14.空中要塞の崩壊

 結局、イーハーから外に出る手段は見つからず、外部からの救援もこれまでにまったく得られなかったことから無理なのだろうという結論に達した。

 そこで、少々危険な方法ではあるが、イーハーのMIを一度白紙に戻そうということになった。これまでの成長は確かに惜しくはあるが、これではイーハーがイーハーの意味を成さない。ここは図書館でなくてはならないのだ。

 閉じこめられた人々もいる。食料の貯蔵は万全で、いざとなれば十年二十年過ごすことも平気だというが、誰もそれを望んではないない。司書ですら、そうだ。外界と遮断され、街へ下りることが滅多にないとは言え、やはりここは永住の地ではない。自分たちはあくまで雇われているだけなのだ。


 そう、レナ以外は下りることを望んでいる。


「なんで犯人の幅を狭めるの覚悟で私があの昼の時間にやったと思う? あんまり人が多いと食料が尽きてしまうでしょう? そうなったら困るから。閉じこめられて、私はここに住み続ける。幸せよ。とっても幸せ。まあ、予定では犯人とばれてはいないはずだったのだけどね」

 ルーニーに彼女の犯した罪を告げ、今は後ろ手に縛られている。ただ、目を離すわけにもいかず、こうやって一緒に行動しているのだった。

「こうなることが分かってやったというのか!!」

 瞳に怒りを灯すルーニーに、彼女は微笑む。

「ええ、そうよ」

 嬉しそうな言葉に、何か異なる生物を見るような恐れを抱いた視線を向けて、やがてそらす。

「ルーニーさん、まず状況を教えてください」

「ああ……MIを初期化する装置が、E層にあることは知っていました。ただ、本が増えるとともに増改築を続けてきたせいではっきりとした正確な位置が掴めるのに時間がかかりまして……こちらです」

 ルーニーの他に二人ほど年輩の司書が先を行く。二人とも紙のように白い顔をしていた。最悪の状況というのは嘘ではないのだろう。

 いくつかの扉を抜けて、大きな広間に出た。

「イーハーの底です。ちょうど中央にある、あのオレンジ色の光っているところへこの私が持っている石をはめ込むと、MIは初期化されます。一時的にイーハーを空中に留めている魔導以外は全て解けるのです。本来はこの道から行けるはずでした」

 ルーニーの指し示す方角に、きちんと道が造られている。

 だがそれは、途中で結界によって分断されていた。

「あれは、とても拙いもののようですね」

「触ったら死んでしまいます。ちょうど真上にある禁書の結界がそのまま下へと伸びてしまっていたんです」

「何も考えずに部屋を増やしていった結果よ。ホント、馬鹿よねぇ」

 くすくすと笑いながらレナが言うと、ルーニーは彼女の胸ぐらを掴む。

「貴様がっ!!!」

 慌ててアリスがその手を掴んだ。

「今はそんなときではありません。彼女は皆が無事ここから脱出できたとき法が裁くでしょう」

 結界は、丸く作られることが多い。それが一番強い形だからだ。許可がない限り入ることの出来ない禁書の部屋の結界がそのまま下にまで影響を施している。それに今まで気付かない者も馬鹿だとしかいいようがないが、今はそこを責めていても仕方ない。

「もちろん上の結界の解除は試してみたのですよね?」

「ええ。これに気付いたとき最初にやってみましたが、イーハーは受け付けません」

 何せ今は緊急事態なのだから。

 このイーハーの底は、ガラスのように地面が透明で遠く下には海が見えた。一本、石でできた道がそのオレンジ色の光を放っている場所へと続いている。ただし、ルーニーの石をはめるその場所半径五メートルは、床はは透明だ。そこから海が見えるのだ。

「あれってガラスじゃないですよね」

「ええ。魔導で支えを作っているんです。まあ、あそこに石をはめてもそれはこのイーハーを作り上げている基本構造物の一部ですから消えることはありません。大丈夫です。というよりもあそこまで行けないんですから関係ないことですよ……」

 ルーニーは悔しそうにイーハーの底を見つめる。

 目の前に全てを解決するボタンがあるのに、後少しで手が届かない。

「他に方法はないのですか?」

 アリスの問いかけに司書たちは思わしくないといった顔をした。何せ最後の手段と来てみればこの状態なのだ。他の方法がないから最後の手段なのだ。

 落胆の色を隠し、彼女はそのまま隣で沈黙する男へ目を向ける。一瞬だけ目が合ったが、お互い何も言わずに再びイーハーの底へ視線を戻した。

 中央に鎮座するイーハーにとって頭脳の元とも言える部分。

 本当に偶然なのだろうか? 禁書の結界が偶然核を人から守っている。

 アレは本当に……偶然の産物なのだろうか?

