8.殺す理由、殺される理由
三人はそれぞれ別の部屋にいた。まず一人目はウェイターのバーンズだ。
「ねえ、私も入っちゃって……まずくない?」
当然のように後ろをついてついてついて、最後まで来てしまった。誰もそれを咎めようとしないのが不思議だ。クライドに怒られるの覚悟でレストランを後にしたのだから、これくらい当然だと思っていたのに、反対にここまで思い通りに来てしまうと気味が悪い。後ろめたい。
「私は二度手間が嫌いです。一応相手に許可を取りましょう。それで十分。もし犯人だとしても、こんな初期にボロを出すようじゃ時間の問題でしょう。ただし、あまりこれから会う人たちに近づかないように。もし暴れて怪我でもされた日には、私が明日海に浮きかねませんからね」
彼なりのジョークなのだろうか。だが、笑い所が難しい。
だから、大人しくハイと答えるしかなかった。そこが狙いならこの警部補、なかなかの手練れだ。
「失礼します」
軽くノックをして無骨なドアのノブを回す。ぎぎぎぎぎ、と扉全体が軋みながら内側へと開いた。建築物としてのレベルは低い。だが、魔導による防護はさすがは警察といったところだ。なかなかに隙のない陣が引かれていた。
魔導は使うことができないが、最近知識として取り入れようと関連書物を旅の合間に読み漁っている。前に会った彼が、この世界にいる人間なら、きっとみんな大なり小なり魔導を使うことができるはずだと言っていた。その言葉に、役に立つかは分からないが、少し勉強してみようという気になった。クライドは彼女が熱心に本を読むことには賛成なようで、あちらこちらから分かりやすいものを調達してきてくれる。
しかし、どれだけ学んでも、使うことはできなかった。
あらためて分かった。
自分が与える側ではなく、奪う側のものなのだと。
「――実はこのセイラ嬢、魔導の大家……の娘さんでして、我々にも色々と助言をくださっています。今回はこちらから同席をお願いしているのですが、バーンズさんも彼女が一緒にお話を聞くことを承諾してくださいますか?」
いつの間にかクライドが魔導の大先生になっている。
バーンズは、青い瞳に黒い髪をした少し肌の色が濃い二十七、八くらいの男だ。ウェイターという職業柄か、身綺麗にしていた。椅子に座った背筋もぴんと伸びている。
「僕は構いませんよ。何でも聞いてください」
やましいところは何もない。そう態度で表したいのだろう。だが、机の上で組んだ指をそわそわと動かしている。
「ありがとうございます。では、セイラさん、そちらへ」
大きめの机に向かい合う二人。バーンズの後ろには二人の制服を着た警察官。セイラは出入り口近くに置かれた椅子へ腰掛ける。右手隅に小さな机があって、記録を付けている男があった。
「さっそくですが――、今日のヴェステルス男爵に何か変わったところはありませんでしたか?」
「いえ、いつも通りご機嫌な様子で。普段指名しているウェイターが休みだったんですが、そこにもあまり怒るようなことはありませんでした。ちょうど僕がたまたま空いていたウェイターの中で一番古い人間だったので、支配人が注文を取るように指示してきました。それでミネラルウォーターとおしぼりを運ぶと、メニューも見ずに適当にしてくれと――これがいつも通りなんですが、料理長にそう伝えたらヴェステルス様のお好きなものを取りそろえたコースを作ってくれました。僕はそれを運んだだけです」
淡々と話してはいるが、自分は言われた通りにやったのだと強調する。
「他に何か、お話はしていないの?」
後ろの方からセイラが問いかけると、バーンズは少しだけ眉を寄せて考えていたが、やがて肩をすくめた。彼の座った椅子が一緒にぎしりと鳴る。
「普通に、今日の天気とか最近のイーハーとか。まあ、イーハーに関してはヴェステルスさんの方が断然ご存じでしたけどね。後は……また来週すぐに来るからとか――」
