第37話 「一緒に登校して、噂とかされると恥ずかしいし」
理事長室を出た俺たちは、学内をてくてくと歩いていた。
「しかし、こうして歩いてみると……やっぱり、無駄に広いな」
「ええ。町一つも含めて学内ということですからね」
正直、意味が分からないレベルだ。
学内という言葉がゲシュタルト崩壊している可能性が、微粒子レベルで存在しているかもしれない。
「妾としては、あの壁の所為で閉塞感を感じるがのぅ」
だが、ナイアは違う考えのようだった。
ふむ。言われてみれば、少し視線を上げれば、壁が見えるもんな。
結構壁までの教理はあるにしても、それが三六〇度ある訳だ。
あまり良い気はしないかもしれない。
巨人になった少年も、太陽を探しに行ったヒトガタの少女もこんな気持ちだったんだろうか。
「さて、ご主人。明日からは講義が始まるということですし、最低でも今日の内に教室と寮の場所を確認した方が良いかと」
「ああ。そうだな。とりあえず、現在位置も何も分からない状況だからなぁ」
「理事長に聞けば良かったのぅ」
今、俺たちは迷子であった。
なぜならこの大学へ入ってから、転移魔法で理事長室に飛ばされた所為で、現在位置も道も分からないのである
今なら、バンダナを巻いた方向音痴の黒豚とも、良い勝負が出来るかもしれない。
「……お? こっちから、良い匂いがしおるぞ?」
「あっと、ナイア。走らないで下さいね」
適当に歩いていると、ナイアがそう言いだした。
……これはノワールが声をかけてなかったら、俺たちを置いて走ってたな。
今のナイアのステータスでそれをやられると逸れること必至である。
「匂いか。ノワール、なにか感じるか?」
「私には何も感じられませんね」
「猫なのに?」
「……ご主人は偶に忘れているようですけど、私は<スキル>がこのような形態を取っているだけで、本物の猫とは一切関係ありませんからね?」
そう言えばそうだった。
「うぬぅ。早く行こうぞ!! ノゾム!! ノワール!! 妾はもう、腹が減ったのじゃ!!」
俺とノワールが話しをしていると、ナイアが急かしてきた。
……まぁ、ナイアは昨日徹夜してるしなぁ。
朝飯も食べてないし、腹が減っているんだろう。
「あまり、待たせるなら……妾は……ワラワ……ハ……」
やばい、ナイアの空腹は俺たちが考えている以上に限界が来ていた。
「ご主人!? 活動限界ですっ!! 予備も動きません!!」
「くそっ!! こうなったら仕方ないっ!!」
「せめて見失わないようにしましょう、ご主人!!」
俺たちはナイアの制御を諦めた。
空腹のナイアは、月を見た戦闘民族のように凶暴性が増すのだ。
まだ全盛期ほどの力を取り戻していないナイアでは、理性が残るスーパーな戦闘形態四には成れないらしい。
それから俺たちは、爆走兄弟に並ぶほどの走りを見せた。
最初は、俺たちでも追いつけるようなスピードで走ってくれていたナイアだが……。
「うぉぉぉぉおおおおおおおっ!!! 飯じゃぁぁぁあぁああああああっ!!」
「なっ!? ナイアの奴っ!! 更に加速しやがったっ!!」
近づいてくる匂いに、我慢できなくなったのか、急にスピードを上げた。
「ご主人っ!! モタモタしてると置いていかれますよっ!!」
「こうなったら醜くて嫌だが……最後の手段だ!」
「なっ!! ご主人!!」
ナイアが俺たちを振り切るより、一瞬早く、俺はナイアの腰に抱き着いた!!
