第36話 「どちらかというと大反対」

 ……聞こえますか……ナリカネよ……

 今……貴方の心に直接話しかけています……


 誰だ。俺を呼ぶのは……


 ……今、貴方の体は深い睡眠状態にあり……脱力という言葉を体現し……無造作に伸ばされた両手が重力に抵抗することなく床にキスしています……


 なんだ? この声。

 洋画の吹き替えみたいな言い回しをしてきたな。

 確か……昨日は椅子に座ったまま寝落ちした筈だが、現実世界の俺は一体どんな姿勢で寝ているのだろうか。


 ……そして、その顔は……だらしなく緩み……分泌された唾液が……今にも零れそうになっています……そう……とある少女の上に……


 俺は一瞬で跳ね起き、自分の口元をぬぐった。

「……っ!? あっぶねぇ!! セーフか!! セーフだよな!?」

 俺が必死で周りを見ると、見覚えのある黒猫が、拡声器のように何かの紙を丸めて、口に当てながらこちらを見ていた。

 ――ちなみに、部屋には俺とそいつしか居なかった。

「……おい、ノワール。言い訳があるなら聞いてやるから、四十秒で支度しろ」

「短すぎます。せめて三分間待ってください」

 俺はノワールから、丸められた紙を奪い、その頭に向けて振り下ろした。

 ――だが、ノワールは俺が紙を奪った一瞬で下敷きを準備して、俺の攻撃をガードしていた。

 一連の攻防を終えて、場には緊張感が宿る。

「……やるじゃないか。ノワール」

「ふふふ。ご主人こそ……では行きますよ」

「ああ」

 俺たちは、息を吸い、気を練り上げ、行動を起こした。

「「ジャンケンポンっ!!」」

 ここに第一回叩いて被ってジャンケンポン大会が開催された。

 ……名声と栄光を手にしたのはノワールだった。



「昨日は素晴らしい知識をありがとうのぅ。ノゾム君、ノワール君」

「おおっ!! 起きておるではないか。おはようなのじゃ。ノゾム、ノワール!!」

「いえ。お役に立てたなら何よりです。……あと、おはようナイア」

「おはようございます。ナイア」

 俺たちが雌雄を決してしばらくして、やたら上機嫌な理事長とナイアが部屋に帰ってきた。

 どうでも良いが、ナイアは挨拶を欠かしたことが無い。

 ……本当に真っすぐな魔王様である。

 どこぞの猫にも、爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。

「えっと、二人でなにかされてたんですか?」

 まぁ、そんな思考は腋に置いておいて、とりあえず、ナイアと理事長にそう聞いてみることにした。

 昨日は前の世界の知識を徹夜で教えて、寝落ちしたのでその後の記憶が無いのだ。

「……うむ。それなんじゃがのぅ」

「かかかっ。ちとやりすぎてしまったのぅ」

 困ったように、髭を触る理事長と、誇るように胸を張るナイア。

 ……なんだろう少し嫌な予感がする。

「実はノゾム君たちには、講師としてこの大学で教鞭をとってもらおうと思ってたんじゃが……それがちと難しくなってのぅ」

「……はい?」

 いきなりの言葉の内容に、そう言うしか出来ない俺。

 教鞭をとるって、俺が先生になるってことか?

 ……俺が?

「ご主人。早く理事長に精神分析を……」

「俺、精神分析には振ってないから……初期値なんだが……」

「イケますって。とりあえず、振って考えましょう」

 小声で話しかけてきたノワールに、同じように小声で返しながら、俺は理事長を見る。

 精神分析の初期値って確か……1%じゃないすか。ヤダー!

 などと失礼なことを考えつつ、俺は理事長に言葉を返した。

「……俺には人に勉学を教えた経験もありませんし、教員にはふさわしくないと思いますが?」

「ほっほっほっ。誰にだって物事をするにあたって、初めてはあるもんじゃし、お主の知識は素晴らしいものじゃ。謙遜は美徳じゃが、過ぎれば嫌味じゃぞ」

 ううむ。まぁ、異世界の知識と考えれば、確かにそうなのかもしれないが……義務教育の内容でここまで持ち上げられると色々と思う所がある。

「そうなのですか。……ちなみに、難しくなった原因をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「うむ。昨日の話を受けた後で、その概念をもとにナイア君とアレコレ議論していたらのぅ。新型の広域殲滅魔法がいくつも出来てしもうてなぁ。もし、昨日みたいな知識が外に漏れたならば……ぶっちゃけ、戦争が起きかねんのじゃ」

「……はいぃぃぃぃっ!?」

 いきなり何を言い出してんだこの理事長。

 どこぞの戦争大好きな少佐だって、五十年は頑張って準備してたぞ!?

 昨日の今日で、戦争って――男ってほんとバカ。

「妾にも魔法を極めた自信はあったんじゃがのぅ。いやぁ、概念が増えれば魔法の可能性は無限じゃなぁ」

「じゃよなぁ。正直、それなりの知識を持ってる儂ですら、概念の理解に手間取るような術式じゃから、初見での防御は不可能と見て良いじゃろう」

 ……ナイア、お前もか。

 よくよく考えれば、二人で考えたって言ってたしな。

 理事長ェ。

 広域殲滅魔法とかの考案に魔王を呼ぶなよ。

 全力全開な結果しか待ってないぞ。

 ……少し、頭を冷やした方が良いんじゃないか?

