9.空の上の捜査
閉鎖されたイーハー。生きている人間が八十名ほどと、死体が一つ。
「それで、彼は何者ですか? 司書じゃないですよね。お客かな。名簿を調べればわかりますか?」
ジュリアンが司書長のルーニーに尋ねると、彼は首を振る。
「そんなことをせずとも、ガベリアの人間なら彼のことを誰でも知っていますよ。現市長ピーター・マグワイヤーの息子、ティム・マグワイヤ」
「へぇ……そんな有名人なんですね、息子さんが」
一瞬、司書長の顔に嫌悪とも取れる醜悪な表情がのぼる。だがそれを押さえて重苦しく頷いた。
「ええ、まあ」
何かあるのだろう。
アリスの方を見たが、彼女は肩をすくめる。知らないようだ。
「それで、私にこの殺人を調べろと?」
「いえ、その判断を、貴方にしていただきたいのです。我々には、決めかねる」
突然現れた遺体。確かに今は非常事態だ。だからといって、放置しておけるものなのか。
「しかも、この事態を引き起こした火災が――遺体のあるエリアで起こったようなのです」
明らかに関連性があるものを、放置しておくわけにもいかないだろう。
「わかりました。私が責任を持って調べましょう。しかし、遺体を検分することができなければ始まりません。あのエリアに行く方法はありますか?」
当然の彼女の決断に、ルーニーは笑顔で何度も頷く。重い責任が今まさに彼女へ移った。
「もう三十分ほどで酸素の供給が始まります。外界とは遮断されておりますが、イーハーの中は普段と変わらないようになります」
「C層で待っている人たちにはなんと説明しますか?」
「何も。連絡手段を講じていると、事実を述べるだけです。限られた事実のみではありますが」
大丈夫などと下手な嘘をつくよりは良い。その考え方には賛成だ。
それにしても何故こんな場所で毒殺しなければならなかったか。それが気になる。
殺した後その場から立ち去っているからには、己が犯人と知られたかったわけではないのだろう。ならば、このような閉鎖空間では不利になるのではないか。
もしかしたら午後の定期便ですでにこのイーハーから立ち去っているのかも知れない。それにしたって、ここへ入るための名簿作成時にあらゆる生体データは取られている。身代わりなどいない。証拠一つで犯人と特定されれば全世界へ指名手配となるだろう。
そこまで考えて、一つ、重要な事に気付く。
なぜ、毒殺にしたのか。
昔、どこかで聞いたことがある。
毒殺の七十パーセントは女性によるものだと。
非力な女の腕で他の殺人は手に余る。感触が残ることもない。盛った後はゆるゆる死ぬか、それとも急激に生を手放すかはその物どく次第だが、とにかく女性にとっては良い手段だそうだ。
ただ、このイーハーにおいては最悪の物だと思わざるを得ない。
何故なら、一般客は厳密なる身体チェックが行われるからだ。
空港並みの持ち物検査。持ち込む段階で発覚の危険性がある。
それとも、発覚しない絶対の自信でもあったのだろうか。
「ジュリアンさん」
耳元でアリスの声がして、はっと顔を上げる。
「考えるのは我々が手に入れられる全ての情報がでそろってからにしましょう。真実を見誤ります」
「確かに」
ルーニーは既に部屋を出ており、二人の司書がモニターを眺めながらも、こちらへ好奇の視線を投げかけてきていた。
そう、まず全ての情報を引き出さねばならない。
「すみません、お忙しいとは思いますが少しだけ、お話をさせてください」
明らかに暇そうな青年に、ジュリアンはいつもの人好きがする笑みを浮かべ近づいた。側にあった椅子を引き寄せ、モニターに向かうようにして座る。顔だけは横へ。彼らの方へ向ける。
さて、何から聞こうかと一瞬悩んでいたところ、隣に座っていた青年が口を開く。
「ティム・マグワイヤはそれはもう嫌われておりまして。正直死んだと知ったら喜ぶ奴らが大勢いると思いますよ。なあ」
最後のなあ、は同僚に向かって。問いかけられた方も思い切り元気に相づちを打つ。
「そんなに評判の悪い人物だったんだ」
「それはもう! 女癖も酒癖も悪くて、市長の息子っていうんでやりたい放題」
「へぇ……。恨まれてたんだね。でもここの市長の任期って三年でしょう? しかも最近就任したばかりだよね。ってことは、評判が悪くなったのは最近になってから?」
ジュリアンの隣の青年Aはぶんぶんと首を振る。
「市長はとっても良い方なんですよ。有能だしこの街のことをすごく考えてくれていて、二度目の当選をしたばかりです。ただ、ティムは再婚した相手の息子で二年前にこの街にやってきました。この新しい奥さんがあまり良くない。息子の不祥事を裏でこそこそと庇っていると聞いてますよ」
裏で庇っているようなことがたかが司書に漏れ聞こえていると言うことは、市長も言うほど善人ではないのだろう。本気で市民のことを考えているのならば、その放蕩義理息子を真っ先にどうにかするはずである。
とにかくティム・マグワイヤは権力の庇護を持ってやりたいことをやっていると。
「例えば、彼どんな悪さをしていたんだい?」
「さあ、それは……」
青年Aが青年Bを見る。青年Bは一瞬だけアリスの方を見て口のなかでもごもごと何事かを呟いている。
ようは――そんな話か。
「人様のお嬢さんに無体を働いて、よく警察沙汰にならないね」
「やり方が狡猾なんですよ。自分の立場を心得てるし。ただ、この半年はそう言った噂を聞かなくなりました。心を入れ替えたとかなんとか。本当かどうかは分かりませんが」
心を入れ替えた。本当だろうか? もしそうならそうさせる何かがあったのか?
「それで、そんな非道な奴がなんでイーハーに? 今回たまたまなのか、それとも常連だったのか? にしたって読書なんてなんか似合いませんよね」
ジュリアンの言葉に二人はそうなんです、と身を乗り出した。
「ここ半年くらいですよ。結構な頻度でやってきますね。ちょうど今、その、倒れている辺りでいっつも何か読んでましたよ。あまり我々は干渉できる立場にはありませんし、話す気も起きませんから遠巻きに見ているだけでしたけど、難しい顔をしたり、時にはにやにや笑ったり、気味悪いったらありませんでした。絶対良からぬことを考えていたに違いありませんよ!」
多大に偏見が入っているようにも見えるが、それだけ嫌われていたというところか。
「彼が読んでいた本は検索できますか?」
アリスが初めて口を開く。ジュリアンが話を聞いている間、彼女はずっとだまって壁にもたれて立っていた。それがかつかつと音をさせてモニターの前まで歩み寄る。
「プライバシーの侵害ということで、普通は公開されません。かなり高レベルの極秘事項として扱われていますから。ただ、今回こんなことになりましたので、それなりの手続きを踏めば情報公開をしてもらえる可能性はあると思います」
今の非公式な捜査の段階では無理ということだ。
「じゃあ、あなた達の記憶だけで良いので、どの辺りの本をよく読んでいたか、教えてくださるかしら?」
「そうですね、どの本を取ったかは分かりませんが、大体の区画はわかります。ちょっと待ってくださいね。メモを取りますから」
そうやって、彼らから紙切れを受け取ってすぐに、扉が開かれた。
「D層に酸素が供給されました。もう大丈夫です」
「では、行きますか?」
「ええ、行きましょう」
空に浮かぶ密室で毒殺された、ティム・マグワイヤの遺体と対面だ。
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