10.死因

 何事も無かったように振る舞うイーハー。

 彼――彼女、かもしれない――はいったい何を思ってこの紙の束を守るのだろう。ヒエラルキーの頂点に君臨する書籍は、所詮その文字を理解する人によって存在意義を保っているというのに。人間あっての書物なのだ。それをはき違えたイーハー……いや、イーハーにそう思わせてしまった愚かな人間。

「ジュリアンさん、遺体を見るのは?」

「平気ではないですが……まあ、何度か」

 生前の彼を知っていたわけではない。一つの物と脳内ですり替え作業を行えばさほど不快感は感じない。

 遺体を観察する前に、周囲を見渡す。先ほどから位置を固定し続けている監視カメラが本の棚の一角にある。本来は周回するものなのだろう。それが今はしっかりと遺体を捉えて離さない。

 高い天井にそびえ立つ本棚。ぎっしりと詰め込まれたそれが四方を覆い、通路を作る。

 一定間隔ごとにあるテーブルの一つに本が開いたまま置いてあった。そのすぐ下で男が倒れている。床は木で出来ていてティムが座っていた椅子は強い力で無理矢理後ろに引かれたように、その四つの足でひどい傷を作っていた。

 まずアリスが遺体の側にしゃがみ込んだ。

 すっかり表面が炭化した彼の皮膚は触れば崩れてしまいそうで、慎重に周りから観察する。

「どう思います?」

 アリスの問いかけに、ジュリアンは立ったまま少しだけ考える素振りをして、あらためて遺体を眺める。

「一つだけ、確かなことがあります」

「一つだけ?」

 アリスが柔らかく微笑んで繰り返す。彼女もまた、気付いているのだろう。

「彼は、焼死したわけではない。死因は別にある」

「さすがですね。確かに口を開けて中に煤がついていますが、鼻腔には煤がない。煙を吸っていないということですよね」

「さらに、これだけ焼けこげているのに、彼はほとんど暴れた様子がないんです。体が焼けているというのに、それを払い落とそうとか、そう言った動作が見られない。背中のこの部分が一番焼けているが、彼の腕は体の両側に留まっている」

 まるで起立したままの状態で死んだようになっているのだ。

「ジュリアンさん、首のこの、後ろの部分見えますか?」

 アリスに言われて、首のちょうど髪の毛との境あたりにある腫れに気付いた。炎は洋服に燃え移りそれが皮膚に張り付いて全身を二度から三度のやけどで覆ったが、首の後ろの部分には燃えるための繊維がなかったため比較的肌が残っている。それが、普通では有り得ないほど盛り上がって――腫れているのだ。

「この頂点に当たる部分、小さな穴が開いているようにみえません?」

 彼女が指摘した通り、確かにそれが見て取れる。

「しかし、それほど深くはないようですね」

 ジュリアンは万年筆の先でその穴を少し押してみて言う。検屍官がいたら怒鳴りつけられそうだ。

「ええ。なのにこれほどの腫れを引き起こした」

「……毒、ですかね」

「たぶん」

「毒殺した上に遺体を焼いた? 入念にもほどがある」

 そこまでする必要性はなんだったのだろう。しかも、それでイーハーが閉ざされたのだ。犯人は逃げ場を失う。それがどんな利益に繋がるか。

 毒殺で終わらず、さらに遺体を焼くという行為。そこにある意味は。

「しかし、ちょっと話を聞いただけで随分な言われようでしたね、彼。司書は、その性質上頻繁に街へ下りることができないと聞きました。そんな彼らにまであれだけ嫌われているっていうんだから、犯人候補はごろごろいそうだ」

「確かに。でも……この半年は大人しくなっていたそうですよね。だとしたら、なぜここに来てティムは殺されなければならなかったのかしら?」

「時が経てば経つほど恨みがつのった、とか?」

「それか、この静かだった半年の間にまた何か誰も知らない悪さをしていた、とか」

 そう、さっき自分も思ったことだ。

 今まで散々悪さをしてきた人間が、簡単に悪事から手を引くだろうか? むしろ、もっと面白い物を見つけたから、そちらへの興味を失ってしまったのでは。そして、それがイーハーでの読書……というのはぴんとこない。

