12.地上の終焉
突然開け放たれた扉から、小さな主人の
「遅い! 遅すぎるわっ! こんなに待たせて二つくらい年を取った気分よ」
「それはそれは、道理で素敵なレディになられたようで……」
もーっ! と頬を膨らませながらも彼女は嬉しそうにしている。マイヤーズもそんな二人を穏やかな目で見つめていた。
「それで、アリスは?」
「それが未だにイーハーとは連絡が取れない状況です」
「そう……」
「何が起こったのかも分かっていないのですか?」
立ち上がり、突然会話に参加したエマーソンを、セイラがクライドへ紹介する。ここまで付いてくることを了解した人間だと彼女が言った瞬間殺意にも似た気配を感じたのは気のせいだと思いたい。
「セイラお嬢様のわがままにお付き合いいただきまして、大変ご迷惑をおかけいたしました」
言葉とは裏腹に、お嬢様のわがままに付き合うのは下僕の役目だと言った台詞が脳にダイレクトに響いてくる。妄想癖でもついたのかと自分を叱責するが、クライドの瞳の奥を見れば先ほどの殺気は嘘ではないようだ。
まるで伝説のドラゴンに睨まれた気分だ。一瞬で彼の印象ががらりと変わった。
店にいたときは少しもそんな風に思えなかったのに、何がどう災いしたのか。
ガードラントの中核に位置するオブライエン将軍に関わりのある二人。さすがのエマーソンも少々怖気づいているようだ、と自己分析をする。
「もう、クライドやめなさいって。ごめんなさいね。自分の用事で私の側を離れたのに周りの人間が私に危害を加えていないか心配になってるの」
自分が用を言いつけたことはあえて無視するらしい。
「エマーソンさんのおかげで容疑者三人とお話をしていたところよ!」
ハートが飛びそうなうきうきとした彼女の台詞に、クライドは良かったですねと微笑みながらエマーソンに敵意を向けてきた。逆効果だ。どこに犯罪者かもしれない人間と付き合わせて良かったと喜ぶ召使がいるというのだ。
背中に嫌な汗をかき出して、エマーソンはその場の不味い雰囲気を払拭すべく話を先へ進めた。
「なぜイーハーは閉鎖されたのですか?」
きわめて事務的な口調にクライドも職務を思い出し胸のポケットからメモを取り出す。
「定期便で帰ってきた方々からは特に変わった様子を聞きだすことはできませんでした。彼らも今それぞれの場所で足止めされていますね。さまざまな連絡手段を講じておりますが、どれも成果は芳しくありません。イーハーは魔導要塞でもありますから」
「ちょっとやそっとの魔導じゃ受け付けてくれないものね。通信面は特に厳重よ。中の情報が漏れないように気を使っているから」
中にある本を閲覧することに金を取っているような場所で、簡単に情報が漏洩するようではまずい。問題外だ。それが今回は外からの通信も受け付けない結果となっているらしい。非常事態にイーハーの能力の高さが証明され、関わった人間たちはそれは複雑な心境であるに違いない。
「あんな風に閉鎖されて、いったいいつまで持つのかしら? 中にいる人たちは無事なのかしら」
だんだんと声が小さくなってゆくセイラを、クライドは優しく抱きとめる。
「大丈夫です。アリスさんもきっと元気にしてらっしゃいます。たぶんあの人のことですからどうにかして外と連絡を取ろうと首を突っ込んでいらっしゃるでしょうね。それに、今日の来館名簿を手に入れて面白い方を発見しましたよ」
「誰を?」
薄い紫色をした瞳に疑問をたたえ、クライドを見上げる。
彼は少女の耳元で小さく呟いた。
それが何か、エマーソンには聞き取ることはできなかった。だが魔法の言葉はみるみる効力を表す。意気消沈した彼女に本来の活力が戻ってくる。
「こんなところでもたもたしてられない! 早く片付けて行きましょう」
「そうですね」
少女に笑顔が戻り、彼の声にも安堵の色がみえる。
「今何時間経った?」
セイラが尋ねるとクライドは内ポケットから金の懐中時計を引っ張り出した。
「大体二時間くらいですね」
「残された時間は一時間、かな?」
「今までの事例を見ればそうだと思われます」
「ガードラントからの許可は?」
「降りました。むしろここで始末をつけるよう言い渡されました。どんな手を使っても」
「その勢いだと、目撃者一人くらいなら大丈夫みたいね」
「ええ。認めさせますよ」
連れを得た途端、二人は他の人間に分からぬ言葉を交わす。
「いったい何の話をしてらっしゃるんですか?」
