第26話 「ガッチャっ! 楽しいレースだったぜ!!」

 結局。

 俺たちは三日間、ギルドに閉じこもり、何事もなく王女はこの町から出て行った。



「ギルドの職員が王女の移動を確認した。これで当分は大丈夫だろう」

「本当に助かりました。ありがとうございます」

 ギルドマスターに礼を言う。

 いやぁ、この三日間はずっとギルドにお世話になったからな。

 俺を匿っていることが、王女にバレたらギルドも相当やばかった筈なのに、頭が上がらない。

「皆さんも大変お世話になりました」

 そう言って、俺はギルドマスター以外の職員にも頭を下げた。

 ここにいる皆さんが隠してくれなければ、死んでいたんだから当たり前だ。

「いえ。頭を上げて下さい。……むしろ、ギルドマスターの代わりに書類や机の整理をしてくれて助かりました」

「ええ。ギルド内の掃除までしてもらって、こちらこそお礼を言わせてください」

 そう言うのは受付嬢のお二人だ。

 そう、ギルドから出れなかった俺たちは、何かお手伝いをしようとこの三日間ギルド中を掃除しまくった。

 最初はお礼の気持ちでやっていたが、途中からなぜか楽しくなってしまって、後半は夜も寝ないで掃除するという謎の深夜テンションだった。

 今も鮮明に思い出せる。あの時の俺たちを――



 初日の俺たち。


「よし。せっかくだから、掃除でもして少しでも気持ちを返そう」

「良案だと思います。……手始めにこのギルドマスタ―室から手を付けましょう」

「掃除とな? おおー。やったことがないのじゃ。なにやら面白そうよのぅ」


 二日目


「ふふふっ。壁に這いよるカビよ。お前の圧政もこれまでだ」

「ふっ。ご主人。一部のカビを倒した程度で満足しないで頂きたいですね。……奴は所詮、四天王の中で最弱の存在」

「おぉー!! 凄いのじゃ!! この物置!! 雑巾で拭くだけで色が変わるのじゃ!! 塵芥もここまで積もれば立派よのぅ!!」


 三日目


「ヒャッハー!! 汚物は消毒だーっ!!」

「くっ。しつこい染みですね!! 私が神の世界への引導を渡してやりますっ!!」

「かかかっ。妾にかかればこんなもんじゃーっ!!」


 三日目 夜の部

 雑巾がけレース開催


「それでは、カウントを始めますね。ナイア。ご主人」

「ああ」

「うむ」

 そう言って、俺たちは位置につく。

 いつの間にか始まった。この広い冒険者ギルド。全てに雑巾を掛けるというこのレース。

 ルールは一つ。決められたコースを雑巾がけしている間は、膝を地面につけないこと。

 すでに、レースは三回目。俺たちは汚れや汗に塗れ、白黒のパンダトレノみたいになってた。

 この最後のレース。

 コースはギルドのフロントから奥に続く廊下を抜け、物置の前がゴールとなる。

 フロントから廊下までは直線のストレート。廊下では一度だけ急なカーブがあり、物置まではやはり直線。

 白黒をつけるには良い場所だと、俺が提案し、ナイアが了承した。

「5、4、3、2」

 俺の頭の上で、ノワールがカウントをする。

 それに合わせて、俺たちも尻を上げる。

 俺とナイアは引き絞られた矢のように発射の瞬間を待っていた。

「……ナイア。この試合で決着をつける」

「うむ。今は互いに一勝一敗。誇るのじゃノゾム。魔王に一回でも勝ったことをっ!!」

「0っ!!」

ドンッ!!

 聞こえた瞬間。俺たちは加速する。

 スタートダッシュはほぼ互角!!

 ――いや、少しだけ俺がナイアより先行した。

 俺はその勢いのままインを取るっ!

 よしっ! 最高のスタートだっ!!

 インを取った俺はそのまま加速する。

 見るのは最短距離。それだけだ!!

「かかかっ。内に入ったから有利。そう考えておるのじゃろう? ……もとより、初めは譲るつもりじゃった」

 ――だが、その時。後ろにいるナイアがそう言った。

「少しのハンデは必要じゃろう? ……妾は魔王っ!! じゃからしてっ!!」

 言うが早いか、彼女は速度を上げた。

 先行していた俺の横に並び、追い抜きにかかる。

「ノゾム!! 一回目のレースは不覚を取った。雑巾の扱い、四つん這いでの加重移動、コース選択。全てに置いて、妾はそなたに負けていた。……じゃが、一回目、そして先ほどの二回目のレースで妾はコツを掴んだのじゃ!! もう、そなたに勝ち目は無い」

 そう言うと彼女はまだ加速する。俺は並ばれ、ゆっくりと抜かれていく。

「小難しいことは知らんのじゃ!! 遅いなら、今までより足を回すっ!! この試合は妾の勝ちじゃっ!!」

 俺はすれ違う瞬間、目撃し、理解した。彼女の速さの秘密を!

 幼女であるナイア。高校生の俺。手足の長さは俺が圧倒的に有利。

 だが、直線で走ると良く分かる。彼女の方が遙かに速いっ!!