「来週、ですか?」
そのサイクルは早すぎる。
「次の予約は普通閲覧を終わってからしか受け付けてもらえないはず。ホテルの方は大丈夫ですが、二日続けての閲覧は絶対にできない……ですよね?」
エヴァンスの言葉にウェイターはにやりとわらって前屈みになる。内緒話をするような仕草で右手を口の横にあて、ぼそぼそと喋った。
「そこはほら、金の力で……ね。この街の人間なら知ってるでしょう? 司書と彼との癒着」
先ほどラッシュが言っていたことだ。ヴェステルス男爵は、金を握らせ便宜を図ってもらっているというアレだ。
「だけど、そんなに頻繁にいったいどんな用があったのかしら、イーハーは、たとえ貴族といってもだいぶお金がかかるのに」
セイラの呟きに二人は意外そうな顔をした。
この流れはよろしくない。また、常識として知られている部類のことなのだろう。どうやってごまかそうか悩んでいると、警部補がまあ仕方ないかもしれませんね、と一人納得している。
「確かにイーハーに関わりのあるこの街の人間ならば知ってて当然のことですが、知らない方は知らないでしょう。実は、ヴェステルス男爵は復刻舎の筆頭株主なんです」
「えっと、【混沌と浄化の節】以前の書物の復刻と出版を主としている株式会社、よね?」
混沌と浄化の節とは、今から三百年か四百年前にあった、旧時代と新時代を分けた一瞬のことだ。その時何が起こったのか未だ解明されていない。だが、その一瞬で高い文明を築いた多くの人々が死んだ。
最近になりようやく旧時代の研究が進み、特に大きな図書館と思われる場所が発掘された。土に埋もれた書物は予想以上に保存状態が良く、世界中が投資し、復刻魔導で本の復元に勤しんでいる。その書物を研究し、許可の下りた物を多く売りだしているのが、復刻舎という出版社だ。
「初期の投資メンバーだったヴェステルス男爵はそのスポークスマンとして本を愛し、本に命を捧げているというポーズを取っています。宣伝効果を狙っているんですよ。イーハーには必ず出版された全書籍が集められますから、彼のイメージにプラスとなるのでしょう。彼の入館料は半分近く経費で落ちると聞いています。彼の書くコラムは確かに面白い。イーハーについても多く書かれています」
「へぇー」
実は自分の懐は案外痛んでなかったのか。
「さて、バーンズさんにお聞きするのはこれくらいで……ただ、申し訳ありませんがもう少しこの部屋にいていただけますか? おなかが空いたとか、喉が渇いたとかありましたらこちらで出来るだけ準備させていただきますから」
エヴァンスの申し出に彼は仕方なく頷いていた。
次に会ったのはボディーガードのコネリー。バーンズの時と同じくまことしやかな嘘でセイラの同席を取り付ける。何故彼はセイラのしたいようにする手伝いをしてくれるのか。そこが少し不思議だ。かなり卑怯な方法でこの事件に関わるようになったというのに、エヴァンスは進んで協力してくれた。
「さて、これは尋問ではありませんよ。少し、お話がしたいだけです。あまり固くならずに事件の解決に繋がる鍵を思い出してくださればと思います」
彼は警部補の柔らかな物言いに気が抜けたようで、肩をいからせていた体勢から、背もたれに体を預けて大きく息を吐いた。
「もう何度も聞かれているとは思いますが、もう一度、部屋に入った時のことを教えてください」
コネリーは黒い髪を掻き上げ、思い出すようにたどたどしく話し出した。おしゃべりは苦手なようだ。だが、こういった現場に置いて饒舌な人間よりも彼のような者の証言の方が本人も知らず知らずに脚色した嘘が少なくて良い。
