、日が沈めば教養として、文学、算術、歴史、魔法学などありとあらゆる分野の基礎を教えられる。


 それが、物心ついてからの私の日常であった。

 我ながら気の休まる時間など僅かばかりしかないほどの過密なスケジュールだったと思う。

 そんな生活の中でも、私がフロウ家を憎まず、誇りに思えたのは、ひとえに母と父のお陰だろう。

 私の教師は基本的に母であり、教育中は私事を挟まずに厳しく接してきた。

 それは一般的には親子の情を疑うほどの徹底ぶりだったが…私は知っていた。

 娘の見本になるため、という考えのもと、自分自身にも一切の妥協を許さず、私が寝た後も自分の技術を磨いていた母のことを。

 そんな母の教育だから私は全力でついていくことが出来た。


 そして、父の方はとにかく厳格な人だった。決して、笑わず。口調も常に平坦で、感情の変化をまるで感じさせない男。

 それが父だった。

 ――だが、彼にも苛烈なところが一つだけあり、私が家訓に背いたときは烈火のごとく怒り狂った。

 父は家訓の中でも潔癖であることを重視しており、私が一度だけ皿を割ったことを隠した時には私を強く叱りつけた。

「ローゼ。嘘は駄目だ。……嘘は自分を貶める行為だ。貴くあれ。ローゼ」

 これは私を強く諫めた後の父のセリフだ。

 あの厳格な父が泣きそうな顔をしていたのは私が知る限りこの時だけだった。

 父は家訓を自分にも厳しく課しており、貴族として領民の良き模範であり、国の忠臣であり、良き領主であるために、いつも仕事を抱えていた。

 私が知っている限り、実家を出るまでの15年間で、父の部屋の電気が消えたことはなかった。

 いつ寝ているのかが、娘の私にも分からない人だった。


 貴族の社交界などでも、みな父と母には一目置いていたし、そんな二人が誇りだった私は、恥ずかしくない娘であるために毎日必至に過ごしていた。


 だから、10歳の時に私の魔法の才能が認められた時は本当に嬉しかった。

 全属性に適性が見られ、10の時点でそれぞれの初期魔法を使えた私は神童と呼ばれた。

 父と母が自慢の娘だ、と言ってくれるのが嬉しかった。

 それからの私はますます魔法にのめり込み、気づけば16歳という若さで、魔法大学としては最高峰と言われるリーネ大学の特別選抜コースに在を置いていた。

 私は自分なら最優秀成績すら狙えると確信していた。



 ――だが、一年間を特別選抜コースで過ごした私は焦りに包まれていた。

 入学した時点では、歯牙にもかけていなかったクラスメイト達が、全員私と同じくらいの希少な才能の持ち主だったからだ。

 ナギ・フィーロ。優れた学力を持ち、魔法を交えた剣術で実力を示した男の子。

 メグリ・ユリース。魔法の理論に対して私より深い知識を持ち、失伝したはずのゴーレム魔術の一部を解析した才女。

 ナンバ・グリーズ。卓越した身体能力で特別選抜コース入りを果たした男の子。魔力を瞬時に回復する特異体質を持っている。


 全員がライバルとして相応しく、この一年は大きな差をつけることが出来なかった。

 この大学の評価は、『新しい知識』を大学へ提出することで決まる。

 それは、新しい魔法の運用方法を発見することであったり、既存の知識の訂正であったり、新種のモンスターの情報であったりする。

 なので、基本的には講義を通して、既存の知識に造詣を深めながら、新しい発見を日常の中で探すことになる……のだが。

「あーっ!! 新しい発見なんて、そうそう思いつきませんわーっ!!」

「……ロ、ローゼちゃん。落ち着いて……」

 この一年。

 特に目新しい発見は無く、今日を迎えてしまったのだった。

「落ち着いてられませんわっ!! メグリはすでに『失われた知識』の復元に成功しているというのですから!!」

「……あはは。私のは運が良かっただけだし。……全部の魔法を使えるローゼちゃんの方が、絶対もっと凄いこと見つけると思うよ」

「後半は嬉しく受け取っておきますけれど……メグリはもっと自分に自信を持つべきですわ。そうでなければ、ライバル視している私まで格が落ちますのよ?」

「……あはは。うん。ごめんね。」

