7.密室と容疑者

「クライド! すぐに調査を」

「かしこまりました。ラッシュ警部さん、申し訳ございませんが少しの間お嬢様をお願いします。何かありましたらただじゃおきませんので」

 普段と変わらぬ表情と声色で恐ろしいことを言って去った男の方向と、隣の椅子の上でにこにことしている少女を見比べ、ラッシュは頭を抱えた。

「契約、結ぶんじゃなかったっ!!!」

 こうなってはイーハーも予約金を全額返済しなければならないだろう。セイラは少しも損をせず警察からの情報をただで手に入れることとなるのだ。

「契約は契約ですからねっ! ちゃんと守ってくれないとだめよ?」

 まさかこうなることを予想してだったのではとまで疑ってしまう。

 収入源であるイーハーの非常事態は、すぐに号外として新聞が投げ込まれた。店から出てはいけないと言われている者たちは、それを見て話に花を咲かせ出す。警察も目の前の遺体よりもそちらに気を取られて浮き足立っていた。

 なんといってもあのイーハーが今まで起こったことのない状態になっているのだ。

 ここは一発、現場の気合いを入れ直さねばと声を上げようとしたところに横やりが入った。

「ちょっと! イーハーのことなんて私たちにはなんともできないんだから。まずこの店の中で起こったことの事態の把握でしょう! 警察官がそわそわしてたんじゃ市民になめられるわよ!」

 出鼻をくじかれる。

 まだ十二、三の小娘にしかりとばされる姿を見られた方がなめられる気がしたが、ラッシュは黙って話の続きを始めた。

「検死の結果はまだ出てないが、魔導の痕跡は見られなかったそうだ」

 周りからほっとため息が漏れる。

 魔導の痕跡があるのとないのでは状況が全く違ってくるのだ。

 だが、魔導が使われていないとするとそれはそれで複雑な状況でもある。

 ナイフはどこから現れたのか、誰が刺したのか、それがまったく分からない。

「部屋の中は徹底的に調べた。入り口以外から誰かが出入りすることは不可能。完全に、密室だ」

 ラッシュの言葉に、セイラがきらきらと目を輝かせる。

「素敵な響きね!」

「全然ステキじゃない! お嬢さん……お願いだから大人しくしてください。この場にいることは良いが、捜査に支障をきたすようなら後から教えると言う形にさせてもらいますよ?」

 すると、居住まいを正してお行儀良く頷く。

「了解。不謹慎な言葉は避けます」

 不謹慎だとは理解していたようだ。

 まだ、鑑識の人間が現場を色々と調べている。男爵の解剖許可がなかなか下りずに死因に関しても曖昧な点が多い。初動捜査が遅れるというのは、あまりよい兆しではなかった。

「なんなら頭から押さえつけて無理矢理解剖許可とりましょうか?」

「いや……そんな風に遺恨を残すやり方は好ましくない。少し時間をかければそのうち下りる許可だ。今は待つ」

「そうね。強引なやり方は、その場は良くても後に響くものね。……ただ、密室の謎を早めに考えておいた方が良さそう」

 魔導が使われていない部屋で、密室となれば、それは見せかけの密室に過ぎない。

 ナイフで自分の胸を突かぬ限り、誰かが殺意を持って凶器を振るったのだ。

「しかしな、お嬢さん。ウェイターのバーンズ、ボディーガードのコネリー、うちの部下のマイヤーズ。この三人しか出入りしてない。そして彼らにヴェステルス男爵を殺害する理由が認められない」

「あら、最初からそんな風に動機がないと決めつけてしまうの?」

 セイラの言い方にむっとしながら、ラッシュはそれでも丁寧に答えた。

「まずウェイターのバーンズ。奴は今日初めてヴェステルス男爵の注文を取った。というのも、ヴェステルスは普段から決まったウェイターに注文を取らせていたんだ。一番最初に店に行った時、接客してくれた奴をその後もずっと指名して、それが常となっていた。ただ、今日はそのいつものウェイターが急な風邪で休みになって仕方なくバーンズが注文を取ったというわけだ。前にも二度ほどそんなことがあったが、風邪をひいたのは突然だし、注文を取るのがバーンズになったのも突然だ。その時手が空いていたのがバーンズだったってだけ。注文を取れと支配人に言われて取りに行ったが、その後も裏へ引っ込むことはなく常にフロアにいた。ナイフは店のものじゃない。しかし、奴はナイフを手に入れる暇がなかった。だからウェイターは外しても良いと思う」

「ふむ。まあまあ納得」

「次にボディーガードのコネリー。彼はボディーガードを初めて半年。以前から何人かボディーガードを雇ってはいたが、半年も続いてるのはなかなか珍しいらしい。人の好き嫌いが激しいタイプだったんだな、ヴェステルス男爵は。そして気に入ったとなると、随分可愛がるらしく、破格の給料を貰ってる。今回一番ダメージがきついのは彼じゃないかな」

