2.空から支配される街

「つまらない」

 ジュリアンの待ち人セイラは、せっかくアリスと一緒に遊ぶため色々とプランを練ってきていたのに、それが全て無に帰したことがよっぽど不満だったらしい。

 小さな頃から我侭を言ってクライドを困らせるようなタイプではなかったが、今日はなんとしても眉間の皺を解除する気はないようだ。

 今夜の便でイーハーへ渡るため、すでにあちらの宿は確保した。チケットも購入したし、後は時が過ぎるのを待つのみ。外は寒いのでと喫茶店に入ったところだ。

 セイラのコートを受け取ろうとするウエイターに紅茶を注文して下がらせると、二人はそれぞれ席に着いた。もちろん彼女の帽子やコートはクライドが預かる。間もなく暖かく薫り高い赤い飲み物が目の前に出された。

 店内は適度な明るさと上品な音楽に包まれている。周りの客も優雅な雰囲気を備えていた。

 この街ガベリアは、イーハーに向かう金持ちを対象としたところで、あらゆる物がそれ用に設えてあった。本来なら外海に面したこの港町は豊かな漁港として栄えただろう。だが、ここにはイーハーへ続く道がある。漁よりも、金持ちの相手をして儲ける事を選んだガベリアの人々は、八十パーセントが観光収入で生計を立てていた。

 サービスは満点。席も全て埋まっているわけではないが、反対にそれがゆったりとした雰囲気を与える。セイラの機嫌もカップの中身が減るたびに少しずつ回復していった。

「何か召し上がりますか?」

 そろそろ昼食の時間だ。店を変えてもいいが、彼女がここにいたいと言うならばそのまま食事にしても良い。メニューをちらりと覗いたところ、ある程度のものは出てきそうな雰囲気だ。

「そうね……。本当はアリスと行くつもりだったんだけれど、この際二人でもいいわ。近くにとても美味しいパイをたべさせてくれる店があるんですって。お昼ご飯はそこにしない?」

 彼女は彼女なりに母親との久しぶりの再会を楽しむために下調べをしていたのだ。一年の大半を旅に費やす二人にとって、アリスとの時間は大切なものだった。そんなセイラの可愛らしい一面に穏やかな笑みを浮かべ、クライドは頷いた。

「ええ、それでは早速」

 席を立つと身支度をして、二人は次なる目的地へと向かった。


 真冬とは言え、海に近いので内陸部よりは暖かい。そちらからやってきたセイラとクライドはしっかりと防寒対策をしているので、少々の時間なら外を歩くことも平気だった。馬車に乗っても良いというクライドを、たいした距離ではないからと止めて一緒に歩く。

 綺麗に舗装された道路の脇を二人は白い息を吐きながら闊歩した。時折露天から声が掛かるが、セイラがにこりと微笑み頭を下げると複雑な溜息をついて呼び止めるために出した手を引っ込める。そして通りすぎた彼女の姿についてあれこれと皆で話し合うのだ。

 空には青空が広がり、あたり一面に店から出る蒸気が広がっていた。昼時ということもあって良い香りが辺りに充満する。

 すると、紅茶だけでは満足しなかったらしいお腹が早く早くとセイラに訴えかけてきた。

「鳴るのだけは止めて欲しいわ」

 自分の意思ではどうしようもないこの現象。いつ実力行使に出てくるか分からない。

「もう少しの辛抱ですよ。ほら、店が見えてきました」

 豪華な馬車がその軒先に止まっている。中から恰幅の良い紳士が降りてくるところだ。ちょうどセイラたちと重なってしまう。順番を待とうと足を止めた彼女に気付くと、彼は右手を前に出した。

「どうぞ素敵なお嬢さん。お先へ」

 一目でどちらが主人かを察した男はセイラに向かって微笑んだ。

 基本的にこういった親切は快く受けることにしている。

「ありがとうございます」

 サービスに極上の笑みを浮かべて店内へ。待機していたウエイターに連れられ奥の方の席へ案内された。

 後ろを窺うと店長と思しき人物が現われ先ほどの紳士をセイラたちよりさらに奥の個室へ通していた。きっと常連客なのだろう。クライドの位置からは部屋の前に二人の男が立つのが見える。

 なにやらそちらを気にしている目の前のお付きをよそに、セイラはメニューを真剣に眺めていた。頃合を見計らってウエイターが注文を取りにやってくる。

「本日はどのように?」

「店長お勧めのミートパイは二人で食べるには少し大きいかしら?」

 普通はお嬢様がこのように話しかけたりはしない。クライドは渋面を作るが、せっかく治った機嫌をここで損ねるのも惜しかった。

「そうですね、大人の方が三人でいらっしゃって、他にサラダとスープ、肉料理と魚料理、最後にデザートをお召し上がりになって行かれます。肉料理か魚料理を減らされてはいかがでしょうか」