 困ったように笑いながら、三つ編みを指で回すメグリ。

 彼女は少し謙虚が行き過ぎていると思う。

「まぁ、そのうち気づいてくれたら嬉しいですわ。……あー。何か新しいこと起きないかしら」

 この1年。

 初めは何もかも刺激的だった大学生活も、少しマンネリが進んでいるように思う。

 少し新しい風が欲しい。私はそう思っていた。

 ――そして、結果から言うとその日。その願いは叶った。



「えー。まず、今日の講義を始める前に、皆さんに挨拶させて頂きます。私はトリスタン・ティーノというもので、この学校の卒業生です。今回は色んな諸事情により、この大学に戻って教鞭を持つことになりました。これから、どうぞよろしくお願いいたします」


 いきなり、見たことも無い男性が現れて、そう言った。

 彼はこちらの反応を気にした様子もなく、どんどん話を進めていく。

 なんと、その日は新入生が3人も増えた。これは通常ならありえないことだった。

 でも、本当にありえないのはそんなことではなかった。

 あり得ないことは、自分の席が無いと知った新入生の一人が、いきなり魔法で自分の席を出したことから始まった。

パチンッ!

リッジと名乗る彼が指を鳴らすと、目の前には私が今座っているのと同じような机と椅子が置かれていた。

「あら。器用ですわね。地属性の錬金かしら? それに少し他の術式も見えたような」

 私は彼の手並みに素直に感心していた。

 あまり複雑な魔法ではない錬金だが、無詠唱だったからだ。

 それに、地属性だけならともかく、複数の属性が入った魔法を無詠唱で唱えるのは、両手、両足の指を思い通りに動かし、それぞれ別の動きをさせるような物であり、不可能ではないが曲芸に近いほどの難易度になるからだ。

 まぁ、私も出来なくはないのだけれど。

 ――そう思っていた私の余裕は、小さな少女の言葉で打ち壊された。

「それだけじゃないのぅ。一見ただの無詠唱に見えるが、指を鳴らすという行為を一部『キー』の代替にしとるな。なかなか器用ではないか」

「何を言ってますの!! 『キー』の代替なんて出来るわけありませんわっ!!」 

 そのナイアと名乗ったいう少女の言葉を聞いたときに、私は思わず叫んでいた。


 『キー』というのは魔法の行使をするにあたっての技術の一つであり、呪文を詠唱するにあたって特定に属性に適応した『キーワード』を入れることで、その術式を安定させる技術である。

 例えば、水属性の魔法を使うのであれば、『アクア』という言葉をつけることで、その属性を強めることが出来る。

 さらに『バレット』という言葉まで付属させるなら、その魔力を弾丸状にする難易度はぐっと下がる。

 その『アクア』や『バレット』というような言葉こそ『キーワード』と呼ばれるものである。

 それには、音の響きであったり、発音、また言葉の持つ意味というのが重視される。

 少なくとも私が知っている知識の中には『キー』の代替なんてものは無いし、指を鳴らすという『キー』は聞いたことが無かった。だけど、そんな私の意見を――

「じゃから、器用と言うておるではないか? ……のぅ?」

「さすがだぜ。初見で見破られるとは思わなかったんだがなぁ」

 ――この少年と少女はあっさりと否定した。

 そして、今度は少女の魔法を見た時に、疑いようがない格の違いを見せつけられる羽目になった。

 バチンッ!

 少女が拳を突き合わせた瞬間。

 彼女の目の前に机が出来ていた。

 今度は属性どころか、術式構築の瞬間すらはっきりとは見えなかった。

 私が気づ居た時には、魔法は発動していて、終わっていた。

 魔力感知には自信があった私にとっては初めての出来事だった。

 なんですのっ!? 意味が分かりませんわっ!!

 私はパニックに陥っていた。

 これでも、必死に魔法を学んできたのである。

 全属性を中級まで覚え、水に限れば上級すら打てるようになった。

 そんな自分が目の前で発動する術式の構築感知なんていう基礎の基礎すら出来ない相手なんて、悪夢でしかなかった。

 何かの間違いですわっ!! 私油断してましたものっ!!

