第3話


 結局。

 健一郎と名乗ったその男は夜が明けるまで話し続けて少女の頭を痛くした挙句、『話足りない』と宣い、彼女が祀られていた神社を寝床にしてしまった。


 一応神社の主は黒巫女の神なのだが、ああも堂々と居座られてしまうと逆に社のどこに居れば良いのか困惑してしまった。結果として彼女は夜明けと共に呑気に眠りに就いた青年を一睨みしてから外の鳥居の上に座る事にした。


 ちなみにこんなやり取りがあった。

 


『おー、夜が明けちゃったか……』

『……結局あれから六刻も止まらずに喋りおって……。貴様、人間の喉していないだろう。貴様こそ怪異か何かではないか?』

『まあ、まだ話足りないけど』

『……、………………、』

『という訳で、えーと、あの社、崩れかけてるけど住めるよね。あそこで寝させていただくわ』

『まだ此処に居る気なのか貴様!? というかおい、我が社に無断で住み込むというのか、人間』

『健一郎だってば。――いや、駄目かね。命を見逃した代わりに……みたいな?』

『貴様……』

『うーん、どうしても嫌なら出て行くんだけどね。残念だなあ、まだ面白い話、沢山あるんだけど』

『……………………』

『お、良いって事?』

『ッ、好きにしろ!!』

『ははは、素直じゃないねえ』

『く、崩れろ! 貴様が寝こけている間に社なぞ崩れてしまえ……!!』

 


 そんなこんなで、結局彼女の方が負けた。

 朽ちた神社に封印され、誰一人と喋ることなく百余年。要するに、彼女も彼女で他人と喋ってみたい、という感情があったのだ。


 何せ百年以上の間、あまねく人々への恨みと復讐心だけで自分を保ってきたが、ついぞその思いが叶う事は無かったのだ。その鬱憤ストレスを何らかの形で晴らしたい、という考えが無意識の内にあったという訳である。


 ……あとはまあ、彼の話が意外に面白かった、というのもあるのだが。


 それに、健一郎は「ちょっと削がれただけ」と言ったが、実際の所彼女は相当な力を失っていた。割合で言うと、大体八割五分程があの妖刀によってごっそり削られてしまったのだ。


 元から失われた信仰故に殆ど力の残っていない身。更に削られてしまっては正直、身を保つだけで精一杯だった。

 もし百年前のように純性の存在だったなら一発で消し飛んでいる。


 しかし彼女の身は最早呪いそのものと成り果てた。この世に蔓延る恨みや慙愧を喰らって存在する事が出来る。無人の廃村ではあるが、時間さえあればまだ力を取り戻す事も出来なくは無い。


 力が戻るまでの間、暇つぶしに付き合ってやろうと判断したのだった。

 

              ◆

 

 

 健一郎は本当によく喋る男だった。

 

 百年以上封印されていたなら今の世の事も知りえまい、と都や地方などの様子を語り聞かせたり。

 国中方々を旅した話や、その折に大陸の僧と知り合った話だったり。

 果ては海を渡り、西方の不思議な技術やら呪術の話だったり。


 そんな話に一日の半分近くを費やした。

 朝起きてその辺の鳥を獲って食い、黒巫女の神に話し、昼またその辺の獣を獲って食い、元神の少女に話し、夜その辺の山草やらを採って喰い、そして月が高い位置に来るまで喋り、ようやく眠る。


 今までどれだけ話し相手が欲しかったのだと言いたくなるほど、彼は良く喋った。

 この男の喉、マジで異常。あと文明圏の人間の癖して狩猟生活上手過ぎるだろう、と思った。


 ところで黒巫女の神は一応、話している途中や寝込みを襲って殺そうともしたのだが、あれはあれで武人の類らしく、恐ろしい程に隙の無い男だった。


 そんなこんなで、彼女は屈辱ながら彼の話を大人しく延々と聞く他なく。


(……我、一体何をしておるのだろうなあ……)


 と。

 三日目には遠い目をするようになっていた。

 

              ◆

 