たまらず口を挟むと、セイラはクライドに一度頷き、こちらへ向き直る。今や部屋の中にいる四人がそれぞれの位置で立ち、セイラを見つめていた。そんな視線を楽しむように、彼女はもったいぶって口を開く。
「ねえ、エマーソンさん。正直に答えてね。貴方はもう犯人を絞り込んでいるんでしょう?」
「まだ、なんとも」
「うそ」
直球の質問を持ち前の図太さでかわしたが、すぐさまセイラの否定が入る。だがこの程度で動揺を見せるようなへまはしない。
「何故そう思われるのかは分かりませんが、それよりもセイラさんの方がまるで犯人を知っているかのようですね」
追求を質問で切り返す。
だが、彼女もまた心臓に毛が生えている部類の人間なのだろう。エマーソンの言葉ににっこり笑っただけだ。
そして、今度はマイヤーズへ矛先を向ける。
ただ、その質問は少し奇妙なものだった。
「マイヤーズさん。頭の中で何か別の声が聞こえない?」
「……? いえ、何も」
「少しも?」
「ええ……何のことですか?」
「ということは貴方はまだマイヤーズなのね? なら、どうしてこんなことをしたのか、最後に話しておくのも良いと思うの」
少しの間、沈黙が降りる。
彼女の言葉を考える。どこから取り上げて良いのかまったく見当もつかない。だから結局まずそれを尋ねる。
「それは、どういった意味ですか?」
「あら、聡明なエマーソンさんならお分かりでしょう? 私がこうやって指摘するよりも前に、話を総合して彼しかないとわかっていたはずでしょう? 確実な証拠が欲しかっただけで」
「私が、犯人だと?」
マイヤーズがなんとも複雑な顔をしてセイラに尋ねると、彼女はそれこそ舞い上がって天まで昇って行きそうな声でうん、と答えた。
「だってそれしかないもの。他の人はヴェステルス男爵に刃物を突き立てる暇などなかった」
「だが! 私だってそんな暇などなかった!」
「あら、そう? 私にはあったように思えるけれど」
とぼけた表情で小首を傾げる姿は、とても愛らしい。だが、その唇から漏れる言葉は可愛らしい代物ではない。もっと現実的で、もっと……。
「貴方が一番に駆け寄り、睡眠薬が効いてきて眠っているヴェステルス男爵を準備していたナイフで刺す。とても、効率的だわ」
「何を根拠に」
自信に溢れたセイラの言葉に、声を荒げて反論しなければ貫禄負けしてしまうとでも思ったのだろうか、マイヤーズは身を乗り出して声を荒げた。
だが、既に同じことをエマーソンも考えていたのだ。
起爆符を仕掛けられたのも三人。
術式を間違えていたのもわざと。
あれは、一瞬の注意を引き、もし一番にヴェステルス男爵に到達できなかったときの保険だったと考えるのが一番しっくりくる。
誰しもそんな状況で破裂音がすれば一瞬動くことを止める。そして音源へ顔を向ける。それがナイフを突き刺す隙を作り出す。
だが、証拠は何もない。さすが刑事と言うべきか。彼は警察が証拠として手に入れるため調べるであろう部分に一つもミスなど犯してなかった。
第一、動機が――。
「お言葉だがお嬢さん。私が犯人だとおっしゃるようだが、動機は? なぜヴェステルス男爵を殺害しなければならなかった? 彼はたまに来るイーハー目当ての客だ。確かにこんな風に護衛を付けない重要人物であるから警察から何人か駆り出されることも多い。めんどくさいなと思うことも多いよ。だが、殺そうなんて思わない。この程度のいらつきで人を殺していたら、今じゃ俺も立派な連続殺人犯だ!」
肩で息をして反論をするマイヤーズに、セイラは冷たい瞳を向けていた。
彼が落ち着くのを待って、一言。
「動機が何よ。そんなの私に関係ないわ」
それはまさに爆弾発言。
彼女の潔いとしか言いようのないこの発言に、現職の警察官二人がぽかんと口を開けた。先に立ち直ったのはエマーソンだ。
「いやいやいやいやいや、セイラさん。犯罪者を捜すにあたって、動機は極めて重要なポイントとなります。しかも殺人事件ですよ。人を殺すという重罪を犯すに至った動機は、とても、大きな問題なのです」
私、関係ないものでは済まされない。
しかし、エマーソンの当然の言葉を、セイラは容赦なく斬り捨てる。
「でも、殺人者が何考えてるかなんて私は知りたいなんて思わないもの。知ってどうするの? 満足するの? ああ、彼には人を殺す理由があったんだって、胸をなで下ろすの? それって結局周囲の自己満足じゃない。人を殺したことには変わりない。でしょう?」
あまりに露骨な彼女の言葉に、一瞬反論に詰まる。