 そう自分に言い聞かせる。

 ……それが今の私に出来るちっぽけな抵抗だった。

 その後、最後の入学生が魔法を使うことになった。

 私は今度こそ、見逃さないためにも目を皿にしてその少年を見ていた。

 ノゾムと名乗った彼は、初め何かを言いたそうにしていたけれど、私の視線に気づくと諦め、決意を固めたような顔をした。

 そして、そのまま自分が座るべき場所に行くと……何もない空間で座っている振りをしだした。

 椅子は無いのに、彼は腰を中空に下し、あまつさえ足を組んで、片足で体重を支え始めた。

 ――無駄に九〇度を保って伸びている背中がやけに切なく感じた。

 誰も何も言えなかった。無表情を保ちながら、片足をぷるぷると震わせ、こちらを見る彼に。

 ……誰も何も言えなかった。

 私は彼がこっちを見た時に思わず目を反らしてしまった。

 講師ですら何も言えず、あろうことかそのまま講義がスタートしてしまった。



 私は彼が気になって、ちらちらと見てしまっていたのだが、講義が始まって15分程度が経過したころ、ついに彼の体勢は崩れてしまった。

 地面に尻餅をついてしまった彼は、一瞬泣きそうな顔をした後で、両腕で足を抱え、ちょこんと座っていた。

 ……きれいに丸まった彼はさっきよりも哀愁を誘う存在だった。

 私は彼から視線を外し、講義に集中しようと必至になった。


 だけど、その講義でも、リッジとナイアは止まらなかった。彼らは講師の説明に対して、より効率的な魔力の運用や、属性転化の方法などを、ぶつけまくったのだ。

 まず、初めに講師が語った理論すら完璧に理解し切れていない私ではその少年と少女の議論にはついていけなかった。



 そして、2限目は算術の講義だったのだが……ここでは意外にも先ほど地面に座っていたノゾムが活躍する場となった。

 彼は鼻歌交じりに講師が出す問題を誰よりも早く解き、頭の上の変な生物とハイタッチなどを決めていた。

 彼を甘く見ていた自分に少し腹が立った。


 3限目の魔法理論でも、リッジとナイアとの格の差を見せつけられた私は少しへこんでいた。

 でも、メグリがお昼を一緒に食べながら、励ましてくれたお陰で、午後には少しやる気が戻ってきた。

 午後の講義が模擬戦闘だと分かった時に、私はまっさきにリッジかナイアに手合わせを願おうと思っていた。

 講義では完敗だったし、教室で見た魔法からしても彼らの方が格上であることは分かっていたが、うじうじと悩む前にぶつかることにしたのだ。

 だけど、そんな私の願いは叶わなかった。

 私が声を掛けるより前に、彼らはお互いを模擬戦闘の相手に選んでしまったのだ。

 まぁ、彼らの戦闘を見ることも自分の経験になるかもしれないと、気持ちを改めて、私は自分の相手を探すことにする。

 そして、色々と考えた結果、私はノゾムという新入生と戦ってみることにした。

 あのリッジやナイアと一緒に入ってきた男の子だし、ナンバと同じで、戦闘力で入学を許可されたのかもしれない。

 私は僅かばかりの期待と、緊張を持って彼に話しかけた。

 ……。

 ――結果、泣かれてしまった。

 私が後ろから声を掛けた彼は、私を見て静かに泣いていた。

 私は何か、弱い者いじめをしている気持ちになったが、講師の強引な進行もあって、彼と模擬戦闘が出来ることになった。

 ……彼はやけに悲壮な決意で表情を固め、私との模擬戦闘を受け入れた。

 私はその顔を見て、早々に終わらせてあげることに決めた。

「では、開始っ!!」

 講師による開始の合図が聞こえた瞬間。私は魔法を発動させた。

「では、いきますわっ!! 喰らいなさい<水弾>アクアバレットっ!!」

 発動したのは水の初級魔法である。

 これなら、それほどの痛みは無く、彼を退場させられると考えての選択だった。

 ……だが彼は意外にもコレを機敏に躱した。

 それはまるで、こっちが撃つのが分かっていたような動きだった。

 私は少し彼を警戒することにした。

 そして次の一撃を叩きこもうとした時に――

「やりますわね……でも、まだですわ!!」

「いや、待つんだっ!! ……気づかないのか?」

 ――彼から声がかけられた。

 ……こちらをまっすぐ見る目には無視できない迫力があった。

「……?なっ……なにを言ってますの?」

 思わず、私は言葉を返していた。

 そんな私に彼はやけに自信を持って言葉を続けた。

「まだ、……気づかないのか? ……『変化』はすでに起こっている」

「……?何を言ってますの?何も変わって……いや、なに?この音は……?」

ドドドドドドドドドドドドッ!!