「――と、いう訳で。その怪異は大陸の呪術師が西方から輸入した蜥蜴と蝙蝠とを掛け合わせたような、鉄の鱗を持つ怪物でしたとさ」

「…………いや待て、それオチあるのか、貴様?」

「いや、退治はしたよ? ちゃんと。でも飼い主が居てなあ」

「そんな怪物飼う人間が居るのかオイ!?」

「どうやら西方の砂漠を越えるのに便利らしい。だから殺さずに返しといた」

「因みに喉の辺りを刺激したら大暴れしたからそいつと大喧嘩になった」

「何で生きてるんだ貴様……」

「ははははは」

 

 ……‪十時‬守健一郎がこの神社に来てから早七日。

 すっかり馴染んでしまった彼に合わすように、黒巫女の少女も大人しく鳥居の上で彼の話を聞くようになっていた。


 鳥居の柱の傍に膝をつき、少し上を向いて話す青年。

 そしてその鳥居の上に腰かけ、黒髪を風になびかせ、彼の話を聞く少女。


 何も知らぬ者が見たら不可解極まりない光景であるが、というか元神の少女も全くそう思っていたが、また不思議と自然に馴染んでもいた。

 全く謎だ、と少女は鳥居の上で首を捻った。


 

「――さて、話もひと段落したし、昼ご飯を調達して来ますか」


 太陽が中天に昇った頃。

 健一郎は鳥居の柱の根本から立ち上がり、軽く伸びをした。そんな彼に、上から声をかけてみる。


「ずっと気になっていたのだが、人間、貴様どうやって獣や鳥を狩っている?」

「ん? ああ、この妖刀で」

「…………、待て。貴様、その馬鹿でかい刀で猪やら鹿を……いや地を駆る獣の類はまだ分かるが、空を飛ぶ鳥はどうやって打ち落としているのだ」

「ぶん投げる」

「……………………、」


 黒巫女の少女は考えるのをやめた。

 あかんこの男、本当に人間としての常識がマジで通じん、と。

 元・神が言うのもなんだが。


「…………まあ、その、何だ。……狩りすぎるなよ」

「? おう。まあそうか、一応神様だったな、君」


 くるりと背を向けて森へ向かう青年の背を、何故か軽く睨むように送ってしまう。


「……、我、何をしておるのだろうなあ……」


 ここ七日間で何度抱いたか分からない疑問を口にしてみる。

 ふ、とため息を吐く。


「――――、」


 黒巫女の少女が視線を鋭くした途端。

 空が、曲がった。


 そう錯覚させる程に、煤けた赤い鳥居を中心に、空が、雲が渦巻いていた。風がざわめき、草原は放射状に揺れ、鳥や獣が群れを成して去ってゆく。


 仮にも元・土地神。国生みの神代より存在していた故の強力な力を持ちはする。

 だが、


「足りんな……」


 彼女がため息と共に目蓋を閉じると世界は緊張を除かれた様に落ち着きを取り戻した。


 足りない。

 全くもって足りない。


 この国、のうのうと生きているあまねく人共全て全て、焼き尽くすには、まだ足りない。やはり、あの男の刀にそっくり削られたのがいけないようだ。


 妖刀、といったか。

 銘はどうやら無いようではあるが、七日かけてもこれほどまでに力が戻らないとなると、やはり相当強力なものであったか、と少女は考える。


 だが、力が戻らん訳ではない。

 ならば、


「……あの男の無駄話に付き合ってやるのも一興、か」

 


 数分後。

 健一郎が手ぶらで帰って来た。

 彼は微妙な顔をしながら、


「…………昼ご飯が急にみんな逃げてったんだけど」

「鳥獣を飯扱いか。貴様、野生に生きすぎだろう」

「いや、まさに斬りかかろうとした瞬間に鹿の群れが逃げてったからね。その後森を歩いても急に獣の気配が全部無くなってしまった」

「そんな貴重な妖刀を狩りなぞに使っているからだ」

「もしかして君の仕業だったりする?」

「さてな。もしそうだとしても、意図的ではないと言っておこう」

「やはりそうか。あーあ……どうしたもんかなあ……」


 やれやれと首を振る青年を見下ろしながら、元・神は嫌がらせが上手くいった子供のように上機嫌にぶらぶらと足を揺らしていた。

 

 ……、…………。

 

 

 ――――内心で、どうしようもない、小さな澱のような不安を抱えながら。

 

 

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