第6話
その神が魔の物として封印されたのは、百年以上前の話だった。
◆
それは、彼女にとっては遥か昔。
何時の事だったかも忘れてしまったほど、残像の様に残った過去の記憶。
まだ少女の纏う服が、黒ではなく白だった頃の話。
◆
とある山に、一人の神がいた。
国中に在る八百万の神の、その一柱。
国生みの神代よりその地を守りし土地神だった。
やがてそこに村ができ、繁栄し、人々は彼女を祀るために村から少し離れた丘の上に社と建てた。
少女の形をした神様は、■■■■■と呼ばれていた。
彼女は人々に望まれるまま、自然と、秩序を守った。
◆
だが、村が次第に大きくなるにつれて、彼女の役割は減っていった。
人間と神は取引を以て繋がっている。
信仰と加護。
供物と豊作。
だがしかし村が発展すればする程、村は自分の周辺の事を自力で解決できるようになった。天候を導かなくとも、ある程度の工夫によってどうにかしてしまったし、ちょっとやそっとの災害ではしぶとく生き残ってしまう。
やがて、彼女は飽きた。
相変わらず人々には祈られ、願われ、崇められ、そして畏れられたが、彼女の鬱屈は晴れなかった。
やがて暇になった彼女は人間を観察する事にした。
勿論、人々に姿は見せない。
あくまで天の上から、人々の営みをただ観察するのみ。
そうして人々を眺めていく内に、彼女は一つの思いを自覚していった。
脆弱で、愚かで、意味無き存在としか思っていなかった、人間。
――だが、彼らは笑っていた。
愚かで弱いと言うのに。
やがて死ぬ意味無き命だというのに。
何故、あんなにも幸せそうなのか。
だから。
あのようになりたいと、淡い想いを、抱いてしまった。
――彼らが持つものを、自分も得たい。
それは、愛情と呼ばれていたり。
それは、幸福と呼ばれていたり。
それは、憎しみと呼ばれていたり。
それは、恨みと呼ばれていた。
そして、彼女は人のように生きたいと、そう思った。
◆
彼女は、その権能を内部に封じ、神性を持たぬただの人間として見えるように姿を変化させた。
服装も村人と似たようなものにし、普通の娘のように。
ある程度繁栄して余裕のある村だったからか、記憶の無い娘と名乗ればあっさりと温かく受け入れてくれた。
彼女はやや面食らいつつも流石己を祀っているだけある、これも我が加護のお陰か、と自画自賛した。だが、直後に繁栄したせいで自分が暇になっているのだと気づき、微妙な気分になった。
ともあれ、そんなこんなで彼女の人としての生活は始まった。
村の者達は神に、村の外側辺りにある小さな家を与えた。突然現れた故、こんな粗末なものですまない、と謝られたが、神に環境などあまり関係ないし、そもそも自分は神と名乗ってないので、何故配慮されるのかが不思議だった。
これも人間なのだろうか。
そう判断し、少女は人間がしてたのを見よう見まねでお礼と共に頭を下げた。
次の日から、彼女は仕事を割り当てられる事になった。とはいえ、何が得意か合ってるか分からない故、色々な仕事を数日かけてやらされた。
普通、問答無用で仕事を決められるのだろうが、向いている職に就かせる辺り、やはりこの村は栄えているらしい。
畑作や織物など、様々な事を四日程かけて全てやったが、神ゆえ、全て上手くできてしまった。結果、まだ上手くできる人間が少ないという理由で機織りの仕事を任された。
絹糸や機織り機は中々に扱いが難航したが、三日もすれば完璧に扱えるようになった。
周囲の女達は彼女をここまで早く出来た人間は今まで一人もいないと褒め称えたが、彼女自身はややピンと来なかった。
得た感想はどちらかというと、こんな面倒な手順を重ねてまで布の質を良くする理由があるのだろうか、というものだった。
他にも、人間に対しては疑問が多すぎた。
特に、無駄が多すぎるという点において。
ただ暮らすだけなら今までのような麻で十分だし、農地にしても、あんな風に自耕作に走るくらいなら野生の動物のように狩猟生活にした方が何倍も楽だろうに、と。
愛情や幸福を享受する、というのも正直よく分からなかった。
だが。
『――――、』
人々の笑顔を見る度に。
それが、どうやら人間には必要なものらしい、という事が良く分かった。やはり、天上から眺めるだけでは実感できないものもあるのか、と思う一方で、その本質を理解出来ないという小さな苛立ちもあった。
人間風情が作りだすものが自分には理解できない。
神はその事に対し不快を覚えると同時に。
――何故か、少なからず不安も、覚えていたのだった。