 気づけばどこからか謎の音が聞こえていた。

 思わず私が音の出所を探そうとした瞬間。

 ――彼が何かをこっち投げつけてきた。

「…なっ!! 防ぎなさいっ!! <水盾>アクアシールドっ!!」

 私はとっさに一番早く展開できる初級の防御魔法を展開した。

 ……だが、爆発や衝撃に備えていたのだが、一向にそんな気配は無かった。

 <水盾>が防いだものをみると

 ――どうやら、それはただの砂であるようだった。

「くっ!! こんな子供だましでどうにか出来ると思い……まし……て?」

 私が慌てて防御魔法を解除して前を見た時、彼が居た場所には誰もいなかった。

 私は急いで魔力感知を全開にする。

 生物のいる場所ならこれですぐに分かるからだ。

「なっ!! どこに……!?」

ドドドドドドドドドドドッ!!

「またっ!? ……そこですのね!!」

 また、変な音が聞こえてきたが、もう惑わされない!!

 私は耳に聞こえる音をすべて無視して魔力感知に反応があった唯一のポイントに、振り向きながら魔法を叩きこむ。そこには――

「うにゃぁぁぁぁっ!! 死ぬところでした!! 私の体がもう少し大きければ、死ぬところでしたーっ!!」

「なっ!! あなたは……!?」

 ――なにやら、叫んでいる謎の生物がいた。

 ノゾムと言う少年の姿はそこにはいなかった。

「俺はこっちですよっ!!」

「……ありえませんわっ!?いつの間にこんなに近くに!?」

 私が動揺していると、後ろから彼が声を掛けてきた。

 ありえないっ!! 私はずっと、今だって魔力感知を行っている。なのに、この少年の存在は全く感知できなかった。

 もしかして彼は戦闘中でも完全に魔力を体外に出さないようにコントロール出来るのだろうか?

 私がそんなことを考えていると、彼がいきなり私の腰を抱きしめてきた。

「……へっ? ……ちょっと、あなた何をしてますの!? そんなところっ……!?」

 服越しに伝わる彼の体温に私は酷く動揺した。

 殿方にこんなに接近されたことなど初めてのことである。

 お父様だって、小さいころに頭を撫でられただけだというのに……

 私がそんなことを考えていた次の瞬間――

「うおぉぉぉぉぉぉっっ!!いけぇぇぇえええええええええっ!!」

 ドスンッ!!

 ――私はへそから引っ張られるような感覚を覚え、気づけば地面に叩きつけられていた。


「……」

「……」

 しばらく、誰も何も話さなかった。

 ……ただただ、沈黙が流れた。

 やがて彼の腕が解かれ、彼の気配が離れて行った。

 それを契機として私は思考を取り戻した。

 ――私は何をされましたの…? なんで、私は…地面に倒れてますの?

