11.上と下との繋がり

「さて、どうしましょう? 名探偵殿」

 アリスが面白そうにジュリアンの顔を覗き込む。

「名探偵って、やめてください」

「あら、でも、クライドさんから聞いてますよ。フィーア島ではとても楽しそうに二人で走り回ってらしたとか」

「セイラさんと一緒で楽しかったのは事実ですけどね」

 遺体の専門的な解剖が出来ない今、他の手がかりから犯人を絞らねばならない。そうなるといつまでも遺体を眺めていてもしかたないということで、この区画を閉鎖してもらい、二人でどこか落ち着いて話を出来る場所へと移動することにした。

 そわそわと怯えているケンは早々に帰している。その方がお互い気が楽だった。任せたとは言えアリスの考えを把握しておきたいルーニーであろうが、殺人犯の可能性が司書に及んでいる事実を考えると、やはり彼がいては話しにくいことも多い。

 遺体は、リングの保護膜によって腐っても腐臭は外へ漏れないし、閉鎖してしまえば他の誰も触れることはできなくなる。現場の保存としては完全だ。部屋の温度も下げてもらえればよかったのだが、適度な湿度と温度という本を保護するイーハーの意志がそれを邪魔した。

「しかし、イーハーに閉じこめられて嬉しがる人間なんているんですかね」

「本を読みたい人とかはどうでしょう?」

「そのために殺人まで犯すのはナンセンスな気がしますけどね」

 ジュリアンの否定をアリスは面白そうに聞いて、右手を指した。

「反乱を起こしたイーハーに、それでも忠実に仕える者たちはいるようですが」

 彼女の示す先には、二人の司書がいた。腕に本を抱え、あちこちの棚へとそれを戻している。その内の一人がこちらに気付き、頭を下げる。

「もうお仕事ですか?」

 ジュリアンの問いかけに彼は肩をすくめる。

「先ほどの騒ぎで本が放置されたままだったので。開いたままにしておいては本が傷みますし、他に何か問題点がないかチェックがてら見て回ろうと」

 そう言いながらも二人の元へ近づいてくる。もう一人いた司書も小走りにこちらへ駆けてきた。彼女の顔には覚えがある。ジュリアンが危うく死にかけた時、安心して腰が抜けてしまった女性だ。あの時の恐怖に支配された表情とは一変し、今は穏やかな顔色でなかなか可愛らしい人だった。赤いフレームの眼鏡がよく似合っている。

「椅子が倒れていようといまいと、イーハーにはお構いなしですから」

 何度となく聞くその台詞。それでも人はこのイーハーにやってくる。己の知識欲を満足させるために。

「みなさんは確かに閉じこめられて不安かも知れませんけど、正直僕らは普段と大して変わらないんですよ」

「変わらない?」

 困惑気味のアリスに、彼は破顔して頷く。

「ここの司書になるやつは、みんな本が大好きで、長いと三ヶ月も街に下りないなんてのはざらです。まあ、ここにいるレナなんかは結構な頻度で下りてますけどね。下に彼氏がいるとかいないとか」

 すると、赤いフレームなみに顔を赤くして彼女は彼の袖を引く。

「やめてください! ウェストさん! そんなんじゃないんですってば。それに私だって、一ヶ月に一度くらいですよう」

 頬をふくらませて怒る姿が微笑ましく、ウェストと呼ばれた青年につられて笑ってしまう。隣ではアリスも口元に笑みを浮かべていた。

「まあ、皆さんは災難かもしれませんが、今C層ででしたら本を読むことが特別に許可されました。司書に言っていただければ本をお届けしますよ」

 せめてもの償いか、現状の厳しさから目をそらす作戦か。悪くはないと言えるだろう。ただ……、司書はこの通り現場近くを自由に行ける。これで本当にティムを殺した者を見つけだすことが出来るのだろうか? まあ、ルーニーにしてみればもうアリスに任せてしまった過去の出来事なのかもしれない。目の前の二人を見ても、彼らの第一はイーハーであることは間違いなかった。