「まず、いつも通り個室へ通してもらって……これは、店の方に任せてあるからその日によって違う。食事の時はいつも邪魔されたくないと俺は部屋の出入り口で待機することになっていて、今日はなんか警察から派遣されたとか言う人と一緒に立っていた。ウェイターが何度か出入りした後、警官がおかしいぞって言い出した。俺も中を覗いてみると、ヴェステルス男爵が前屈みになっているように見えて、確かに様子が変だと気付いた。俺とあいつとが顔を見合わせて、先に確か、俺が入っていった。右に回って抱き起こしたら――その、胸にナイフが……」
と言って顔から血の気が引く。有色人種ではあるが、それが薄い彼は紙のように白い肌となっていた。エヴァンスが気を遣って紙コップに入った水を差し出す。彼は軽く頷いてそれを飲み干した。
ナイフで刺された姿を思い出しただけで気分が悪くなるとは、あまり頼りになりそうにもないボディーガードである。それを雇い続けていたヴェステルス男爵の気が知れない。
「右に回って、抱き起こして……この事実に間違いはないですか?」
「え……確か、いや、あれ、結局抱き起こしたのは刑事さんか。でも、部屋に先に入ったのは俺です。なんで……」
死体を前に混乱しているのか、それともただ単に物覚えが悪いのか。どちらとも取れる態度で暫く悩んだ後、ああ、と声を上げた。
「そう、あの時部屋の奥の大きな花を飾ってあったカビンの方で物が弾ける音がしたんだ。そっちをみたけどもちろん人なんて隠れるスペースはないし、そうしたら刑事さんがヴェステルス男爵の名前を呼んでその後はもう何がなんだか」
「物の弾ける音?」
セイラの問いにコネリーはもちろんエヴァンスも頷いた。
「実はね、カビンの中から呪符が見つかってる。起爆の呪符だが、どうも作った人間の知識不足か本来は部屋ぐらい吹っ飛びかねないほどのものが、小さく弾ける程度で終わっているんだ。コネリーさんはそれに気を取られたのでしょう。その間に刑事のマイヤーズがヴェステルスさんを抱きかかえ、その胸にナイフを認めた」
「ふぅん」
「部屋のチェックはヴェステルス男爵が入る前に俺たちもしているのに……それには気付かなかった」
呆然とした様子でコネリーが呟く。
「もし、その呪符がきちんと発動していたら、もっとたくさんの人が死んだかもしれないのか……」
「そうですね。本当に、良かった」
「……俺、やっぱりこの仕事向いていないのかも」
そこから――延々愚痴が始まった。最初は雇い主を失って動揺しているのだろうとエヴァンスが親切に相づちをうっていた。が、あまりの自虐ぶりに結局話を打ち切り部屋を出た。うんざりした表情を隠そうとしないセイラにエヴァンスが笑う。
「本当はレストランに入る前のことも聞きたかったんですが」
「それ聞き出すのにどれだけ愚痴を聞かないといけないの? 私は嫌だ。……警察って大変ねぇ」
「恐れ入ります」
そのまま廊下で質問を続ける。
「呪符って、どんなものだったの? しかも間違えたって、起爆符って結構初歩じゃなかったかしら?」
「そうですね。本当に簡単な、初歩のものです。確かに間違えやすいところではありましたがね」
「犯人が仕掛けたのかしら?」
「男爵が使用した個室は、その日初めて利用されたらしいです。掃除は毎日欠かさず、朝、最終チェックもする。それら全員の目を逃れて前々から準備されていたと考えるのは、少々都合が良すぎる気がしますね」
となるとやはり、呪符は犯人が仕掛けたと思って間違いない。そしてその候補には例の三人が上がるのだ。
「では、最後の一人。我がガベリアの捜査官マイヤーズを」
彼が扉を開けてセイラを中へと誘う。他の二人とは違い、マイヤーズはエヴァンスをみとめると席を立ち深々と頭を下げた。
「君も災難だったね。こちらはセイラ嬢。訳あって少し同席させてもらうよ。いいね?」
マイヤーズの視線がセイラに注がれる。不快な色合いではない。むしろ、クライドがたまにするような目だ。首を傾げると、彼は自分の行為に気付いたのだろう、再び頭を下げた。
