第4話
その晩は、晴れて月のある夜だった。
十時守健一郎が丘の社に現れてから、二十日余りが経った頃だった。
健一郎は月夜の下、赤い鳥居の柱の下に座り膝の上に妖刀を乗せてその刃を磨いていた。彼が布で一拭きし、夜闇に翳すたびに刀身がぼんやりと月色に輝いた。
その様子を相変わらず鳥居の上から見ていた黒巫女の少女は、唐突に飛び降り、青年の傍に寄っていった。
健一郎は取り立てて驚くような事はしなかったが、自分の方へ歩んでくる少女の方に意外そうな目を向けた。
「……うん? どうしたのかな」
「その妖刀……、大陸由来のものと言ったか。見せてみるがいい」
「いいけど。刀身には触れないでくれよ?」
「当たり前だ。そんなことをしたら我は今度こそ消滅してしまう」
少女の形の神はゆっくりと健一郎から渡された刀の柄を持って月に翳してみせる。
「……成程、月に輝く刀……あやかしや怪異を殺すモノ……」
「大陸の鍛冶屋が鍛えた物を僕が引き取ったものだから、由来は知らないけどね」
「ふん、怪異やあやかしの類が
「それは……」
そう、と黒巫女の少女は闇夜の空を指一本立てて指さした。
そこに輝くのは満月より少しだけ削られた月があった。
「――夜だ。魔性は夜に生き、人の世の裏に住む。まあ、単に人が昼に生きる故、夜が魔のモノの住む場所になったのだが、いやまあそれは良い」
とにかく見るがいい、と少女は指先に一つの炎を灯してみせる。
すると、炎は流体が流れるように宙を流れ、刀身に吸い込まれていった。
「……これは」
白装束の青年は軽く目を見開いた。
そんな彼に少女は無造作に刀を投げ返した。
「――貴様はこれを怪異を消し飛ばすものだと言ったな? だがその本質は違う。この妖刀は、怪異を『殺す』のではなく『吸い取る』ものだ。この世から消すという意味では等しいがな。この刀には、今の今まで貴様が滅してきた怪異の、その力が全て収納されているだろうよ」
「へえ……それはぞっとしないな」
放られた刀を空中で掴んだ健一郎は軽く笑って刃に触れた。呼応するように刀が揺らめく光を発する。
「故に、それは夜闇に輝くのだろうよ。その刀に渦巻くあやかし共は夜に活性化する。その力が外に発され、刃は月に泣くのだ」
すう、と黒巫女の少女の身体が宙に浮く。
そしてそのまま彼女は赤い鳥居に再び腰かけた。
ふと、気付いた健一郎が彼女を見上げた。
「――という事は、この刀を今すぐここでぽっきり折ってしまえば、君は力を取り戻せるのかな?」
どこか悪戯っぽく言う彼に、少女は半目になって返した。
「……その場合、貴様の刀に収められた怪異の力が全て溢れ出るが?」
「ああ……そいつは駄目だ」
だけど、と彼は続ける。
「――だったら、君の目的も果たせるのかな。君の目的は人の世を焼き尽くす事だ。ならば、大量の怪異、それこそ僕が引き取る前にも収められていたであろう、膨大な量の怪異がこの国、ともすれば世界を埋め尽くす。ならば、君はそれで人への恨みを晴らせる。……違うかい?」
「…………………………………………、」
「……………………、」
「…………、」
「……、」
青年は紅の鳥居の上に佇む少女を見上げる。
彼女の顔は、月明かりの陰になって見えなかった。
「まあ、いいさ」
呟くように言って、健一郎は輝く妖刀を鞘に納めた。
そして社の方へと体を向けた。
「じゃあね。また明日」
青年が去ってゆく。
その姿が社に消えたところで、初めて固まっていた姿勢と――表情を、動かした。
「――――っ」
ぐ、と彼女は自分の座っている鳥居に力を入れた。
――君の目的も果たせるのかな。
その言葉が。
妙に。
苛ついて。
「…………」
右手を翳す。
その指先は崩れかけの社に向いている。
意識を向ければ、それで終わりだ。
それだけで、あの朽ちた神社は間違いなく崩壊、否、この世から消し飛ぶだろう。
「…………ッ」
なのに。
手は動かなかった。
震えるだけで、動かなかった。
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