「ルーニーさん! お客様が……」

 重苦しい沈黙が若い司書の呼び声で破られるた。

「ああ、分かった」

 事態の説明がないまま、もう四時間近く経とうとしている。いくら本を読めるようになったといっても、正直もう優雅に読書という気分ではないのだろう。いったいいつになったらここから出られるのか。不満は不安を呼び、余裕をなくす。余裕がなければ娯楽の一部として読書を捉えている人間にはなんの精神安定剤にもならない。

 司書たちは年若の彼についてこの場を去ろうとする。だが、動かない影に気付く。

「レノックス様?」

 ルーニーが問いかけると、彼は軽く頭を振った。

「すぐ行きます」

「どうせ助からないならもしもの可能性をかけて飛び込んでみる? お勧めはしない。その結界は間違いなくあなたの命を奪うわ」

 レナが皮肉な口調で言った。

「レナ。あの時、僕が一人B層に取り残されたとき、君が本気で心配してくれていたことは知っている。大丈夫。自棄になんてならないよ」

「……」

「ただ……もう少しこの海を見ていたくて」

 閉鎖された空間から見ることの出来る唯一の外の風景。

 それを手放したくないという気持ちは分からなくはない。が、ここはイーハーの最深部。秘密の場所でもあり、部外者を一人置いていくのはためらわれた。

 そんな彼らの気を察してか、アリスが提案する。

「レノックスさんと一緒に私も残ります。すぐ追いかけますのでご心配なく」

 ガードラントの将軍の娘である彼女の言葉に、司書たちは甘えることにした。上をそう長く放置していては拙いと、若い司書の表情から読みとったのだ。

「それでは。あまり長い時間は……」

「分かっています。すぐ参りますわ」

 穏やかな彼女の表情に心配の種も吹き飛び彼らは頷きその場を立ち去った。

 残されたのは二人。

 無音の空間はその領域を何倍にも体感させる。しかも少し目を先にやれば青く光る海が見える。しばらく何も言葉を交わすことなく時間が過ぎた。

「さて、と」

 おもむろにジュリアンが上着を脱ぐ。

「とっても手癖が悪いんですね」

 咎めるような言い方ではなく、アリスは楽しそうにジュリアンを見る。

「素晴らしい技術だと褒めていただけるかと思ったのに……。見破られるとは思ってもみませんでしたが」

「視力が良いんです」

 三十のモニターを一度に見る目を持つ彼女には、見られてしまうだろうなとは思っていたが、自分に対する自信が少し折れる。

 床にスーツを置こうとすると、アリスがそれを受け取った。

「実は結構呪符を持ち込んでいるので、あまり乱暴に扱わないでくださいね。何かの弾みで発動したら危ないですから」

「このイーハーに呪符を持ち込んでいるなんて、さすがは――」

 

 ――盗賊王。


 アリスはその言葉を飲み込む。

 絶対に人が入り込めるはずのない鉄壁の警備をいとも容易くくぐり抜け宝を盗み出す盗賊王。それが今目の前にある。

 彼は首からルーニーの手の中にあったはずの石かけていた。

「一応後ろを向いていた方が良いかしら?」

 世界中の人間が彼の技術を欲している。難攻不落の要塞に簡単に侵入できる彼の技術を。こんな緊急事態でもなければ見ることは叶わなかっただろうそれを、だからこそ今自分が知るのはフェアでない気がする。

「本当は全部脱いでおきたいんですけどね……結構お気に入りのスーツなんですよ。でもさすがに麗しき女性の前でそれは、憚られる。だから別に後ろを向くまではしなくて大丈夫です。これ以上は脱ぎませんよ」

 革靴をきちんと揃えて靴下もその中へ突っ込む。

「いえ、そうでなくて……」

 ジュリアンは気取った仕草で人差し指を唇に当てた。

「せっかくの大舞台。やはり観客は必要でしょう。見事やりとげることができたら、大きな拍手をお願いします」

 大仰に右手を胸の前に構えて礼をする。

「ああっとそうだ。イーハーの閉鎖が解けたら迎えを寄越してください。この真下辺りでおぼれてますから」

「え!?」

 アリスがその意味を聞き返す間もなく、ジュリアンはくるりと後ろを向いて走り出した。石畳の上を行く彼の足音が響く。

 全速力で。

 それでいて優雅に。

 途中禁書の部屋から伸びた結界が彼の体を貫く。

 アリスは息を止めるが、彼は変わらず走り続けた。

 結界は、まったく通用していなかった。

 盗賊王には、通れぬ結界などない。

 やがて石畳が終わる。そこから先は魔導によって作られた道。しかし、ジュリアンはそのまま思い切り踏み切って、中央まで飛んだ。

「ジュリアンさん!」

 一瞬だけこちらを見やって、盗賊王はにやりと笑う。

 首から石を引きちぎり、落下に合わせてそれを台座へ叩きつけた。


 イーハーを闇が襲った。

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