 現状を自分に問いかけ、状況から答えを導いていく。

「……」

 私はしばらく、動かなかったが、やがてゆっくりと立ち上がり、口を開いた。

「……乙女の柔肌に勝手に触れた挙句、この仕打ち。……万死に値しますわ。」

 私はは俯きがちに呟いた。それだけ言うのが限界だった。

 ああ、私は生まれて初めて激情というものを知った。

 今、この身を焦がす怒りに比べればこれまでの自分の感情がいかに浅かったかが分かる。



 ……それからのことは、よく覚えていない。

 ただ、気づけば私は今までにないスッキリした気持ちで教室に戻っていて、講義を聞いていた。

 相変わらず、リッジとナイアは騒いでいたが、朝よりは落ち着いて自分の気持ちを受け止められていた。


 休み時間を利用してメグリにあの後のことを聞くと、私があの少年に向かって、水の上級魔法を叩きこんだということがわかった。

 少年はそれによって、医務室に運ばれたらしかった。

 それを聞いて私は自分自身がしたことを酷く反省する。

 ただ、投げ技をされただけで私はなんてことを……。

 結界の効果で外傷は無いとはいえ、上級魔法を個人に叩きこむなんて。

 しかも、あの結界は外傷がないだけで、限界まで魔法を叩きこまれたら、とんでもないほどの激痛を与えるというのに。

 私は少年に謝ることを決め、礼儀として購買でリンゴを買って、医務室へ向かった。



 医務室では少年とノワールという生き物だけがいた。

 私が部屋に入ると――

「どうも、ローゼさん」

「よく来てくださいました。ローゼさん」

 ――、と一人と一匹はそうやって迎えてくれた。

 ……少し驚いた顔をしている。

 やはり、自分を医務室送りにした人間が見舞いに来たことが意外だったのだろうか。

「……どうもですわ。ノゾムさん、ノワールさん。……その……体の具合はいかかですの?」

 私は気まずくそう言った。

 ――そして、言った後で後悔した。

 今、彼は尋常じゃない程の痛みを感じている筈なのだ。……他でもない自分の所為で。

 私は急いで彼に謝ろうと口を開けて――

「そうですね。まぁ、ちょっと痛いですが、一晩もすれば治るらしいので軽いもんですよ。はっはっはっ」

 ――彼の言葉に遮られた。私が驚いていると、彼は困ったように笑いながら言葉を続けた。

「模擬戦闘の結果なのですから、あまりお気になさらずに……」

 その言葉には、こちらを気遣っているような響きがあった。

 私は何故か恥ずかしくなって言葉を荒げてしまった。

「べっ別に気にしてませんわっ!! 乙女に許可なく抱き着いてきた、そっちが悪いんですわっ!!」

 そして、そんな私から出たのはそんな憎まれ口だった。

 本当は謝りたいし、謝るべきなんだろけれど。

 そう思ってチラリと見た彼の顔は、なぜかさっきよりも嬉しそうだった。

 ……もうなんとなく謝れない雰囲気になっていた。

 更に私としては、なんだかこの少年に大人な対応をされた気分になって、急激に恥ずかしくなっていた。

「そうですわ。大丈夫なら遠慮なく言わせて頂きますけど……公然の場で抱き着いてくるなどハレンチ極まりない行為ですわっ!! 今後は謹んでくださいましっ!! ……それに私、殿方に抱きしめられるなんて初めてでしたのに、何が悲しくて地面に叩きつけられなければなりませんの。」

 恥ずかしさを誤魔化す為に、怒っているように言葉を続けていると、またあの時の感情が少しだけ沸いてきた。

 ……まぁ、今となっては怒りは無くて、人生初であった異性からの抱擁の結果に虚しさを感じるだけだったけど。

「ごめんなさい。ローゼさん」

 ふと、気づけば、寝そべっていた体を起こして、彼が頭を下げていた。

 それを見て、私は考えた。

 ――彼の体は今、どれくらいの痛みが走っているんだろう。

 そして、あくまでもそれを隠そうと表情を変えないようにぴくぴくさせているこの少年は……どれだけ優しいんだろう。

「……まぁ、やってしまったものは仕方ありませんわ。楽にして下さいまし」

 この少年はあくまでも、私に非があるとは言ってくれないのだろう。

 自分の痛みを隠してまで、こちらに気を遣う少年に私はそれしか言えなかった。

「あんな技を容赦なく掛けてくるのに……不思議な人ですのね。ノゾムさんは」

 こんな人は初めてだった。

 いきなり抱き着いてくるような人なのに、自分を苦しめた相手を一切責めずに気を遣う。

 ――なんだか、とてもアンバランスな人だと思った。

「これを置いていきますので、落ち着いたら食べて下さいましね」

 私は結局、謝らずに行くことにした。

 ……その方がこの少年の優しさに報いる行動だと思ったから。

「では失礼しますわ。……あと、その痛みは横になっている時が一番楽ですわよ」

 最後にリンゴを置いて退室しながら、私は彼にアドバイスをした。



「ふふふっ。……変な顔でしたわね」


 部屋を出た私は、廊下を歩きながら思い出し笑いをしてしまった。

 最後に見た彼の顔は、いたずらがバレた時の子供のようだった。

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