4.まずは一つ目
状況ががらりと変わったのは、正午の鐘が辺りに響いたときである。
残すはデザートのみ。目の前に現れたその姿にうっとりとデザート用のフォークとナイフをとりあげる。一口大に切り取って、ぱくりといただこうとした瞬間、奥からバタバタと先ほどの護衛の一人が厨房の方へ駆けて行った。中に入って一分もしないうちに今度は支配人と思われる男が護衛の後についてヴェステルス男爵の個室へと向かう。だが、部屋に入るわけではなく外からしきりに覗くばかりだ。
口を開けたままの恰好でセイラがそちらを見て固まっている。クライドは小声でお嬢様と呼び続けるが、彼女は全く気付かない。完全に興味があちらへ向いているのだ。
「お嬢様! お口を閉じてください」
悲鳴のような彼の呼びかけに、セイラはようやく居住まいを正す。
「ご、ごめなさい。……でも何かしら」
少しだけしょんぼりと反省の色を見せながらも、すぐ瞳を輝かせてあちらへ目配せをする彼女に、クライドは小さくため息をついて、それでも彼女の言う方を見る。確かに何かあったようだ。
そうこうしているうちに、大勢の警官が詰めかけてきた。同時に特定の職業に就く者が着る、白い衣装を着た魔導師が後を追う。人の生死に関わる時に現れる彼ら。
二人は顔を見合わせた。
「男爵様、どこかお加減が悪いのかしら……」
先ほどあんな風にして道を譲ってくれた彼を思い出す。だが、何か劇的な変化を生むような外傷は多分無かっただろう。
「それだけでは済まされないようですよ」
なぜ? とセイラが目で問うと、クライドも瞳で理由を指した。
そこには大勢の警官。
セイラもすぐに自分の考えを改める。
「食中毒? 事故? 自殺? それとも――」
「お嬢様!」
小声で、でもきっぱりと次々不穏な考えに落ちて行くセイラをたしなめる。
「だってぇ……あ、ねえねえ」
セイラの給仕をしてくれていた青年がちょうど横切ったので呼び止める。心なし青い顔で、それでもさすがは職業魂と言うべきか、笑顔を見せて応える。
「何か御用でしょうか」
「ええ。……ヴェステルス男爵様、ご気分でも悪いの?」
さすがに、亡くなったのかとは問い掛けられない。セイラなりに精一杯控えめな質問だ。
だが、給仕の彼はとても困った顔をして首を振る。
「申し訳ございませんが、私にもわからないのです。ただ、護衛の方が支配人にものすごい剣幕で来いと。そうこうしている間にこんなことに」
こんなことにとは、大勢の警官のことだろう。
店内はそれほど混んでいたわけではないが、警察の多さに辟易した人が、今までの優雅なものとは違ったスピードで目の前の皿を片付けている。ごたごたに巻き込まれる前にとっととその場を去ろうというのが本音のようだ。それならば食べずに出てしまえば良いのにと思う。そこら辺が浅ましい。まだまだね、とセイラは肩をすくめる。
「もぅ……私もとっても気になるけど、うかうかしてたら午後の便を逃してしまうわ。くやしい!」
本当なら別に図書館に行くのは明日にしてもいいのだ。予約などなくともオブライエンの名を出せばいくらでもねじ込める。
だが、今図書館にはアリスがいた。セイラの予定は比較的余裕のあるものだが、アリスは一日空けるのにも随分と苦労をする要職についている人だ。今回もかなり無理をしてやっとのことで二日間の家族での休暇を手に入れたのだ。人が一人倒れた程度で予定を変更するわけにはいかない。
少しでも聞けば、興味がわいてしまう。
これは、他の面々と同じくこの場を去るのが自分の精神衛生上最も良いと思われる。
そう決めたら、とっとと席を立つべきだ。が、目の前の少しとけかかってしまったデザートを睨む。こんな美味しそうな物を置いて行けるか?