そんな彼に変わって口を開いたのは彼女の後ろに控えるクライドだった。
「お嬢様、全ての人が同じように思うわけではありませんよ。動機は時に被害者の周囲へ諦めの理由として必要になることもあります」
「殺されて仕方なかった人だったんだって?」
「殺してしまった殺人犯が言い訳に使うのは別にどうとも思いませんが、そうした動機が残された人々を癒す手伝いをすることも確かです。全てがそうとは申せませんが……明らかにする必要がないと言い切るのは適当ではないかと」
「ふうん……。でも、私は動機なんて本当に分からないもの。マイヤーズさんが何をどう考えてヴェステルス男爵を殺すに至ったかなんて、しらなーい。それは、後で……ああ、後で聞けなくなっちゃうから、やっぱり今貴方に話してもらうべきだと思うな」
そこだ。
「さっきから最後にとか変な言い回しをしていますが、どういう訳ですか?」
エマーソンがマイヤーズとセイラを交互に見ながらそう尋ねる。何が起こると言うのだ。ガードラントからの許可とか、なにやら不穏な話をしていた二人。だが、彼らがマイヤーズをどうにかするというのか? なんの関わりもないのに。たまたま事件に巻き込まれた彼らが、いったい何をするというのか。
「んーっと……言ったら、マイヤーズさんもっと混乱してお話する暇ないと思うの」
「彼に時間が残されていないと、さっきからそんな風に仰っているように思えますが」
「そう! その通りよ。やっぱりエマーソンさんは賢いわ」
まだ十二、三でしかない彼女に偉いと言われてもまったく嬉しくないような気がする。それでも意味が分からないと馬鹿にされているような気さえする。
「お、俺に時間がないってのはどういうことだ……」
自分を対象としたなにやら裏のある会話に不安を覚えたマイヤーズが立ち上がりセイラに近づこうとすると、その間にクライドが身を滑らす。もちろんエマーソンはマイヤーズの肩を抱いて彼を後ろへ下がらせた。
「落ち着け。とにかく座ってくれないか」
上司である彼にそう言われて、彼も引き下がる。だが、視線はセイラから外さない。
「お嬢様。たぶん、はっきりと現状を説明しなければ彼の口から真実が漏れることはないと思いますよ。なぜなら彼の工作は完璧で、状況証拠だけで物的証拠が一つもでないと確信しているでしょうから」
「そうなの?」
彼女のお付きの言葉に、エマーソンへ事実を確認する。
「……」
何も答えられない。それが真実だから。
睡眠薬の入手ルートをさぐるにしても、そういった類の薬はどうとでもなる。自分が医者にかかったのをそのまま回すなどといった愚かな真似はしていないのだろう。睡眠薬にも色々あるから、わざと自分の持っている物と違った物を投与していると思われる。ナイフも然り。起爆符も。
そんな彼の態度にマイヤーズは心なし落ち着きを取り戻している。本来なら彼に手落ちがあったのではないかと不安を与えて探り出す算段だったのだが、目の前にいる規格外の少女のおかげでそれもご破算だ。
さて、どうするか。
黙ったままのエマーソンにセイラは軽く頷いた。クライドの言葉が真実なのだと。
「それじゃあ……この部屋に盗聴の類は?」
「ないですよ。隣の部屋で誰かが話を聞いているなどといったこともありません」
何しろ正式でない面談なのだ。調書はしっかりと事前に取られている。
「ホント? 嘘ついたら大変なんだから。後で手を回してそういった資料潰すの結構手間暇かかるのよ。最初から素直に全部外しておいてもらえると嬉しいの」
「本当です。いったい何をする気ですか……」
不安になる言い回し。その気持ちが声にのる。
「大丈夫。全責任はガードラントがとるし、もちろんエマーソンさんにはしっかりと口をつぐんでもらわないといけないんだけどね。そこら辺の契約とかは後でガードラントの使いから説明を受けてね。もうすぐヴェステルス男爵の遺体を引き取りにやってくると思うから」
「被害者の遺体?」
「うん。証拠を残すとやっかいなのよ。刺された直後はまるで、あたかも今死んだ風に体が反応するんだけどね、宿主から出た後二十四時間以内に本来の状態へと戻るの。そして、もしもう一度検屍解剖をやり直すなどとなった日には……彼がもっと前に亡くなっていたことがばれてしまう」
「何を……」
だが、エマーソンの言葉はセイラの右手によって制止される。
腕まである手袋に包まれたその細い腕を、彼女は真っ直ぐとマイヤーズへ向ける。
