15.再会

 黄色い毛布に包まれた水も滴る良い男とセイラが再会したのはその一時間後である。

「ジュリアン!」

 大きな声で呼びかけると、彼は困ったように、毛布の隙間から手を出して小さく振る。セイラがお嬢様らしからぬスピードで駆けつけ飛びつこうとすると、慌てた。

「まって、セイラ」

「?」

 急には止まれずジュリアンに突撃する格好となる。

 そのまま両手で彼に抱きついて見上げた。

「感動の再会と行きたいところなんだけど、今はちょっとその、拙い」

「どうしたの?」

 半年振りだというのに、しかもあんな別れ方をしてかなり心配していたというのに、やっと会えたときの反応がこれではセイラも面白くない。確かに磯臭くはあるが、そんなのは構わないというのに。不満をあらわにすると、ジュリアンはさらに慌てた。

「いや、その五分だけ待っててくれ。そうしたら仕切りなおし。うん、再会をやり直そう」

「何よそれ!!」

 すると、彼を再びイーハーまで連れてきた男が顔を背けて笑っている。

「何よ、エマーソンさん」

「イーハーから真っ逆さま。普通生きてるのですら奇跡なのに、彼はいったいどんな魔導を使ったのかはしらないけれど無傷でいる。でも全てがというわけにはいかなかった」

「?」

「洋服がずたぼろです。少しだけ待ってあげてはどうですか?」

 助けではあったのだろうが、隠して何とかやり過ごしたかった部分を暴露されてジュリアンはエマーソンを睨む。

「まあ、だから、ちょっとだけ待って」

 泊まっていた宿はすぐ側だ。セイラたちは図書館内にいると思っていたので油断していた。まさか迎えにきてくれるとは、嬉しいが大誤算だ。こんな姿をさらす予定ではなかった。

 黄色い毛布がひょこひょこと走り去る姿を見て、悪いと思いつつセイラとエマーソンは顔を見合わせて笑った。

「ジュリアンを連れてきてくれてありがとう」

「いえいえ。これぐらいの労力は別になんとも。あちらにいては面倒だったので反対にお礼を言いたいくらいですよ」

「後始末大変そうだものねー」

「そうですねぇ。マイヤーズが開けた大穴ですごいことになりましたから」


 ヴェステルス男爵を殺害した犯人、マイヤーズは突然部屋の壁を破り外に逃走した。現在全勢力を注いで追跡中なのである。

 表向きはそうなっている。

「しかし、すごいですね。彼」

 ちらりとクライドを見ると、彼はセイラと瓜二つの女性と楽しそうに話をしていた。

「クライド、強いもの」

 ひと蹴りで壁に大穴を開けるとは、本当に海に沈められなくて良かったと思うエマーソンである。

 今、下はもうこの世にはないマイヤーズを追っててんやわんやの騒ぎだ。本来ならそれに参加しなければならないのだが、突然クライドの元に連絡が入り、それがセイラに伝えられると彼女からエマーソンに命が下った。イーハーの下に落ちているある男を連れてくるようにと。それもできればあまりおおっぴらにならないように。

 沈黙していたイーハーとやりとりができるようになったのもちょうどそのときである。

 通信により中の状況が説明され、一時間ほどしてようやく救援の第一便が各街からイーハーへ向けて動き出した。エマーソンとジュリアンはそれに乗って一緒にやってきたのだ。

 ガベリアから船で海へ出て、漂っている彼を見つけ一番近い港に入る。そこはギレイヌでイーハーへの船があった。ガードラントの領土ではないが、同じイーハーへ繋がる街ということで懇意にしている人間が数人いる。見逃してもらうのは訳もなかった。街で服を見繕ってとも思ったのだが、そうなると次の便まで待たなくてはならない。ジュリアンの泊まっていたホテルもギレイヌ側にあるのでちょうど良いと無理やり乗り込んできたのだが、それが裏目に出てしまった。

 レディの前であの格好では彼にしてみたらとんでもない失態だろう。同情する。

「クライドから文書もらった?」

「ええ。いただきましたよ。まあ、口外する気はありませんでしたが、あの契約を交わしたら何が何でも口にできませんね」

 仰々しいガードラントの紋章入り契約書。破ったものを焼き尽くすという恐ろしいものだった。

「事後承諾になっちゃってごめんね」

「いや、まああれは事後承諾になってしまうものですよ」

 仕方ないと思う。大して迷惑だとは思っていない。それなりに彼も上へと目指す志はある。そうなれば今回のかかわりは悪いことではない。

「そういえば、イーハーの中でも事件が起こっていたんですって!」

「そのようですね。一応耳には入ってきています」

 まだ全容は解明されていないが、市長の息子が遺体となって発見されたという。すでにホシは上がっているそうだから、その点は一安心だ。問題はその犯人がしでかしたことによってイーハーが閉鎖されたということだ。ただの殺人だけでは終わらない。状況によってはガベリアの死活問題となってくる可能性もあった。