ステータスでは圧倒的に負けているのだ。
俺が置いていかれないためには、ナイアのスピードを下げるしかない。
だが――
「――っ!! なにっ!?」
「これは……止まらないっ!! ナイア!なんという爆発力、なんという根性、まるで重機関車ですッ!!」
「飯じゃぁぁぁあああああっ!!」
――ナイアの速度が落ちることは無かった。
俺は、結婚式の時のガラガラの気分を味わった。
「ふむぅ……なかなかに馳走であったのぅ」
「ああ。食堂のおばちゃんも良い人だったしなぁ」
「ええ。教室の場所も寮の場所も教えて下さいましたし」
食堂では、明るいおばちゃんがナイアの食べっぷりに感激し、大盛りをサービスしてくれた。
道も教えてくれたし、良いおばちゃんである。
学校が始まっても食堂には来ようと俺たちは決心した。
「寮よりは教室が近いようですね」
「ああ。歩いて五分と無いみたいだぞ?」
「うむ。食後の運動にはちょうど良いのぅ」
そう言う訳で、俺たちは教室に向かう。
問題なく、目当ての教室に着いたが、拍子抜けしたことに誰もいなかった。
「……なぁ。ノワール。一つの教室に席と机が4つと言うのは、何というかシュールなもんだな」
「ええ。等間隔で並んでいるのが、また哀愁を誘いますね」
「そうかの?妾として何も感じないのじゃが……」
まぁ、前世では四十程の机が並んでいたという記憶があるから、そう思うんだろうけど……なんというスペースの無駄遣い。
これは一度、劇的なリフォームでも考えた方が良いんじゃないか。
教室にあるのは、黒板と机と椅子くらいなもので、後は特に何も無かった。
……掃除用具すらないんだが、良いんだろうか?
「多分、今は昼飯時間なんだろうな」
「かもしれませんね」
「ふむ。どうせ明日来るんじゃ。今日はこれでお暇しようぞ」
俺たちはそうして教室を後にした。
「さて、最後は寮に行くわけだが……」
「ふむ。結構遠いのじゃったか?」
「ええ。確かバスに乗るようですね」
なんと、寮はこの敷地内の町にあり、そこを通る形で一日に数本バスが出ているらしい。
俺たちはおばちゃんから貰ったメモを見ながら、バス乗り場へ向かっていた。
「しかし、この世界でもバスはあるんだな」
「言われてみれば、そうですね。やはりガソリンで動くんでしょうか?」
「ガソリンなるものは聞いたことが無いがのぅ。恐らく魔力で動く魔道具の一種じゃろうて」
成る程。
バスではあるけど、俺が居た世界の物とは燃料が違うのか。
「っと来たな」
「おおー。あれじゃな」
「割と小さいですね? 十人程度しか乗らないのではないでしょうか?」
「まぁ、朝とかの通学時は詰めて乗るんだろうな。満員電車みたいに」
料金は先払いで銅貨二枚だったので、六枚払ってバスに乗る。
軽く車内を見ると……席は一番後ろと、前から二番前の席だけ空いていた。
一瞬悩んだが、一番前に気合の入ったリーゼントの兄ちゃんを見つけて、ナイアには後ろに座るようにお願いした。
……意外と喧嘩っ早いこの魔王様が、万が一にもトラブルを起こしたら困るからな。
「ナイア。学生寮前ってところに着くまで、あそこに座っててくれないか?」
「ふむ? 妾は別に立ってても構わんのじゃが……」
「こういうバスは席が空いてるときは座った方が良いんだよ。運転中に立ってるのは危ないしな」
「ふむ。分かったのじゃ」
そう言って、俺たちは別れて座った。
だが、次のバス停に着いたときに事件が起こった。
バスが止まり、次のバス停に腰の曲がったおばあちゃんが居るのを見た俺は、席を譲ろうと考えていた。
その時。
急に前のリーゼントが席を立ち、座席の間の通路を下がり、バスの中央の辺りに立ち始めたのだ。
……まさか、この男。おばあちゃんに席を譲ったというのか?
ちらりと、さりげなく男の方を確認するが、男は異様に鋭い眼光でおばあちゃんを見ていた。
どうやら間違いは無さそうだ。
俺は男の行動に少し感動していたが、同時に不安も持っていた。
なぜなら――
「あっラッキー。空いてんじゃん」
――バス停には二人の人物が居たからだ。
リーゼントが座っていた場所には、おばあちゃんと同じバス停で待っていた若い男が座ってしまった。
まぁ、こういう輩はどこにでもいるものである。
俺はちらりとリーゼントを確認するが、リーゼントは酷く焦った顔で、座った男を睨んでいた。
……だが、男はすでに席に座り、リーゼントに対しては後頭部を晒している。
これでは、リーゼントの視線に気づくことはない。
リーゼントはがっくりと肩を落としていた。
自分の策の失敗を悟ったのだろう。
……実際、リーゼントとの作戦は良かった。
もしバス停にいるのが、おばあちゃんのみ、もしくはおばあちゃんが先に乗ってきた場合は、おばあちゃんは席を譲られたということにすら気づかず、着席することが出来ただろう。相手に余計な気遣いをさせない。
完璧な席の譲り方とも言えたかもしれない。
だが、現実は違う。彼は選択を間違えた。
結果として、おばあちゃんが席に座れないという現状を生み出してしまったのだ。
その時、リーゼントと目があった。……彼は凄い迫力でこっちを見つめていた。
「……ご主人。これは」
「……ああ。分かっている。……凄い漢だ」
なんて迫力だ。
覇王色でも纏っているのか。
彼の目は座っている俺を捉えながら、ハッキリと語っていた。
お前それでいいのか? ――と。
「くそっ。言われなくても席は譲るつもりだったんだが……」
「ええ。この状況では……失敗したら絡まれそうですね……」
リーゼントなヤンキーに絡まれるとか、冗談じゃないぞ。
言っとくけど俺にちょっかい出したら、ズッ友のスペランカーが黙ってねぇからな?