 クライドの方を見ると彼も頷いている。

「では、このサラダとグリンピースの冷製スープに魚は……白身魚がいいんだけれど」

「料理長に聞いて新鮮な物をこちらで見繕いましょうか?」

「うん、そうね。お願いするわ。デザートは後で決める。紅茶もその時に」

 彼女の崩れた言葉遣いにクライドの眉が少しずつ跳ねていくのを気にしながらも、なかなか気の利くウエイターは深く礼をして厨房へと向かった。

 さて、と、目の前のお付きに向き直る。どうもさっきから奥へと視線をやっている。小言が今の会話の間に飛んでこなかったのも半分はそのせいだ。

「クライド、あの人……」

「お嬢様もお気付きでしたか。あそこの扉の前に二人いる部屋です。中にはヴェステルス氏、確か男爵でしたが……彼が一人で入って行かれました」

「お知り合い?」

 驚くセイラにクライドは厳しい表情を見せる。

「お嬢様、事あるごとに申し上げておりますが、せめてガードラントの公爵、男爵の一通りの名前と顔ぐらいは覚えてください。今はこのように外へ出掛けて行くことの多い身ですが、いつかは国内で……」

 お説教が始まるとなかなか止まらない。彼の目を盗んで先ほどのウエイターに目をやると少し微笑んでテーブルセッティングにやってくる。クライドも話を中断せざるを得なかった。

 続いてサラダとスープ、パイがテーブルに並んだ。

「それで、外にいる二人がどうかしたの?」

 少々危険な賭けだが、サラダを頬張りながらクライドに話の続きを促した。あくまで話の続きだ。

「……彼はこのイーハー空中図書館の常連らしいですからね。夕刻までこの行き付けのレストランで時間を潰すのだと思えば不思議なことではありません。しかし、外の二人が謎なんです」

「外の二人って……護衛じゃないの?」

「二人ともそれなりに訓練を受けたようですが、どうも同じところの人間とは思えないんです。二人で一人の人間を護衛する時はそれなりにマニュアルというものがあります。しかし……彼らには二人で護ると言った風がない。まるで別々のところから派遣された印象さえ受ける」

「ふうん」

 普段から守られている側のセイラには確かに分からないことなのかもしれない。

「それで?」

 思わず身を乗り出してくるセイラにクライドは苦笑した。

「しかも、奥の方は警察のようですね」

「何で分かるの?」

「なんとなく勘で」

「……勘、ですの?」

 説得力のある解説も最後の一言で水泡に帰す。それが表情にそのまま表れたからだろうか、クライドが仕方なしに言葉を続ける。

「腕の下の拳銃。上手く隠してらっしゃいますが、この街の警察で使われてる型ですし。とはいえそれだけなので確証は持てませんが」

 勘という前にそれを先に言えばいいのにと思うセイラだった。

「なんで警察が護衛してるのかしら」

「そう決まったわけではありませんよ?」

「でも奥の人、言われてみれば確かに警察の人っぽいもの」

「そうですか……」

 セイラの強引とも言える決めつけはまあ置いておくとして、もし警察だとすればなぜヴェステルス男爵を護衛しているのか。二人は分からずに、首を傾げた。

 確かにガードラントの貴族様ということになればこの街も気を引き締めるのは頷ける。対応にもことさら丁寧に気を使うだろう。店が不興を買うようなことがあれば大損害となる。

 しかし、年間三十五万もの人間が訪れるこの街で、たかが一人の貴族。毎回のように街の警察から護衛を出すのは少しやりすぎではないだろうか。貴族は彼一人ではないだろう。

 それに、護衛ぐらい自分で賄うものだ。

 謎は深まるばかり。

 考えは止まるが手と口は止まらない。出された料理を残すことなく平らげ、一息つくと、ウェイターがメニューを手にやってきた。

「デザートはいかがいたしましょう?」

「そうねー」

 広げられたメニューを受け取り、セイラは真剣な眼差しで検討を始めた。どれも試してみたいが生憎受け皿のほうが一つだけだと言ってくる。同じ年頃の娘よりエネルギー消費量が多目ではあるが、それでもデザートは一品が限界だった。

 そんな彼女の姿に苦笑し、ウェイターに話し掛ける。

「すみません、あちらはヴェステルス男爵様ですよね? この街では警察が護衛をなさるんですか?」

 クライドの言葉に彼は眉をひそめた。そしてセイラの方を気にしながら、表情はいつも通りにして声を落とす。

「実は、最近ひどい殺人事件が相次いでおりまして……」

「ええ。それは聞いております」

 クライドもこの街へ入る前に護衛は五人以上、なるべく付けるように言われた。言われただけで取り合わなかっただけだ。

「今のところ狙われているのは女性だけですが、一応皆さん身辺に気を払われていらっしゃいます。人の出入りが激しい街ですからなかなか犯人特定にもいたらず。ヴェステルス様にも幾度か市長直々にご忠告なさったそうですが、元々多くの供をつけて歩くのを嫌う方で、いつも護衛の方一人だけ。ここのところ頻繁に通われてらっしゃるので、見かねた市長が街の警察を付けよと。本当は二、三人派遣したかったそうですが、ヴェステルス様が頑として受け入れなかったそうです」

 手前の人間が普段からの護衛、で奥の方が警察から派遣された者なのだろう。

「お客様も、犯行は夜から明け方ですがあまり薄暗い路地などには足を踏み入れぬようお願いします」

「ご助言ありがとうございます。十分に気をつけることにしましょう」

 彼らの話がまとまると、セイラはおもむろに顔を上げた。

「決まったわ!」

 ウェイターはにこりと笑って彼女の指し示す注文に目をやる。

「リンゴのコンポートをお願い。クライドは?」

 メニューを今まで独占していたくせに聞いてくるのは答えを既に得ているからだ。

「私もお嬢様と同じ物を」

「かしこまりました」

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