「今、貴方の体も変化している。もう死んでいる貴方の体を、動かし易いようにソレは作り替えているの。まだ聞こえない? 大体三時間。三時間で貴方は貴方でなくなってしまう」
全く意味の分からない言葉にエマーソンはもちろんそう言われた当の本人も、いったい何をこのお嬢様は言っているんだといった顔になった。
しかし、彼女の口は止まらない。
「今日ね、本当に偶然なんだけど彼を見つけたわ。最初はヴェステルス男爵を宿主としていた。それが、彼が死んだ後貴方に移った。だから、私には最初から分かっていたの。貴方が犯人だってね。アレらは、ほぼ、宿主が死んだとき一番側にいた人間に移る。人が殺されたとき、特に今回みたいな直接的な方法で一番側にいるのって、犯人でしょう?」
セイラは今までと違った少し寂しげな笑みを浮かべる。
そして右手で左手の手袋をするりと外した。
そこに現れたモノに、エマーソンとマイヤーズは息を飲む。
まだ少女としか呼べない彼女には似つかわないモノだった。どんな意味が含まれているかなどは全く分からない。だが、ひどく圧迫感を覚える。禍々しい意志を感じる。
自然と体を引いていた。
彼女の左手には手首までびっしりと紫色の入れ墨が彫られている。
「魔生生物って知っている? 禁忌の魔導。それによって生み出された生物」
はっとしてエマーソンはマイヤーズを見た。彼女が先ほどから言う、アレというのが魔生生物のことなのだろう。こういった事件を取り扱っていると、魔導にもそれなりに通じてくる。
魔導は大まかに三つに分けられた。能動魔導、受動魔導、そして魔生生物。
ただ、その魔生生物は名前を聞くだけで決して目の前に現れることはない。何故ならこの世界でそれを成すことは許されていないからだ。危険で恐ろしいものだと言われている。
「魔生生物がらみの事件はとても難しいの。アレらを始末するのは、とっても難しい」
彼女の左手が淡い光を帯び出す。
「だから、ガードラントは独自の研究で、私のようなモノを作り出したの。魔導生物を倒すモノをね……今、マイヤーズさんには先ほどまでヴェステルス男爵に憑いてた魔生生物が入り込んでいる。残念だけど、一度憑かれればもうその時点で貴方の体は彼らのもの。助けることはできないの。だから、もし、動機を話すとすれば今しかない。あと三十分もすれば確実に貴方の生前の意思はなくなる」
「何を! そんな、でたらめの世迷い言を!」
マイヤーズが叫び、エマーソンへ救いの目を向ける。だが、エマーソンは思わず身を引いた。何が正しいのか、思考が停止し、判断が付かない。だが、目の前にある刑事へ拒絶の意志を示してしまった。
驚愕を二つの瞳の登らせて、その瞬間マイヤーズは跳躍する。驚きのまま、エマーソンへ飛びかかろうとした。まるでコマ送りのように状況はしっかりと分かるのだが動くことができない。
まさに彼の両手がエマーソンの首へ伸びようとしたとき、横から飛び込んできたクライドの激しい蹴りが決まり、彼は後ろの壁に激突し、落ちる。
「くっ、はぁっ」
咳き込みながら、だが、彼はそんな状況に驚いていた。
「自分の意志に反して体が動いた?」
「……」
落ちたままの姿でセイラを見つめる。
「もう、本当に時間がないってことよ。……魔生生物は宿主の知識を奪って今まで通りに生活したりもするけれど、それが全てじゃないわ。彼らは生きることが全て。もう、娘さんのお墓参りにも行くことはないかもしれない」
「娘の……」
「ええ。既に貴方の体は貴方のものではない。そんなに殺したかったの? ヴェステルス男爵を。残念ね。別に殺さなくても彼はとっくに死んでいたのに。たまたま住み心地が良かったのか、あんな風にもともとの生活様式を変えずに生前の彼と同じよう行動していただけ。本人の意志はもうとっくの昔になくなっていた。貴方が殺したいのがいつの時点のヴェステルス男爵かは知らないけど……どっちにしろ私に見つかっていた」
一度みつかれば、必ず始末される。
「さあ、最後のチャンスよ」
セイラは真っ直ぐ手のひらをマイヤーズへ向ける。
「なぜ殺したか。……亡くなった娘さんのためにも、話す気はない?」
しかし彼は首を振る。
「そう。残念だわ」
何に残念なのか。自分でも分からない。
ただ、残念に思った。
「さようなら、マイヤーズさん」
部屋が光に包まれた。
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