……うん。駄目だ。まだヒノキの棒の方が頼もしそうだ。
「仕方がない。……本気を出すか」
「ご主人?」
俺はノワールにそう言って、覚悟を決めた。
リーゼントよ、見せてやろう。
日本と言う戦場で鍛えられた、プロの技を。
「ご婦人。どうぞ、お座りください」
「あらあら。良いのよ。私は」
まずは話しながら席を立ち、座席まで彼女の動線を作る。これは明確に座ってほしいというアピールだ。
だが、おばあちゃんは断ろうとする。
くそぅ!! 良い人だなぁ!! 好きっ!!
……でも、俺を助けるつもりなら何も言わずに座ってほしいんだが。
リーゼントの視線が更に強くなった気がする。
剣呑な雰囲気だ――これはマズイ。
だが、まだだっ!! 見せてやるぜっ!!
アバンの使途の如き、HPラスト1からの足掻きってやつをっ!!
「いえいえ。私はそろそろ降りるのでどうぞ、どうぞ」
「そうかい? ……悪いねぇ」
会話の中でそろそろ降りることを伝え、簡単に背中を押すようにする。
おばあちゃんは悩んでいたが……座ってくれた。
瞬間、リーゼントの視線から迫力が弱まり、驚きの様な感情が伝わってくる。
やったぞ! どうやら乗り切ったらしい。
俺はおばあちゃんが席に座ったのを確認してから――
「じゃあ、私は連れの所に行きますので……」
――そう言いながら、通路を歩き、リーゼントの横を抜けてナイアのところへ行く。
実際、学生寮までどれくらいか分からないので、急ぎおばあちゃんの横から離れる必要があったのだ。
降りると言ってた奴が、いつまでも隣にいたらホラーだろうしな。
リーゼントの横を抜けるのは怖かったが――
「……やるじゃねぇか」
「……うす」
――通り過ぎる時に掛けられた言葉は称賛のものであった。
俺もリーゼントに言葉を返した。
……あとには無言の男の詩があった。
奇妙な友情があった。
――実際はなんか、ただただ怖かった。
「ご主人。お見事でした」
「もちろんです。……プロですから」
小声で話しかけてきたノワールとハイタッチを交わしながら、息を吐く。
なかなかに緊張感のあるミッションだったぜ。
「うむ? なんぞ、あったのかノゾム?」
「いや、何でもない。ちょっと様子を見に来ただけだ」
「そうかの?」
心配して、声をかけてきたナイアに言葉を返し、学生寮まではのんびりと時間が過ぎた。
やがてバスは学生寮の前で止まり、俺たちは降りたのだが、そこに先ほどの男が声を掛けてきた。
「おい。お前」
「……なんでしょう?」
俺は膝を笑わせながら、言葉を返した。近くで改めて見ると迫力がヤバい。
なんだろう。俺はミッションをこなしたつもりだったが、なにか失敗したんだろうか?
俺がそう考えて震えていると――
「……さっきは助かったぜ。じゃあな。」
それだけ言って。
そのまま、男は去っていった。
……良い人か?
イヤ……良い人じゃない……良い人なのか……?
俺はいつからリーゼントが不良だと錯覚していたんだ……?
「うぬ? ノゾム。あ奴は誰じゃ?」
「……分からん。分からんけど……良い人かもしれん」
それから学生寮の自分たちの部屋で、俺たちは明日の準備を行った。
翌日、俺たちは大学へ向かうバスでリーゼントと一緒になった。
……とりあえず、俺は通学時間を変えることを決意した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます