秋の訪れは、彼との別れ
私の住んでいる土地は、田舎でもなく都会でもない。
最寄り駅には大きなショッピングモールがあるし、バスも電車も沢山ある。
都内へは一時間くらいで行けちゃうけど、家から自転車で三十分のところにある私のバイト先付近は、畑や田んぼが沢山ある田舎だ。
夏頃になると田んぼには水が張られ、いつの間にか稲が綺麗に並び、熱い風に揺られてさらさら音を立てる。
やがて、稲が背を伸ばし、通り縋る人々にお辞儀をするように頭を垂れた稲穂は、秋の訪れと共に豊かに実り、田んぼを黄金色に染める。
バイト先へ向かうたびに、私は豊かな稲穂が漣のように風に揺られるのを見て、大好きな秋の訪れを実感するのだ。
黄金色の海はもうすぐ収穫され、後には娘を送り出して嬉しいような悲しいような……少し寂しげな大地が残る。
私もなんだか寂しい気持ちになる。
バイトが終わった夕方に、私が自転車を押して畦道で立ち止まると、稲穂の中で長い黒髪を風に揺らした大地がこちらをじっと見ていた。
端整な顔立ちの美丈夫は、口を噤んだまま私のことを見つめている。
私はつい、こんなことを口走る。
「ねえ、毎年毎年、貴方はこうして一人になる。寂しいでしょ? 私もなんだか寂しくなるんだ。秋は大好きだけど、寂しい季節よね。もうすぐ寒い冬がやってくる。一年の終わりが近付いてくる。
言葉を交わしたのは初めてだった。
いつもお互いに目が合うことはあっても、私は周囲に人の目があっては困るので、決して声をかけることはしなかったのだ。
彼は、まさか話しかけられるとは思っていなかったのだろう。
しばらく言葉を選んでいたようだが、
「初夏になれば、また会えるよ」
と、歌うような美声で言った。
彼はこんなにも素敵な声を持っていたのか。
もっと早くから言葉を交わす仲になっていればよかった……。
私は少し後悔した。
私たちが会えるのは、六月から九月の三ヶ月だけ。もうすぐ八月が終わる。お米の収穫が終わってしまえば、彼は来年の初夏まで、長い長い眠りについてしまう。……この田んぼには、誰もいなくなってしまう。
「ずっと先のことだわ」
「すぐさ。一年なんてあっという間だよ」
彼は一度言葉を止めると、どこか遠くを見つめるような目付きになって、続けた。
「……ぼくはずっとここにいるけど、君はいずれこの土地から去って行くかもしれない。結婚を機に、もしくは就職を機に。ぼくの元から去っていくのは君の方だ」
「私は結婚なんてしない。こうして貴方と話が出来ることを、周りのみんなはひどく怖がるの。風や木や、大地と会話が出来る素敵な
「……どうしてそんなに寂しいことを言うの?」
遠くを見ていた彼の瞳が真っ直ぐに私を見た。
泣きそうな目は、悲しそうに笑っているように見えた。
「嫌いだから。……私、人間は嫌いよ。大嫌い」
「ぼくは好きだ」
「……どうして」
「君が人間だからだ」
「……」
そんなに綺麗な瞳で見つめないで。
愛おしくてたまらなくなる。
あなたのその、切なげな灰色の瞳。
「もし、私が人間でなかったら、あなたは同じことを私に言ってくれなかったかしらね」
叶わない恋。
初恋は叶わない、本当ね。
「どうせ叶わない恋なんだもの。貴方に好きって言ってもらえる人間でよかった、って……そう思うべきなのかしら」
私が好きになったのは、人間じゃなかった。
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