◆
結局、その村で過ごしたのは半年ほどだった。
神の身分を隠し、妙に何でもできる娘として暮らす日々。
しかし、そんな暮らしが長く続くはずがない。
彼女は知らなかった。
人は人であり、神は神であると。
そして、神が神たる所以をこそ、彼女は最も自覚するべきだったのだ。
◆
ある日の事だった。
長らくここの土地神としての座を空にしていたお陰か、この土地で天災とも言える大雨が降った。河の一部が氾濫し、農地が潰れた。
幸いにも大きな被害は出なかったものの、少女はこの辺が潮時か、と判断した。
やはり、神としての職務を完全に投げ出すのは少々危険だ。
この程度の災害なら自然の長物として放置するが、天変地異が起こった時の事を考え、大人しく神に戻ろう。結局、人の営みの諸々は理解できなかったが、神としての役割を思い出した事を成果にして引き下がろう。
そう、思った日の夕刻の事。
彼女が数人の女達と山の麓の河に水汲みに行った時。
運悪く、土砂崩れが引き起こされた。
大量の土砂が、彼女らに降り注いだ。小規模だったお陰か、怪我人だけで済んだが、それがまずかった。
土砂の中でも一際大きい岩石が、神の少女の右腕に直撃した。
岩は彼女の腕を枝のように砕き折り、破断した。
右腕から先が消し飛んだのだ。普通ならほぼ致命傷である。間違いなく数分で失血死してしまうだろう。
だが、少女は神だった。
その時のみ彼女は己が人間として在る事を忘れ、神としての権能を使用してしまった。
果たして少女の腕は時間が巻き戻るように復元した。ついでにと全身についた傷も液体が形を取り戻すように消え去った。
彼女が自分の失敗に気づいたのは、耳に響いた女達の悲鳴だった。
少女が振り返った時には、もう既に彼女らは背を向けて走り去るところだった。しまった、と思ったが、まあいいかと神は思った。
どうせならこの際だ。神だと明かしてしまえば済む話だろうと。
そう、思っていた。
村に帰ると、村中の人間が集まっていた。
さて、どう説明しようかと口を開こうとした、その時。
――化け物、と。そう自分を呼ぶ声が聞こえた。
瞬間、怒りと共に彼女の人間としての在り方は完全に消えた。
爆発にも似た光と共に、彼女の纏う服装が変化する。村人のものから、崇め奉られる神としてのそれへ。
白い巫女服のものへと。
――さあ、見るがいい。
――判ったか。
――貴様らが侮辱したものの正体を。
轟、と風が吹き荒れる。
神の形をした少女は思った。これでこの不敬者共も反省するだろう、と。だが、ここまで自分を祀ってきた者共だ。その畏れを免罪に、謝罪と供物で許してやろう、と。
だが、次の瞬間彼女が見たものは、村人たちの恐怖に染まる顔ではなく、自分に突き刺さった矢と刀剣、そして槍だった。
ただの剣や槍ではない。
正真正銘、都の者達が鍛えた退魔の武具である。
だが、己は神だ。
何故自分が地に伏しているのかが全く分からなかった。
彼女は気づいていなかった。
かつて神代より土地神としてあった彼女は、守り神となった事で信仰によって支えられている存在になっていたことを。そして、その信仰の源泉たる人に化け物と呼ばれた彼女は、この時に既に魔性に堕ちていた。
刀剣が刺さった場所から、血が滲むように巫女の衣が色を変えて行く。
神性たる純白の白から、人々が恐れる魔性の黒へ。
――本性を現したな、おぞましい怪異め。
誰かが叫んだ。
神は。神だった彼女は、自分の存在が変わってしまっている事に、村人たちが己に槍を投げる事にひたすら困惑していた。
ただ溢れてきたのは、ひたすらなる怒りと悲嘆、そして絶対の後悔。
……やがて彼女は都からやって来た術者によって自分を祀っていた社に磔にされ、封印された。皮肉にも、村人たちは社に祈った。
――どうか、この魔性を封じて下さい、と。
封じているものの正体が、他ならぬその神だと、気付きもせずに。
◆
守り神を自らの手で失わせてしまった村は、やがて衰退し、消えた。
残ったのは、朽ちた神社と、そこに縛られた神。
全身に刀剣と槍が刺さった、黒い巫女服を纏った長い黒髪の少女。
その胸に、人間への憎悪と慙愧を宿した魔性が、そこには居た。
彼女は誓った。
必ず、必ずあの者らを許さぬと。
のうのうとこの世に生きる人間どもを全て全て、焼き滅ぼしてくれる――
◆
――そして、百年の時が経った。
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