「私も同じレベルだわ」
「お嬢様?」
「何にもない。さっさと食べて出ましょう」
彼女の決断にクライドはほっ、と胸をなで下ろして頷いた。
だが、
「えー店内にいらっしゃる皆様。すみませんがね、その場から動かないでいただきましょう」
突然、制服を着た五十代に差し掛かっていると思われる男がそう、宣言した。
もちろん一瞬の静寂の後、店内は抗議の嵐となる。従業員を除けば大体二十人前後の人間が居合わせている。
そして、当然のようにその警察官の一番近くにいたセイラは、本当に食ってかかりそうなぐらいの勢いでまくし立てた。
「どこにそんな権利があるとおっしゃられるのです? 私この後イーハー空中図書館へ行かなければなりませんの。あちらへ向かう便は一日一本。今ここで足止めをされては、間に合わないかもしれません。そうなると、私の予約はパアですわ! この街で、イーハー空中図書館よりも大切なことって何かしら!」
自分の娘よりもさらに小さな少女に、足元から言葉の猛攻撃を喰らい、彼は思わず身を引く。だが、すぐ側にいた部下とおぼしき人物に耳打ちをされ、汗を拭きながら反撃に出る。
「みなさんのご不満は分かります。しかし――これは内密に願いますが、今まさにヴェステルス男爵殿が亡くなりました。胸をナイフで刺されて――」
店の中からいくつもの悲鳴が上がる。
そんな反応に、ちょっとだけ満足した多分一番の上役である彼は、というわけで、と続けた。
「皆さんにお話を伺わねばなりません。イーハーのことは十分心得ておりますが、どうぞ、ご協力ください。お嬢さんも、よろしいかな?」
最後に、先ほどなかなか強いパンチをかましてくれた小さな少女を見下ろす。恐怖に顔を青くしていることだろうと予測していたが、それは大間違いだった。
ほほを赤く染め、目を輝かせたセイラがそこにはある。
あまりの予想外の反応に、彼はその後の行動に移ることができず固まってしまった。目の前の可愛らしいこれは、いったいどこをどう取り違えてしまったのだろう? 人の話を聞いていたのか?
彼の頭の中を疑問符が駆け巡る。
そこへ、また別の場所から声が上がる。たいそうなドレスに身を包んだ女性が、少しだけ唇を釣り上げて口元を飾りがびらびらついた派手な扇で隠したまま問う。
「けれどっ! イーハーの予約は前金制ですのよ!? 予約は確かにまたすればよいかもしれませんけれど、こんな理由では返金は望めないんじゃなくって? キャンセル料百パーセント。ようは返金不可が、あそこの信条ですから! それはどう補償してくださいますの!?」
恐怖に悲鳴をあげたと思った側から、次は金の心配。なんとも気持ちの切り替えが早いご婦人だった。扇の下の口はさぞかし皮肉げにねじれていることだろう。
「や……それは……」
「そうよ! ここまでの渡航費うんぬんはこの際どうでもいいわっ! だって、入館料四百万ヴィラに比べたらはした金ですもの! 中のホテルだって十五万から五十万ヴィラもするのよ!! 多い人で五百万ヴィラの大金をどぶに捨てることになるわ! そうよね?」
目を輝かせていた少女も、打って変わって今度は怒りにほほを染める。
この人数。全員を保障するとなると、自分の首が飛ぶ。いや、彼だけではなくその上の者まで大変な目に合う。事態の拙さに顔色を青くしていると、セイラがさらに追い討ちをかけた。
「皆さんもそう思うわよね? もし、警察が今回の入館料とホテル代を保障してくれるなら喜んで協力するって」
いつの間にか、身長の低さを補うために店の椅子の上に立っていた彼女は、ぐるりと店内を見渡す。その前ではクライドが眉を釣り上げてその粗相をどのタイミングで咎めるべきか、様子をうかがっていた。
店内の人々は、その口の達者な少女に賛同し、誰もが頷く。それを十分確認して、彼女は椅子を飛び降りた。彼の方を、事態の行方に冷や汗をかいていた警察官たちの方を向くと、にっこりと微笑んだ。
「というわけで、お金の保障は私の方で受け持ちますわ。警察の方々は心配せずに己の職務をまっとうしてください」
人一人が倒れた程度では、予定を変更することなどできない。
だが、人が死んだとなれば、しかも――扉の外を固めていたというのに、ナイフを胸に刺されて死んでいたとなれば、それはまた別の話となる。
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