「もう何度も話しているんだろうが、もう一度いいかな」
「はい。今日は午前九時よりヴェステルス男爵の護衛をしておりました。本当は他の人間が当たる予定ではあったのですが、彼が腕を骨折していて、武術に心得のある私が呼ばれました。昨日から宿泊されていたホテルへ向かい、状況の説明をして昼食に出かけると言う男爵に、ホテルで済ますことはできないかと打診しましたが、結局いつものあのレストランへ行くこととなりました。私は個室の外に。もう一人のボディーガードの方と外を見張っていました。ただ、あの時何か物音がして、――前に倒れた時にナイフやフォークが当たったような音だったのだと思います。それでふと中を覗いたらヴェステルス男爵がテーブルに倒れ込んでいるように見えたので、中へ。駆け寄った時、何か音がしたのでそちらを見たのですが、何もなく、ヴェステルス男爵を抱き起こしたら胸にナイフが刺さっていました。あれはほぼ即死だったと思います。綺麗に心臓にささっていましたから」
「そうだね、彼は苦しむ暇もなく死んだだろう」
証言に目立った食い違いはない。
「そう言えば、被害者は多量の薬を摂取していた。その時君も同席していた?」
エヴァンスの問いに、マイヤーズは苦笑して頷く。
「どれだけ飲むんだろうっていう量でしたね。医者から処方されていると言っていましたが、コネリーさんが準備していたんですが、次から次へとでてくるそれに正直呆れました。二十種類くらいはあったんじゃないですかね。本人も覚えてないと言ってましたよ」
「そうか」
検死報告を見ながらマイヤーズの言葉に頷いている。セイラは椅子から立ち上がり、後ろからそれをのぞき見た。彼はそれに気付き、あまり気持ちの良い物ではないですよといいつつも見せてくれる。
「あまりに薬の量が多すぎてね、混ざって本当に効果を発揮しているのか怪しいよ」
その中に一つ、不思議な物を見つける。
「これ……」
マイヤーズのことを思って指を差すと、エヴァンスも頷いた。
「効いてくるのがちょうど刺されたころだということです」
――睡眠薬。
風邪薬などにはたまに入っている物もある。眠ることが病を治す第一条件だからだ。
しかし、これはたぶんそういった微量なものではないのだろう。
犯行時間にかさなるくらいの量。本人の意志外でそれを飲ませるとしたら、その薬をたくさん飲むときが一番良いだろう。仕込めたのはコネリーか、隙を見てマイヤーズ。
セイラはマイヤーズへと目をやる。赤茶の髪に、同じ色の瞳。くたびれた感じがするのは、捜査官特有のものだろうか?
と、マイヤーズが左腕にはめた時計をちらちらと盗み見ている。同じように気付いたのだろう、エヴァンスがああ、と声を上げた。
「そう言えば娘さんの月命日でしたね。午後から休みを取っていたと聞いています。お墓参りですか?」
「……ええ、今日は午後から行こうと思っていて」
月命日、娘という言葉に、深く突っ込んで聞くわけにもいかず、エヴァンスの後ろにたったままのセイラはどうしたものかと悩む。端から見ても明らかにセイラはその発言に疑問を持つだろうし、だが、プライベート過ぎて質問しにくい。
彼女のそんなためらいに気付いているのだろう、マイヤーズが疲れた笑みを浮かべ頭を振る。
「二ヶ月ほど前、最近この街を騒がせている殺人犯に娘が殺されまして」
「それは……ご愁傷様です」
レストランでウェイターが言っていた、あの暴行殺人事件のことだろう。彼の娘がその凶行の犠牲者だったのか。ならば、彼のくたびれ加減も納得がいく。娘の死に悲嘆に暮れたか、犯人を捕まえるためと日夜捜査を続けているか。
「ちょうど貴方くらいの娘で、ね」
語ることに痛みを伴うのか、マイヤーズは少し俯いて自分の手を見つめていた。
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