13.無い証拠と駆け引き

 彼には殺されるだけの理由があったのかもしれない。

 そう結論に至ったところで疑問が浮かぶ。

 もし、彼を殺した犯人の動機がここにあったのならば、それをしかるべき場所へと通報すればよいのではないか? なぜ犯人は自ら手を下すよう考えたのか。そして、なぜこの図書館でなのか? ここで殺人を犯したことにより、犯人はどんどん追いつめられている。

「いったい犯人は何を考えていたんだろう」

 真面目に罪から逃れる気があったのだろうか?

「それは犯人に聞いてみなければ分かりませんね」

「まあ、それが出来れば一番ですね」

 アリスの意見に同意する。

「犯人分かりそうなんですか?」

 レナが心配そうにジュリアンを見上げる。彼女は先ほどと同じく新聞の山に囲まれ座ったままだった。

 嘘をついても仕方ないので、さあなんともいえないな、と口を開きかけたところでアリスがそれを遮る。

「後少しで絞れますよ」

 それまでと全く変わらないトーンで彼女は平然と言ってのけた。

「何か見つけたんですか?!」

 全く手がかりのない状態だと思っていたのに。

「犯人分かっちゃったんですか?」

 レナも興味津々だ。

「ジュリアンさんが犯行時刻を絞り込んでくださったおかげで見るべき時間が分かりましたからね。全部で二百近くの監視カメラ。それをチェックすれば良いんです」

 そう言ってパネルを操作する。ジュリアンが新聞に釘付けになっているときから、彼女はこの作業を繰り返していた。

「でも、二百台チェックしなければならないんでしょう? 大変ですよ? お手伝いしましょうか。何を探せば良いんですか? 怪しいところ? 怪しい人影??」

 レナがそう提案し、ジュリアンも頷く。手分けをして見た方が効率が良い。

「いえ、もうすぐ終わります。スクリーンには一度に三十ヶ所分でますから。もうこれで終わりです。そして、犯人であろう人物は分かりましたよ」

 三十もの映像を同時に見ることができる彼女の能力にも驚いたが、それ以上に彼女の見つけたものが気になる。

「どこに映ってたんですか?!」

 ジュリアンの問いかけに彼女は微笑んだ。

「いいえ。どこにもなかったんです」

「なかった?」

「ええ。どの映像にも、映っていなかった」

 そして、そのまま視線を移す。


「レナさん。貴方、犯行時刻どこにいらっしゃったのかしら?」


 眼鏡越しに、丸い瞳をもっと大きくさせて彼女は目をしばたかせていた。

「私?!」

 アリスが頷いた。

 少しだけ沈黙が下りる。

 ジュリアンはジュリアンで彼女の言葉の意味するところを探る。今は余計な口出しをしてはいけないと思った。

「あは、ははは。いやだ。犯行時刻とかいって、私そんなの知りませんよ。それに、たとえ分かったとしても何時何分にどこどこにいたーっての、全部覚えてるはずないじゃないですか」

「そうですね。犯行時刻は十二時十三分から十八分の間。それはすでに現場の状況から分かっていることです。もし、ティムがこの間に席を外してどこか他の場所で殺されたとしたら、なぜあの場所まで引きずってきたのか分からないし、そんなことをしている間に人に見つかる可能性もある。ということはやはりティムはあの場所で殺された。となると画面から消えた間に殺されたと考えるのが当然でしょう。その後彼はどこにも現れず、やがてあの場所で遺体として発見されるのですから」

 そこでアリスは一息ついた。しかし瞳はレナから外さない。

「それで、今残っている人たちを全てチェックしてみたんです。貴方だけ、レナさんだけどこの映像にも映っていない。それどころか貴方を見つけることができたのは十二時二分より前。そして、二十九分以降」

「それは、たまたま、カメラに写らない位置を通っていたとか……」

「ええ。そうかもしれませんね。ただ、二百近くあるカメラのどれかに他の方は全て映っている。消えたとしてもほんの五分程度。ちょうどカメラが一往復してくる間程度です。特にこの問題の五分間近く、十分から二十分の間は見事にみなさんどこかへ最低二度は映ってらっしゃる。いないのは、貴方だけ。しかも二十七分間も消えている人はいない。位置関係の検証もしました。カメラに映らないよう身を低くして死角を通り、ティムに火を付け、五分間の間に行き来して平然とできるような距離には誰もいなかった。みんながみんな映っているのは偶然だったのでしょう。けれど、それが貴方が犯人だと示唆する決定的なものになる」

 考える素振りをして、レナは少しだけ沈黙する。アリスの話に何か突破口はないかと探しているのか、それとも……。

 ジュリアンは慎重に彼女と間合いを取った。次に何が起きても対応できるように。

 だが、彼女はまだ冷静だった。先ほど変わりなくアリスの言葉を考えている。不当な言われに激するのでもなく、自分の無実を晴らそうとしているかのようだ。

「分かりました。私としてはたまたま映っていなかったとしか言いようがないのですが……。他の人は必ず二度はその犯行時刻間際にカメラに映ってるんですよね?」

「ええ。そうです」

「でも、それはあくまで今残っている人でしょう?もうここから下りてしまった人の中に犯人がいたら、また別の話なんじゃないんですか?」

「いえ、それは既に検討しております。定期便の出航が十二時二十分。D層からC層へ上がりさらに発着場までいくのに、一番早い犯行時間十三分としても、たった七分。七分で辿り着けることはできますか? しかも、その姿を誰にも咎められることなく」