「モニタールームの青年二人に聞いたのは、そこら辺の棚にあるものでしたっけ?」

 ジュリアンがアリスの後方に位置する棚を指さす。

 彼女が立ち上がり、ジュリアンもその後を追った。高い、高い書架を見上げる。

「D層はもともとそう言った傾向にあるのですけれど、あまり明るい話題の本ではなさそうですね」

「殺人の記録や、人体解体の手ほどき……。フィクションからノンフィクションまで様々ですね。古典までありますよ」

「そう言えば、」

「そう言えば――」

 二人の声が重なる。

「お先にどうぞ」

「いえ、ジュリアンさんからどうぞ」

「それでは、お言葉に甘えて……。ふと思い出したんですが、毒殺の八割が女性が犯人だそうです」

「あら、どうして?」

「毒は力のない女性でも大男を仕留めることができる。また、刃物や鈍器で相手の体を傷つけるときの感触を知らなくて済むからだそうですよ」

「ああ……それは、分かる気がします」

「まあ、今回はそれにプラスして遺体への放火もありますが。で、そちらは?」

「ここ半年と言えば、ガードラント側の街、ガベリアではここ半年の間に物騒な事件が起こっていまして」

「ティム・マグワイヤー住む街ですね」

「ええ。ここに並んでいる書物と、今までの彼の行動を考えると、ちょっと嫌なことを考えついてしまいました」

 そこまで言われればどんな鈍い人間でも分かる。

「あくまでほんの一部から考えた危険極まりない思考回路の末の産物ですわ。忘れてくださいな」

 とはいえ、完全な思いつきを話すような人には思えない。彼女は、彼女なりに他に手がかりを掴んでいるのかも知れなかった。

 ここのところようやく表に出て来られて、色々と溜まっていた雑務を片付けていたので、あまりそういった方面での情報収集をしていなかった。ちらりと噂には聞いたが、知らないも同然だ。

「火事を起こしたのは、二つの可能性があると思うんですよ」

 ジュリアンが右手の親指と人差し指を立てる。

「一つ。彼の体の表面に何かしらの不利な証拠があった。こすったりする程度では消せないような……例えば、ですが、実は彼がティムではない、とかね。顔だけティム。でも死ねば解剖されて歯や指紋で本人かどうか確認されてしまう。ただし、これはこの場をしのぐだけのもの。やがてはばれます」

「本人が自分が死んだと思わせて遠くに逃げるとか、何かやり遂げるといった場合には有効そうですね。どんなシチュエーションかは色々ありすぎて絞れませんが」

 アリスが頷いて同意する。

「さて、二つ目。……犯人は、イーハーを閉鎖させる気だった」

「それは……?」

 アリスが首を傾げるのに対して、ジュリアンは肩をすくめた。

「目的のための理由は分かりませんがね。燃やせば、イーハーが閉鎖される」

「けれど、燃やすならそれこそ遺体よりも本やなにかの方がよっぽど良く燃えるでしょう? 人間の体はその七割が水分。よっぽどの火力でない限り、最初は火傷を負い、燃え上がることがない」

「そこがこの二つ目のポイントでもあるかなと。まあ、その急に燃え上がることのない人間であるからこそ、逃げる隙が出来たとも言うんでしょうが、それよりも、犯人は――本を傷つけたくはなかった」

 そのまま、ティムが座っていただろう椅子のところまで歩き、床を指し示す。

「この床への傷の付き方は、重い物が乗っているのを無理矢理後ろへ引っ張った、といった感じですよね。ここで重い物というのはティム。犯人はティムが座っている椅子を後ろへずらして、わざと彼を床へ倒した。そのころにはもう、毒が回っていたんじゃないですかね? 彼は抵抗せずに倒れ落ちる。なぜ犯人はそんなことをしたか? 物にもよりますが、毒により嘔吐などの症状が見られることもある。倒れ込んだときに口から唾液がこぼれることも。そうなるとまず被害に遭うのは、それまで彼が読んでいた本」