 すでに一部の人間からイーハーの一般客閲覧禁止といった話が持ち上がっていると噂が流れてきた。そうなれば今までの生活様式ががらりと変わる。

 エマーソンは、ガベリアに生まれガベリアで育った。その風景が消えてしまうのは寂しい。

「イーハーはどうなるのでしょうね」

「ん? ああ。閉鎖がどうのってお話を私も聞いたわ」

 司書たちはそれを望んでいた。彼らにとって来館者を迎え入れるのはわずらわしいことでしかないという。

「エマーソンさんは嫌なの? 警察は、街が静かになってよいのかなと思ったけど」

 確かに人の出入りが多いガベリアでは軽犯罪が多発する。特に金持ちを狙ったものが多く、面倒ごとに発展することがままある。しかし、そんな喧騒も彼は愛していた。

「やはり、寂しいですね」

「ふうん。じゃあ、今まで通りになりますようにってお祈りしていればいいわ」

 自分の肩より下の少女がそういってにこりと笑う。

 それは、と問いかけるより前に、彼女は走り出した。

 前方には新しいスーツを着たジュリアンがいる。

 感動の再会の仕切りなおしだ。

「久しぶり、セイラ。少し背が伸びたのかな?」

「うん。ちょっとだけね!」

 ジュリアンは彼女を抱き上げてその場をくるくると回る。

「ジュリアンは痩せた?」

「いや。変わらないよ。別にそんな厳しい生活をしていたわけじゃないから。むしろちょっと筋肉が落ちてしまった気がする」

「ぐうたらな生活だったのね」

「うん。否定できないなぁ」

 クライドとアリスが二人の下へやってくる。

「お久しぶりです。アリスさんが大変お世話になったようで」

「いやいや、こっちこそお世話になりっぱなしですよ。……ありがとう」

 預けていたスーツの上着と靴の入った袋を受け取る。セイラを下ろして仕込まれている呪符を今来ているスーツへと移動させた。

「それでは私もさすがに戻らなければなりません」

 大切な命令とはいえ、あまり留守にもしていられない。逃げるにも限度がある。

「いろいろありがとう! またね!」

「お世話をかけました」

 エマーソンの姿が見えなくなると、四人はそろってイーハーの中へと向かった。

「なんかそっちも大変だったみたいだね」

「うん。でもまあそんなに。貴方よりはぜーんぜん。私は閉じこめられてないし、ぬれねずみになってもいない」

 機嫌良く答えるセイラにジュリアンは苦笑する。

「んーまあ、確かに大変だったなぁ、今回は」

 まさか仕事以外でこんなアクロバットを披露するはめになるとは思いもよらなかった。

「それにしても、なんでまたイーハーへ逆戻りしなければならなかったのかな?」

 荷物を取りに行かねばとは思っていたが、エマーソンからセイラたちが待っていると聞いて疑問に思った。こんな事件があった後だ。それこそ権力を駆使しないと中へ入るのは難しいだろう。すなわち、それだけの手間をかけてのこれなのだ。

「だってまだ用事が終わってないもの」

「ああ、絵本か」

「絵本?」

 話が噛み合わない。

「あれですよ、セイラさんの大好きな魔法使いの本。小さいころ何度も読んであげた……」

「ああ! 最後がとっても悲しいやつね。そういえばあの絵本いつの間にか見なくなった」

 アリスが頷く。

「だから、待っている間にここで探そうと思っていたんですけれど、結局見つかりませんでした」

「そっかぁ」

 四人は奥へ奥へと向かう。

 今、イーハーは機能していない。MIが初期化されてしまい、一時的に人はこの図書館から追いやられていた。なのに、セイラたちは当然のように、迷うことなく進んだ。

「何度も来ているの?」

 ジュリアンの問いかけに三人は頷いた。

「定期的に来るのよ。普段はクライドと一緒に。時間が合えばアリスもね」

 だから勝手知ったる場所なのだと言う。

 Bフロアを通り、さらにそこを上へ行く。

「もしかしてAへ?」

「うん」

 関係者以外立ち入り禁止の層。

「セイラさんはあのお話の最後を覚えていますか?」

「うん。あれはね、主人公の男の子がやがては青年になって王様になるの。でも魔法使いは年を取らない。いつまで経っても若いままで周りからは気味悪がられてしまう。そんな周囲の影響で、やがては王様も彼を少しずつ遠ざけてしまうの。それでね、魔法使いはいつの間にか姿を消してしまうのよ。誰にも告げず。いつの間にか。王様はある日気付くんだけど、いつ消えたか全く分からないの。王様が『帰ってきてくれ』って言うんだけど、もう魔法使いはいない。いなくなって初めて王様は魔法使いのことが大好きだったって分かったの。泣いて泣いて、やがてそれは大きな湖になる。それが今のガードラントの中央にあるリグローア湖って言われてるんですって」

「ああ、そうそう。少年というのはガードラントの初代の王をモチーフにして描かれていたのでしたね」

「うん。魔法使いはきっととっても悲しかったんじゃないかなって。だって今まで一生懸命王様のために色々アドバイスをくれたりしていたのに、周りの人が魔法使いを怖がったからって王様までそんな態度をとるなんて……。私はそれで泣いていたの」