 イーハーでは緊急時以外走ったりすると注意される。埃が舞って本に悪いし、静かに本を読んでいる人に迷惑がかかるからだ。そこら辺は学校の図書館と変わりない。

 レナは大きくため息をついた。

「無理、でしょうね。映像に映っていないことが証拠となる……本当に?」

「少なくとも僕はアリスさんのその話を聞いて疑う余地はないと思った一人だ」

 状況証拠のみ。物的証拠はどこにもない。

「ティムが殺された現場や、君の持ち物を調べれば、やったという証拠の一つや二つ出てくるんじゃないかな?」

 そこで初めて彼女の瞳に反抗の色が映った。

「証拠? そんなもの、やってもいないのに出るわけないでしょう」

「それはどうだろう? 探してみなけりゃわからない。徹底的にやればどこからか見つかるはずだよ。なにせ君は隠れることに必死でその後始末する暇なんてなかっただろう。しかもすぐにイーハーは閉鎖され、外界と遮断された」

 ジュリアンが不敵な笑みを浮かべると、レナも口元を歪める。

「呪符なんて燃やしてしまえば跡も残らない。しかもここは海の上。下へ落としてしまえば毒だって拡散してしまうわ。私が捨てたっていう証拠もない」

「そうだね。呪符は燃やしてしまえばいい。毒も、瓶か何かに入っていたんだろう。彼の首の後ろに突き刺した道具とともにイーハーから海へ捨ててしまえばいい。司書ならそういったことの出来る場所も良くわかっているんだろう」

 彼女の言葉を認めるジュリアンに、勝者の笑みを浮かべる彼女。これが本当の彼女なのだろう。

「レナ……犯人ってのは、あんまりしゃべっちゃいけない。ボロが出るよ」

 彼女が眉を寄せる。

「アリスさんはね、ティムに火を付けって言ったんだ」

「あっ……」

 レナの顔色が変わる。先ほどの余裕のある態度から今度は唇を噛み締め何かを堪える表情となる。

「呪符なんて一言も言ってない」

「モニタールームにいた、ケンが……」

「ケンが君に教えてくれた? まあ、本人に聞いてみれば分かることだけど……それが通ったとしても、今、僕たち二人以外はティムの本当の死因は知らない」

 遺体に近づいたのはジュリアンとアリス、そしてケンだけ。しかもケンは遺体が見えるのを嫌がりそれが視界に入らないようにしていた。

「しかも、その僕らでさえ、まだ断定できていない。なのに君は毒と言う。犯人以外知り得ない情報をなぜ君は知っているんだろう?」

 アリスの見つけたほころびから、犯人たる証拠を引き出す。

 そうやって追いつめられた彼女は、どこか意を決したように目の前に立つジュリアンを睨み付ける。

「私が犯人だと言うけれど……じゃあ、動機は? なんで私が彼を殺さなければならなかったの? あいにくほとんどをイーハーで過ごして、たまに街に下りてもその日の内に帰ってくる。親兄弟も、友達も下にはいないから、ティムから何か迷惑を被ったなんてことはないわ。私に彼を殺す理由なんてない。ここのところイーハーにやってくるけれど、そりゃあ読書傾向はあまり褒められたものではないけれど、私は本に危害を加えるような人間でなければどうでも良い。私の全てはイーハーなの。イーハーが健全であれば何の問題もないわ」

 最後はうっとりと語る。

 彼女はさっきからずっとそうだ。この図書館を語るときは、陶酔し、その世界に酔いしれている。

「私の動機は何?」

「君の動機、か」

「そうよ。これは殺人事件でしょう? 動機がなけりゃ殺人なんて自分の人生が破滅するような危険なこと、しないわ。だってイーハーにいられなくなる。そんなリスク冒す気にもなれない」

 本心なのだろう。

 本心だからこそ、彼女はこうも自信を持っていられる。

「動機なんて、知らない」

「は?」

「動機なんてものはね、ただの言い訳だよ。僕らは証拠を揃えた。君がやったという証拠をね。ああ、もちろん今の会話全部録音しているよ。君は調子に乗って自分が犯人だと名乗ったんだ。それで終わりさ。君は殺人犯として今後を過ごす。もう、このイーハーの司書ではない」

 これはジュリアンの本心だ。

 他人の考えなど全て把握できるなんてことはない。それなりに付き合ってきた相手で、なんとなく次に何をするか分かるような間柄でも、その真意をはかることはできない。相手の全てを知ることなどできない。

「君は終わりだ。この空中図書館を下りて行く先は、冷たい監獄。運が悪けりゃ死刑で、もう本を読むことすら叶わない」

 レナはうつむき押し黙る。

 アリスとジュリアンは彼女の次を待った。黙ったままならそれでも良い。後は警察の手に委ねるだけだ。もう十分勤めは果たした。動機やその他もろもろは少しずつ解き明かされて行くだろう。

 だが、突然レナが笑い出す。

 初めは小さく。次第に大きな声で。

 そして、顔を上げて真っ直ぐとジュリアンを見た。

「監獄? そんなところ行かないわ。いえ……行けない。だってもうみんなここから出られないんだもの」

 彼女の台詞に言葉ではなく表情で応じる。何を言い出すのだ。何か、したのか?

「司書たちは、安全を確信しきって忘れてしまっている。私は、このイーハーをもっと深く知るために一生懸命勉強したわ。この図書館の成り立ちやその構造を。相手を理解するためにはそれが必要だと思ったから」

「何をしたのですか?」

 アリスが不審を露わに尋ねる。

 レナはにやりと笑った。

「もうすぐルーニーがやってくるんじゃないかしら。一大事だって」

 彼女が言い終わるや否や、モニタールームの扉が開く。

 最悪の顔色をした彼が現れる。

「大変、悪いお知らせです」

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