「それじゃあ、悪いんだけどここ半年のガベリアの新聞を、持ってきてもらえないかな。特に例の連続殺人が載っているものを」

 ジュリアンの言葉にウェストとレナがさっと顔色を変えた。

「あの事件、何か関係があったんですか?」

「いや、単にそんな事件があったって聞いたからどんなものなのか知りたいだけ。ここに来るまでそんな話ちっとも知らなかったから概要を、ね」

 納得したのかしていないのか。しかし最後にはレナがすぐに持ってきてくれるということになった。場所はリングで分かるそうだ。

 よろしく頼んで彼らと別れモニタールームを覗くと、いるはずの司書が一人もいなかった。さぼっているのだろうか。だが、二人にとって好都合だ。犯人を示す物的証拠が遺体から得られなかった今、可能性のあるものをということで当時の映像を見ておきたかった。

 途中ルーニーに会い、なんだかんだと捜査の進展を聞かれるが曖昧に答えた。彼も容疑者の一人。状況は教えられない。ただ、協力はしっかりしてもらわなくては困る。彼に頼んでおいたこの館内にいる人間のリストをようやく手に入れた。

「五十名近くが司書なのね。午前中でほとんどの人が下りてしまったみたい」

 リストをぺらぺらとめくりながら彼女が呟く。こんな日は珍しいそうだ。普段なら午後まで粘る人が多いと聞く。たまたま、なのだろうか?

「ティムを殺そうと思った人間は、なるべく人の少ない日を選んだのかもしれない」

「他人を巻き込まないためかしら?」

 もう十分巻き込まれている。

 自分で言っておきながら本当かと問われれば、さあ、と肩をすくめる。その程度だ。

 ジュリアンは見よう見まねで画面いっぱいに分割されているモニターを操作していった。それほど複雑なものではない。アリスは任せたとばかりに一番遠くから全体を見渡していた。カメラの数があまりにも多く、どれから手を付けて良いか悩んでしまう。

 とにかく、まずは遺体に一番近かったものからだ。リアルタイムの画像から録画映像に切り替える。この間もきちんと現状の絵は撮られているのでそこは安心だ。

 遺体が焼けたことにより緊急閉鎖になったのが午後十二時三十五分。

 現在では遺体を捉えて離さないモニターの映像を、午前十一時まで巻き戻す。残念なことにカメラは本を中心として置かれているので、ティムの姿は時折ちらりと画面端に映る程度だった。カメラのターンは往復で五分かかる。ティムがそのテーブルについたのが午前十一時十三分から十八分の間。それから後はずっと五分ごとに彼の頭が確認されているので席を立ったとしてもさほど遠くまでは行っていないようだ。

 そして、彼が消えたのは午後十二時十三分から十八分の間だ。

 D層からC層へ、各大陸の街へと繋がる定期便乗り場へ行くにはどんなに急いでも十五分はかかる。定期便出発は午後十二時二十分。絶対に間に合わない。

「やはり犯人はまだ中に残っているようですわね」

 犯人の枠が絞れたと喜ぶべきか否か。

 こうなるとさらに犯人が彼を燃やした意図が、自分の逃げる時間を作るためとは違うことが分かる。これでは犯人の幅を狭めてしまい、自分の位置が危うくなる。

 ジュリアンはパネルを操作し、画面に全ての映像を映しだした。午後十二時十分から半までの映像を。

 アリスと同じように全体を見渡し、何か手がかりはないかと目を走らせる。何度も、何度もそれを繰り返した。

 いい加減目も疲れてきたところに、レナが新聞の束を持って入ってきた。

「ありがとう、重いのにごめんね」

 小さな体でよくこれだけと思えるほどの量を抱えたレナに、慌てて駆け寄る。両腕で抱えた新聞紙が彼女の顔を半分ほど隠していた。上から三分の二ほどを持ち上げるが、かなり重い。