「それが、彼が犯人でないと言える理由?」

 不満そうに漏らすセイラに、ラッシュは首を振った。

「いや、そうじゃない。これはもう一人のマイヤーズにも言えることだが、個室に入ってからこの二人は一歩も部屋に入っていない。お互いに証言しているし、周りの客もそれを見ている。扉から中は小さなガラスが入っていて見えるようになっているが、マイヤーズが中の異常に気付くまで二人はずっと表にいた。今日初めて組まされた二人が、相手のことを庇うってのもあまりあるもんじゃないだろう? だからお互いが入っていないってのは事実だと思って間違いないだろう」

「そっか……で、そのマイヤーズさんは今日夜勤明けのところを無理矢理護衛に抜擢された?」

「ああ。腕の立つやつが出払っていて仕方なく、な。上からは絶対に護衛を付けろと言われていたし。マイヤーズも今日突然なんだ。殺す理由ないだろう。まあ、色々探ってはみるが、あまりああいった階層に縁のない人間だ。書物狂いの男爵だしなぁ。イーハーの奴らにしてみりゃ何かあったかもしれないが……」

 ラッシュの最後の台詞に、セイラが指を立てる。

「待って。そのイーハーの人たちなら何かがあったって……どういったこと?」

 すると彼は失言に気付いたように頭を掻くが、結局セイラの鋭い視線にしぶしぶ話し出した。

「確かにヴェステルス男爵はイーハーの常連で上得意だったんだろうが、だんだんと調子に乗ってきたみたいでな。あの図書館は自分の庭だと公言し、果ては……その、裏で聞いたことだからオフレコだが、貴重な本の何冊かを譲れと言っていたらしい」

「譲れっていっても、そんなの通るわけがないじゃない。あの本はイーハーのものよ。世界中が出資して作り上げているのがイーハーなんだから。どこよりも公であるはずの場所なんだから」

「まあ、そうだな。普通は。だが人間は欲に目がくらむ。金に弱い」

 と言ってセイラから視線をずらす。

 ようは、中で便宜を図って貰うために司書たちに金を撒いていたということだろう。それを受けた人間も人間だが、ヴェステルス男爵のやり方も嫌なものだ。

「でも、お金を貰って殺したいって変じゃない?」

 サイドテーブルから熱い紅茶の入ったカップを持ち上げる。小指をぴんと立てて香りを楽しむ姿はさながら貴婦人のようだった。黙っていれば名家のお嬢様なのだと納得できるのだが、話している内容は濃い。

「変じゃないよ。ヴェステルス男爵の望みも高くなる。それはやがて無理難題となって、自分たちの――たかが一介の司書程度には手に余る物となる。しかし一度足を踏み入れてしまったら抜け出すことは難しい。だが、殺すとまではいかないわな、普通」

「でも、殺人は普通じゃない」

 むっつりと口を尖らせ視線を彷徨わせる。

「他のところで誰かに命を狙われているような素振りはなかったの?」

「一応は調べてるがな、自分の周りにボディーガード兼使用人が一人。一応形だけってやつだなぁ。もともと性格も明るく朗らか、金払いもいいしここら辺じゃ悪く言う奴はいないね。本以外のことにはいたって常識人とくりゃ、ヴェステルス男爵が殺される理由は本のことしかないと、捜査官の誰もがそういった見解だ」

「色眼鏡は真実を見誤らせるんじゃなくて?」

「確かに、本以外で、ってことで今動機となるものを探してる」

 現場は淡々と処理されていく。少女と厳つい警部が並んで話している姿はどこか浮世離れしていた。

「動機……ねぇ」

 人を殺すという非常なことをやってのけるだけの理由。

「動機うんぬんよりも、問題はどうやって殺したか、じゃない?」

「それはそうだが、でもやっぱり動機は必要だ。じゃないと殺人犯が見えてこない」

「あら、それは違うわ!」

 警部の間抜け顔をセイラはじろりと睨み付けた。薄いすみれ色の瞳に、大の大人がたじろぐ。

「やぁねーこれだから平和な街育ちのおぼっちゃん警察は」

 セイラの揶揄に、元々肌の色が白い警部はみるみる朱を上らせた。

「なにぃ!?」

 その鼻っ面に、白い手袋に包まれた指を三つ立てて突きつける。

「犯人は三人に絞られている。そうでしょ?」

「!? ……しかし、あいつらには動機と手段が――」

「動機、手段。確かにまだそこは分からない。でもね、生きているヴェステルス男爵が死に至るまでに接触したのは三人。それは揺るぎようのない事実。魔導での殺害が否定された今、犯人は彼ら三人に絞られるわ」