 B層からA層へ続く階段には大きな錠がかかった扉を開けて進む。クライドが鍵を取り出し、三人はその中へ入る。

「ジュリアン?」

 歩みを止めた彼へセイラが首を傾げる。

「いや、僕が行って良いの? 一応秘密なんじゃないかな、と」

「良いわよ。ジュリアンは特別! すごく綺麗だから絶対見て欲しいの」

 無邪気な彼女に困惑しつつ、その両親を見やれば彼らも頷いている。本当に良いのだろうか。裏の肩書きはもちろん、表のそれもあまり褒められたものではないというのに。そこまで信用してもらうと反対に居心地の悪さを感じてしまう。

「ほら、はやくはやく!」

 無理矢理セイラにひっぱられて、螺旋階段を上る。やがて見えた広間は中央にオレンジ色の光を放った球体が浮かんでいる不思議な空間だった。

「何、これ? A層ってこれだけ?」

「そう。ここがA層。ジュリアンは、二人と一緒にそっちの方で待っててね」

 そう言い残して彼女は中央の球体へ近づく。

「セイラ……」

 思わず一緒に進もうとするとクライドが彼の腕を取る。

「危ないです」

「魔導?」

「イーハーは、MIによって動いているというお話を、先ほどしましたよね? そして、MIにはとても膨大な力が必要になると……」

 確かに、そんな話をした。そして、そのMIを初期化したのがジュリアンだ。

「ああ……魔生生物の……」

 クライドが頷く。

「あのエネルギーをずっと体内に留めておくのはあまり良くないんです。人の体に収めるには大きすぎる物ですから。ただ、無闇に放出することもできない。そこで目を付けたのがこのイーハーです。それまではかなりの人員を割いてエネルギーの補充をしていたのですが、ここのところはこうやって充填作業を行います」

 魔生生物と対極にあるMIの原動力が魔生生物から得たエネルギー。それは、運命なのかもしれない。

「レノックス様!」

「大丈夫!」

 ジュリアンは制止を振り切りセイラの元へ向かった。

「ジュリアン?!」

 驚く彼女を抱きかかえる。それまでは彼女の頭の上に浮く球体に背伸びをして手をかざしていたが、こうすることによって彼女もまたオレンジの球体を抱きかかえるような形になった。

「危ないわ。ジュリアン」

「心配いらないよ。大丈夫……僕を信じて」

 不安そうに仰ぎ見るセイラにジュリアンは優しく頷く。

 彼女の両手は普段なら手袋によってその肌を隠していたが、今はそれも取られ、左手の文様が露わになっていた。オレンジの光が彼女の入れ墨の色、紫へと少しずつ変化する。

「こうやってね、魔生生物から得たエネルギーをこの子に注ぐの。そうするとこの子はまたお利口になるの。ジュリアンがリセットしたから、また赤ちゃんの状態からだけどね」

 額に汗を浮かべながら、それでも平気な顔をしてセイラが語る。

 この作業もまた、魔生生物を取り込むときと同じように苦痛を伴う物なのだろう。

「ジュリアンはなんともない?」

「うん。平気だよ」

「あと少しだから」

「うん」

 少しずつ、球体の周りにもやが生まれる。それはセイラとジュリアンを中心に部屋中に渦巻き出す。

「さっきまでは空っぽの状態だったの。それがこうやっておなかいっぱいになって、また元気に動き出す」

 セイラを抱きかかえながら、ジュリアンは上を見る。北の方でまれに見られるオーロラのようなものが、そこかしこに現れた。

「ねえ、セイラ」

「うん?」

「魔法使いは別に寂しくなかったと思うよ」

 手を前にかざしたまま、彼女は振り返る。抱きかかえられている恰好なので、ジュリアンの表情までは見て取れない。

「魔法使いはね、むしろ、安心したんじゃないかな。王様が立派な指導者となって一人前になったことに。自分の役目がきちんと果たせたことに。だから身を引いたんだ」

「……本当?」

「それまでずっと王様を見守ってきて、確かに寂しくはあるかもしれないけれど、それ以上に嬉しかったはずだよ。僕は、そう思うな」

 セイラの中のエネルギーが全てイーハーへ注がれる。紫色をした入れ墨が光を消した。それを見てジュリアンはセイラをゆっくりと下ろす。

「そうだと良いな……」

 白い手袋を両手につけながら、彼女がジュリアンにしか聞こえない声で囁く。

「きっとそうだよ」

「……うん」

 俯いて、顔を上げたときにはもういつものセイラだった。

「ねえジュリアン。貴方はまだよ?」

「何が?」

「貴方はまだ消えてはダメよ! お話したいことがいっぱいあるんだから!」

「もちろん! そうだ。今度ガードラントの首都で劇があるって知ってるかい? あれに君を誘おうと思っていたんだ。僕のために体を空けてもらえるだろうか?」

「ええ、喜んで!」

 再会は新たな旅立ちとなる。

 ジュリアンがすっと右手を差し出す。

 セイラはそれに左手を乗せて、二人は次の物語への第一歩を踏み出した。

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