 その速さを支えているのが、異常なまでの足の回転力ケイデンス。

 だが、こうなることは知っていた。彼女があっさりと俺を抜くということは。

「……そうだな。ナイア。さっきの試合のストレートで抜かれてから、俺はスピードでお前に勝つことは諦めたさ」

 俺はそう言い、姿勢を整える。

 ……これから来る難所の為に。

「ぬおぉぉっ!! 何じゃっ!! この床はっ!!」

 俺の前で、ナイアが体制を崩し、転びかけていた。

 ナイアは危うく、膝をつくところだったが、それは間一髪堪えたようだ。

「気を付けろよナイア。……ここから先は、癖が多いぞ?」

 そう。初日に軽くここの掃除をした俺は知っていた。

 このギルドのフロントから奥へ続く廊下は、部分部分が歪んでいる。

 恐らくは、職員の移動が多いからこそなのだろう。

 普段なら、まったく気にも留めないような僅かな歪みだが、高速で不安定な体制で雑巾を掛けるときはまるで別。

「くそぅ!! 雑巾が危うく手から離れそうになる!! ……なんでじゃ。なんでノゾムは平気なんじゃ!!」

「悪いな。先に行くぜっ!!」

 俺は苦戦しているナイアを、横から改めて抜いた。

 俺が平気な理由は単純だ。

 俺とナイアでは今まで掃除してきた床の数が違う。

 小中学校の掃除はもとより、小遣い欲しさに家の掃除をしていた俺には、適切な力加減。スピード管理。

 それらが技術として染みついている。

 それは魔王として君臨していたナイアと俺との埋めがたい差。

 俺だけが持つ圧倒的アドバンテージだった。

 そのまま、俺は廊下を抜け、ナイアに差をつけながら角を曲がる。

 ここまでで、コースの1/3。順調と言っても良い。

 ……だが、ここからしばらくは直線だ。コースはギルドの奥に進むようになっている。

 つまり――

「待つのじゃーっ!! ノゾムぅぅーっ!!」

 普段の職員の利用が減り、床の凹みなどはどんどん少なくなっていく。

 従って、ナイアの加速を遮るものは無くなってきていた。

 くそっ!! 予想以上にナイアが早いっ!!

 少し甘く見ていたが、そもそも俺とナイアには圧倒的なステータスの差がある。

 だがっ!! もう少しだっ!! もう少しだけっ!!

 あの地点まで持てば、俺の勝利は揺るぎないものになる!!

 俺は必至で足を動かすが――

「恐れ入ったのじゃ!! ノゾム!! 場所を選ばせてくれと言った裏にここまでの考えがあったとはのぅ」

 ――気づけば後ろにぴったりと着いたナイアがそう言っていた。

 くそっ!! 俺の足っ!! もっと回せ!! 回せっ!! ――動けってんだよっっ!!!!!

「認めるのじゃ。仮に同じステータスなら、妾の負けじゃったとな!!」

 そう言うとナイアはまた加速し、俺を抜きにかかる。

 アウトサイドから。

「なめてんじゃねぇっ!! 外から行かすかよっ!!」

 俺は意地で速度を上げた。

 ここさえ凌げばっ!! そんな思いでいっぱいだった。

「おおぅ。さすがじゃノゾム。……じゃが、良いのかの?」

 そう言うと、横のナイアがいきなり減速した。

 ふと前を見れば、このコースで最後のコーナーにして、鬼の急カーブが目の前に迫っていた。

「そのスピードで果たして曲がり切れるのかのぅ!!」

 ナイアがスピードを下げた理由はこれか。

 俺はもう目の前に迫るカーブを見ながら考えた。

 確かにこのまま走れば、曲がれずに壁にぶつかるだろう。

 かといって、ここでスピードを下げればナイアに追いつかれる。

 圧倒的にステータスで負けている俺が、一度でもナイアに先頭を許せば勝ち目はないだろう。

 だから俺は――

「ここを待ってたんだっ!! ナイアっ!! 見せてやるぜっ、俺の溝走りをっ!!」

「なにっ! 減速せんのかっ!! 曲がりっこないのじゃ!! ノゾムっ!!」

 俺はカーブの入り口にあった『手すり』を、力任せに掴んだ。

 途端に強力な慣性がかかる。

 瞬間、体が壁に向けてに大きく流れる……が。

 俺は、右手は手すりを握ったまま、左手だけで雑巾と体を支え、両足を一度地面から放し、わざと大きく体を流して――

「曲がるっ!! 曲がってくれっ!! 俺の雑巾っ!!」

 ――迫りくる壁を『蹴って』加速した。

 同時に手すりを掴んでいた右手に、自分を引っ張るように力を込め、俺は最高加速でコーナーを抜けた。


 そう。

 これが俺の溝走り。

 手すりを利用したコーナリングの極意だ。

 俺が元いた世界では、掟破りの地元走りと言われ、使用を禁じられていたほどの奥の手。

 だが、このレースではこの技を禁止するルールは無い。

 俺がこのコースを選んだ最大の理由は、ここがこのギルドの中で唯一手すりがあるカーブだったからだ。


 俺はその勢いのままゴールした。



 これが三日間の掃除の全てである。


「あれは熱い試合でしたね」

「うぬぅ。悔しかったのじゃ。……最初に先頭を譲っておらねば」

「いや、実際危なかったぜ」

 俺たちが最後のレースを思い出し、お互いを称え合っていると――

「お前らは掃除をしてたんだよな?」

 ――ギルドマスターがそう呟いた。

 ……うん。今になって思えばテンション上げ過ぎたな。

 何気に、命を狙われていたという状況がストレスだったんだろうか。



 俺たちはいったい何と戦っていたんだろう……

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