「だが……」

「分かってる癖に。やっぱり同胞がその中にいると、やりにくい?」

 しかも護衛を命じたのは、彼らなのだ。

 すっかり黙りこくってしまったラッシュに、セイラは肩をすくめて椅子から下りる。

「あ、おい。あんまりうろちょろしないでくれ。お嬢さんに何かあったら俺はあんたのお付きに殺されちまうよ」

「そうね、新たな殺人事件発生。クライドのあれ、比喩じゃないわよ? まあ、大丈夫。このレストランからは出ないから」

 入り口からは、個室は見えないようになっている。少し奥に入るとそれがあると分かる。このレストランにはVIP対応のそういった部屋がいくつかあった。空いているところをランダムに使うようになっていて、今日も三つ空いていた部屋をヴェステルスが自分で選んだそうだ。

 セイラが歩き出すと、今までラッシュとの会話を黙って聞いていた男が後からついてきた。

「ねえ、私の考え方おかしい?」

「いえ、正しいと思いますよ」

 突然の問いかけにも自然にさらりと答える。少し影のある感じだが、顔は悪くない。眼光が鋭いのは、警察官としてはマイナスポイントにはならない。ただ、表情の豊かさに欠けていた。ラッシュとは正反対だ。

「そうよね! 貴方は聞き込みとか、現場検証とかいいの?」

「事件が起きたのはここですし、店の人間への質問は担当の者がおります。現場検証は鑑識の人間が責任を持ってやってくれています。私が出しゃばるまでもありません。一通りの調べが終わったら、三人にもう一度話を聞きます。それまでは無闇に動いても収穫はなさそうです」

 それならばセイラの後を歩いていた方がよっぽど良いとの判断だろう。

 さらに本人に言わせれば、現場の総指揮者であるラッシュが十三、四歳の少女の尻に引かれあちこち連れ回されている姿を衆目にさらすのは、現場の士気に関わる。ならば自分が貧乏くじを引くしかない。

「お名前は?」

「エマーソンと申します」

「警部補さんね。覚えておくわ」

 彼は答えずに少しだけ頭を下げた。

 セイラは上機嫌で奥の部屋へと向かう。

「ねえねえ、他の部屋に何か怪しい物は隠されてなかったの?」

 可愛らしくその場を調べていた男に聞くと、少したじろぎながらもノーと答える。

「もちろん他の部屋を全部調べたが、何もなかったよ。テーブルに椅子。観葉植物と豪華なランプ。それだけさ」

 ということは、ウェイターのバーンズが、事前に全ての部屋にナイフを準備していたという可能性は消えたわけだ。

「そうなってくると、ちょっとバーンズさんって線は薄いかしら?」

 ちらりとエマーソンの顔を盗み見る。

「凶器も魔導で隠し持つことはできますよ。ただ、魔導の痕跡は残る。先ほどの簡易的な身体検査で異常なしとでました。もし、彼が魔導によってあのナイフを取り寄せた証拠を消せるほどならば、最初から魔導で、犯人の枠を外れるように準備するのではないでしょうか」

「でも、そういったことを恐れて魔導による攻撃を防ぐ呪符を普通は持ち歩いているはず」

 だが、エマーソンは首を横に振る。

「彼は、あまり魔導が好きではなかったようです。特にここ最近はなるべくそういったものを避けていた。たまにいますよね、魔導嫌いな御仁。たぶんこの街に住む誰もが知っているんじゃないでしょうか」

「やろうと思えばいくらでもやれたってわけね」

 彼女の直接的な言葉に警部補は緩めかけた口元を引き締めた。と、部下の一人がエマーソンの姿をみとめると真っ直ぐこちらへやってくる。

「警部補! 検死結果出そろいました。鑑識から、今まで分かった資料も一緒に」

「ありがとう。ラッシュ警部は?」

「表の方で金持ち連中をなだめてますよ。三人に尋問をよろしくとのことです」

「分かった。……お嬢様もいらっしゃいますか? 場所を移動しなければなりませんが」

 イーハーの異変を調べに行ったきり、クライドが帰って来ない。

「警察署に行くの?」

「ええ。一応任意同行で話を聞くといった段階ですが。後で資料をお見せすることもできますよ?」

 真剣に悩む。

 クライドに怒られるのは目に見えている。が、初めての尋問風景。ものすごく見てみたい。

「尋問じゃないです。あくまで本人の意志の上、話を聞くだけです」

 セイラの考えを見透かして、エマーソンが念押しする。だからここに残れと言っている、わけではないようだ。それなら厚意に甘えよう。先ほどのラッシュへの言葉はすっかり忘れている。

「一緒に行く」

「裏口に車を回してくれ」

 部下にそう命令し、彼は支配人を呼びつける。

「彼女の上着コートを」

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