「うむ。途中で切り上げたのもあったが……特に重力はヤバいの」

「ああ。ヤバいのぅ。先の話を煮詰めれば……2万は削れるじゃろうて」

「ん? 二万が限界かの? 妾的には5万はいけると思うたが……」

「いや、さすがに五万は無理じゃろ? 広範囲を獲得しつつ、どの兵卒も致死に値する加重を掛けるなど、MPがいくらあっても足りんぞい」

「そりゃ、どの兵卒にも同等の加重を掛けるなら難しいがの。……ほれ、かように術式を組めば、いけそうではないかの?」

「……おおっ!! なるほどのぅ!! 各対象にで同加重をかけるのではなく、個々の体重に比例して、加重をかけるんじゃな!! 確かにこれならば……」

「かかかっ!! 元からある『世界の法則』の強化という方向性で、術式を組んであるからのぅ。MPの喪失は格段に減るはずじゃ。更にこれならば、これまで叩くのがやたらと面倒であった、巨人や大型モンスターといった存在が、むしろ恰好の的になるじゃろうて。あとは、ハーピィーやドラゴンなどといった有翼種族さえ潰せばいいという訳じゃ」

「ああ。それなら、昨日儂が考えたこの術式でいけると思うのぅ」

「ふむ…? ……おおっ!! なるほどのぅ。こちらは引力の強化な訳じゃな?」

「うむ。結局は飛んでいることが奴らの優位性じゃからな。一定以上の高域にいる生物を対象に、引力を強化してやればと思ってのぅ」

「考え方は良いのう。……それなら、術式のここをこう弄れば――」

「――っ!! なんと!!そんな方法が」

 ナイアと理事長が、なにやら物騒な会話をしだした。

 ……二万とか五万っていうのが、何に対しての数字なのか。

 知るのが怖い。

「……大佐もこんな気分だったんだろうか」

「……少なくとも、私は人がゴミのようになるのは見たくないですね」

 などとノワールと話していると、ナイアと理事長がくるりとこちらを向いた。

「「これは駄目じゃ。強すぎる。」」

 アッハイ。了解です。

「ううむ。まぁ、そんな訳でのぅ。ノゾム君の知識は素晴らしいものじゃが、その発表をみだりにしてしまえば、国家間のパワーバランスを大きく崩しかねんのじゃ。……特に軍部の連中に知れれば、各国へ攻め込むなどという暴挙に及ぶやもしれん。そして仮にそれが行われれば、一方的な虐殺の下で、この国の勝利となるじゃろう」

「……そうなんですか」

 俺の知識の所為で、そんなことが起こるのか。

 義務教育レベルでそうなるとは……日本人である俺としては、戦争に対して強い抵抗がある。

 そんなことになったら俺は――

「安心するのじゃ、ノゾム。現状ではこの理事長しかこの知識は知らん。ならば大丈夫じゃ」

「ナイア。……そうなのか?」

「うむ。少なくともそこな理事長に戦争を起こすつもりはない。もし、そのつもりなら、妾に新型魔法の術式など見せぬじゃろうからな」

「ほっほっほっ。信用して貰えて良かったわい。……ノゾム君。儂は知識を尊んでおる。多くの生命が失われる戦争なぞ、百害あって一利なしというものじゃ」

 そう言うと、いきなり理事長の手元に火が生まれた。そして、先ほどナイアと色々書いたりしていた紙が一瞬で燃え尽きる。

「今朝がた、儂が何よりも優先して広域殲滅魔法を考えたのは、それに対しての対策を考える為じゃ。……それと同時に、お主にも自分が持つ知識に対しての危機感を教えるためでもある」

「……危機感ですか?」

「うむ。仮に儂が阿呆であったなら、お主から話を聞くだけ聞いて、殺し、知識を自分だけの物にした上で、新賢者を名乗り、己の私利私欲に生きたことじゃろう」

「……」

 理事長はこちらをまっすぐ見ながら、そう話してくる。

 その目は嘘をついているようには見えなかった。

「それくらい危険な知識をお主は持っておるのじゃ。……じゃから、講師になる前にノゾム君には世間を知ってもらいたい」

 そう言うと理事長は一枚の紙を渡してきた。

「これは……?」

「特別選抜コース許可証?」

「ふむ。なんぞ選ばれたんかのぅ?」

「この大学の最優秀卒業生を決めるクラスでのぅ。今は四人の生徒がそれぞれ互いを研磨しておる。主にはそこで勉学に努めてもらいたいのじゃ」

 そう言って、穏やかに微笑む理事長。

 おいィ? ちょとシャレならんしょ、これは……?

「……理事長。俺は魔法理論とやらが全く分からないんですが?」

「もちろん知っておる」

「最優秀卒業生ということは……そのクラスの皆さんはもちろん?」

「そこのナイア君ほどではないじゃろうが、下手な学校の教師よりは通じておるじゃろうな」

「必至で勉強して、そのクラスに入った人達からしたら、俺ってどう映りますかね?」

「裏口入学……だと思われれば、良いくらいじゃろうなぁ」

 なんだこの理事長。こちらが何を言っても意見を変えないつもりか。無敵か。

「この話は無かったことに……」

「あー。急に広域魔法の練習がしたくなったのぅ。最近、無理やり留学生を入れようとしてくる勇者国が目障りじゃしのぅ。……やっちゃおうかのぅ。儂。やっちゃおうかのぅ?」

 そういって、チラチラとこちらを見てくる理事長。

 ……この理事長。今気づいたけど、良い性格してやがる。

「まぁ、そんな顔せんでも大丈夫じゃ。対策はしておくからの。……ほれ、今日は準備して明日から頑張るんじゃの」

 逃げ場は無かった。


 俺は渡された紙を持ったまま、理事長室を後にした。

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