「結構力あるんだね」

 女性には褒め言葉とも言えない言葉をかけると、彼女は屈託のない笑みを浮かべる。

「力がないとやっていけませんから」

 紙は重い。そして、その重い紙が全てなのだ。

 か弱い女だからとそれらを拒否することはここでは通るわけがないのだろう。

 彼女が持ってきてくれた中でも一番古い新聞を引っ張り出す。

 そこには一人目の被害者とその状況について簡単に書かれていた。

「こちらの方が詳しく書いてありますよ」

 レナが横からもう一つの新聞を渡す。

「ゴシップが得意な新聞です」

「なるほど」

 確かに被害者の詳細が描かれている。ちょっとやりすぎではないかと思うぐらいだった。

「やっぱりこの図書館内でも連続殺人犯の話はするの?」

「……ええ、街に下りない分、情報として目を向けることが多くなりますから。実際下にいる人たちより詳しいことが多いんじゃないでしょうか」

「へぇ」

「さっき、ウェストさんが言ってたでしょう? もう三ヶ月も下りてないって。みんな最近はあまり下りません。街は今とても怖い場所だって、噂をしているうちにみんなの心にしっかり根付いちゃってるんですよ。なんとなく下りる気がしない。ここにいれば安全だって」

「だけどティムが殺された。……それに君は良く下りるみたいだ」

 レナは頷く。

「せっかくお給料が入るんですもの。やっぱり新しい服を買って美味しいランチを楽しみたい」

「それが普通だね」

 一人目、二人目。その二人目の時に壁の落書きが見つかる。

「ああ、意味の分からないものです。ユダヤ人がどうのって……ジュリアンさん?」

 突然立ち上がった彼に、レナが驚く。アリスもモニターから目を離し彼を見た。

「どうかしました?」

 一瞬動きを止め、すぐに新聞を漁りだした。良く描かれてる五枚を並べる。

「そうか、彼は――模倣して遊んでいたんだ」

 呟くようなジュリアンの台詞にアリスが反応する。

「模倣? 彼とは、ティムのことですか?」

「ええ。ちょっと待っていてください。――レナさん。読みたい本があります。一緒に来てください」

 そう言って強引に彼女を引っ張っていく。目指すはD層のティムが死んでいる区画。彼がよく読んでいたという本棚をざっと探す。たくさんの古典が並ぶあたりで、解読された一つを取る。

「これ、モニタールームまで持っていく許可をください」

 勢いに気圧されて、レナは頷くと自分のリングを操作する。終わるとすぐにモニタールームまでやってきた。

「これは、古典です。出版年度を見ると結構最近ですね。二年ほど前のようです。これは、フィクションでなく、“混沌と浄化の節”以前の年号で言えば一八八八年に起こった実際の連続殺人事件を取り扱ったものです」

「はあ……よくご存じですね」

 ジュリアンが突然持ち出した話に、二人とも面食らっているようだ。しかも“混沌と浄化の節”以前の話など、普通は知らない。

 二人の表情に、ジュリアンは一瞬だけ考える素振りを見せるが、すぐにいつもの笑顔となる。

「僕は“混沌と浄化の節”あたりの研究に熱心でね。それで、これは有名な事件で、当時かなり騒がれたようです。しかも記録がしっかりと残っている。確かにこの連続殺人の被害者だと言われている人の名前はメアリ、アーニー、エリザベス、キャサリン、そしてメアリ。今回、ガベリアで起こった殺人事件の被害者も――」

「同じ名前?」

 ジュリアンは頷く。

 先ほどアリスが言った。

 ティムがここに通い出したのが約半年前。また、司書にまで噂されていたティムの悪行がぴたりと止んだもの、半年前。そして、ガベリアで連続殺人事件が起こったのも――半年前。

 色々と、一致しすぎる物が多かった。

 暴力を振るう男が、やがては殺人にのめり込む。あるだろうか? だが、今まで平和に健やかに過ごしていた者が突然連続殺人犯に成り代わると言うよりは、信じられるような気がする。

「まさか、それを知った誰かが報復を……?」

 レナが震える声でそう尋ねる。

 だが、これはあくまで推測でしかない。

 しかし、ジュリアンは確信も持っていた。報復なのかはわからない。だが、ティムはガベリアを震え上がらせた連続殺人犯だったのだろうと。

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