「本を汚したくなかったから、椅子を引いて床へ落とした。本を傷つけたくなかったので、次に燃えやすい遺体……というより、遺体の衣服を燃やしたというわけね」

 そう! とジュリアンは両手を胸の前で握り、さらに続ける。

「ところで、なぜ燃やす?」

「なぜって……このイーハーを閉鎖したかったから」

 最初にジュリアンが言ったものを今度はアリスが繰り返す。

 彼はそこでにやりと笑う。

「燃やしたら、イーハーが閉鎖されると知ってましたか?」

「あ……」

 二人の間に沈黙が下りた。

 深く考え込むアリスと、静かに彼女の思考がまとまるのを待つジュリアン。

 その静寂を破ったのは先ほどの司書、青年Aだった。

「どうですか? 何か、分かりましたか?」

 突然現れた彼は、遺体に眉をしかめながら、遠巻きに二人へ話しかけた。

「貴方こそどうしたんですか? ええっと……」

 明らかにイヤイヤ来たといった風だ。それ以上こちらに近寄る気はないらしい。少し大きめの声で話さなければ会話ができない。

「ケン・ガルシアです。ケンと呼んでください。ルーニーさんが、何か力になれることがあるかもしれないと。モニタールームには、今なら二人は必要ないってことで僕が回されました」

 表情が、不幸にもこちらに来る側になってしまったと、述べている。

「それは、心強いですわ」

 アリスがにこりと微笑むが、遺体の前では彼女の美しい微笑みも効力が薄い。ケンの顔は強ばったままだ。

「ちょうど良かった。聞きたいことがあったんだ。それじゃあ……こっちにどうぞ」

 遺体から少し離れた場所へと座らせる。座ると、テーブルの下にある遺体が彼の目線から消えるのだろう、少し背筋が伸びてマシになる。

「ええっと、まず、映像で見てあの遺体がなんでティム・マグワイヤだと思ったのかな?」

 燃えた理由其の一。

「なんでって……そうですね。実は、皆さんの腕に嵌めていただいているリングは事前に用意されているものなんです。閲覧予約が入った時点で、その人の指紋、声紋、網膜の三つの要素がインプットされるんです。確かに遺体の顔を見てもティムだと分かりましたが、彼のリングが外されたというデータがないので、やっぱり今もティムのリングをしているあの遺体は間違いなく彼ですよ」

「他の方が別の人のリングをすることは許されない?」

「そうです、不正は行われないようになっています。予約した人間のみ入館可能なんですよ」

 こうなると、理由其の一の根拠が薄くなってくる。とはいえ、彼が体に何か記し、それを消すために燃やしたという可能性はなくはない。

「そうですか。……その遺体、随分焦げてますよね。なのにほとんど匂いがないし、何よりあそこまで焦げ付いているのに他に火が移っていない。床が熱さで変色しているだけです。これはもしかしてこのリングのせいですか?」

「そうですね。たぶん、そうです。リングから出ている保護膜は、実は全身を覆っています。魔導で自分の体からこの図書館へゴミを落とさないようにとなっているんですよ。炎も、外へ漏らさないようにとリングの保護膜が強化されたんでしょう」

「強化されるよりも、異常事態とイーハーが認識する方が早いように思われますが?」

 アリスの問いはもっともで、ジュリアンもそこに疑問を持った。なぜこれだけ焼けこげる時間があったのか。

 すると、ケンは気まずそうに目をそらしながら言った。

「イーハーは、人には全く興味がないですから、この保護膜の中で燃えていようが何していようが実は構わないのです。保護膜越しとはいえ、本に触れていたらもっと反応が早かったかもしれませんが、彼は床に倒れて燃えていた。本には全く危害が及ばない。その、床が少し焦げてますよね。そうなってやっと反応したんだと思いますよ。前にね、発作を起こした人が気付かれずに危篤状態になったことがありました。人間なんて、本以下ですからね、イーハーは」

 だからこそ、逃げる時間を作れたのかもしれない。

 背中の一番燃えている辺りに起爆符でも張ってあったのだろう。

 毒といい、起爆符といい……持ち込める人間が限られてくる。普通の閲覧者には、無理がある。一番最初の徹底的なボディチェックを切り抜けるのはなかなか難しいだろう。

「ええっと、後は……そうそう、イーハーは、火災があると閉鎖されるんですか?」

 アリスや、ジュリアンが知らなかった事実。

「火災があると閉鎖されるといった言い方はちょっと足りないですね。イーハーは本を脅かす不測の事態に直面すると閉鎖されるんです。僕ら司書は、そのことを一応は知っていましたよ。でも、本当にこんなことになったのは初めてです。だから驚きは皆さんと変わらないと思いますよ」

 確かに驚いているのは変わらないかもしれない。が、二つ目の仮説にとってはそれはとても重大な要素となる。


 犯人は、閉鎖されると知っていて燃やしたのか、それとも知らずに燃やしたのか。

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