天使の地

第90話

 道長達、香絵奪還部隊は黄暢から香絵を取り戻して都紀へ帰ってきた。

 巫子の館へ帰ってくると、門の下でお婆々が出迎えた。

「皆、無事戻ったな。よかった、よかった。」

「お婆々様、ご心配おかけしました。」

 香絵が深く頭を垂れる。

「何の。無事戻るのはわかっとったよ。心配などしておらん。」

 そう言うお婆々の目は、本当は心配で眠れなかった、と赤く充血している。

 熱くなった目頭を悟られまいと、お婆々はくるりと反対を向き、先頭を館へと歩く。

「香絵の夫よ。約束どおり香絵を無事連れ戻ってくれて、ありがとう。」

 お婆々の珍しく素直な言葉に、皆目を丸くして彼女の背を見た。

「わたしも約束を果たそう。例の場所、分かったぞ。」

「本当か?」

「嘘など言うか。間違いないわ。で、どうする?」

「行く。」

「・・・・・・そうじゃな・・・。」

 お婆々は何となく、行くことに賛成でない様子。

「まあ、よい。この話は明日じゃ。今日はゆっくり休め。」

 それきり、お婆々は何も話さず、自室へと行ってしまった。

「何かあるのかしら?」

「うん・・・。」

 考えて解かるはずもない。今日はお婆々の言う通り、各自このまま部屋へ戻り身体を休めることにした。



「この地図を、お主がのう。たった一人で、こんなに詳細にのう。」

 台の上に広げられた地図を見て、しきりに感心するお婆々。

「お主、わたしのところへ来ぬか?高待遇を約束するぞ。」

「だから、得丸はやれんと何度も言っておるだろうが。私の臣下を片っ端から引き抜こうとするのはやめてくれ。」

 黄暢へ行ったついでだと周辺諸国の手描きの地図と共に数多の情報を持ち帰った、得丸の働きに目を瞠ったお婆々の勧誘に対して、道長がぴしりと断りを入れる。


「それよりも、問題の場所はどこだ。」

「おお、そうであったな。ここじゃ。ここ、ここ。この盆地。」

 お婆々が地図上を指差した。

「黄暢との国境に近いな。ここからどのくらい掛かる?」

「馬で約四半日。・・・行くのか?」

 行かせたくないとはっきり分かるお婆々の声。

 しかし、道長の考えは決まっていた。

「行く。早い方がいい。今日と明日は様子を見て、香絵の体調に問題がなければ、明後日にでも発つ。」

「そう・・・じゃな。」

「お婆々、何が気に掛かる?」

 お婆々は首を振る。「何が」と聞かれても、出せる答がない。

「行かねばならぬのは分かっておるのじゃ。香絵のことを考えれば、早い方がよいこともな。じゃが、行かせたくない。わたしには巫子達の記憶があるのでな、この国が生まれてから今までの、過去のほとんどを知っておる。しかし、未来さきを見ることはできん。が、ただ、行かせたくない。香絵だけではない。誰もこの場所へは行かせたくないのじゃ。」

 お婆々は自分の胸を押さえる。

「ここがの、気持ち悪い。もやもやとすっきりせん。いったいどうしたというのか。」

 お婆々の顔は、心なしか青褪めて見える。

「お婆々、どこか悪いのではないか?結構な歳なのだろう?病の一つや二つ、抱えていても不思議ではない。」

「むっ。年寄り扱いするな。わたしは健康じゃ。」

「はは、そうか。それはよかった。では心配するな。」

 道長は笑顔を消し、真顔でお婆々に向かう。

「香絵には私がついている。今度も必ず無事に連れ帰る。」

 言葉をいったん受け止めてから、お婆々が大きく息を吐いた。

「まったく・・・。おぬしのその、根拠のない自信はどこからくるのじゃ。・・・まあ、しかし、少々頼りないが仕方あるまい。他に道はないのじゃから・・・。」

 道長は、力んで宣言したのに肩透かしのお婆々の反応にがっくり肩を落とす。

 部屋にいた者達は声を殺して笑った。



 今回問題の地へ赴くのは、当然、香絵と道長。そして、政次に兼良、得丸。

 山越えということで、お婆々は歳には勝てず同行を断念。

 紫紺は最後まで迷っていたが、お婆々が同行を諦めたので行くことにした。本当は誰も“天使の地”へ行かせたくないお婆々は、紫紺にも行って欲しいと言い出せない。そんなお婆々の代わりに、一部始終を見てこようと決めたのだ。

 団は、香絵から「千茅の傍にいてあげて。」と頼まれ、留守番。千茅に知れるときっと、一緒に行って香絵を死守せよ、と言うに決まっている。もしかしたら、自分も行くと無茶を言うかも知れない。だから、千茅には秘密。陰衛隊はいつものように離れて同行するが、誰も姿を見せなくなると千茅に勘付かれるので半分は残すことにした。

 そしておまけが、正斗まさと雪桐ゆきり星夕えいゆうみこと。公務でどうしても時間が取れないたくみを除く、香絵の兄達である。

 すこぉし気が重いのは香絵。

『ちょっと山の向こうへ行くだけなのに、すごい人数・・・。』

 結局、移動すれば目立つに決まっている面子が大集合となった。



 その日の夕方、徹元が巫子の館を訪ねた。異国の客人をもてなす晩餐という名目で一緒に食事をとり、夜更けまで香絵とのだんらんを楽しんだ。そろそろ許された時間もわずかとなった頃、徹元は道長に告げる。

「道長殿。もし、封印が解けたなら、そのまま遠賀へ帰られよ。都紀へ戻る必要はない。」

 能力が戻ったことを知れば、いつまた黄暢が動くかも知れない。都紀では敵に近過ぎる。危険だ。出来るだけ早く香絵を遠くへ。少しでも安全な場所へ。そんな親心だ。

「ただし、息子達には最後まで内緒にの。香絵と別れねばならんと分かったら、道長殿にどんな災難が及ぶやも知れん。彼等の妹想いは度を越えとる。」

「現地でいきなり別れさせて、大丈夫ですか?」

「なーに。心配はいらん。後の慰め役は紫紺に頼んである。紫紺なら彼等の扱いもお手のものじゃ。」

 いつものように「ははは。」と豪快に笑った。

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