第83話
「くっ。」
膝を衝き、苦しそうに胸を押さえる道長。
道長が上目に睨んでいる真欄の左腕は、香絵の腰を捕まえている。
捕まえられた香絵が悲痛な瞳で見ているのは、千茅。その肩から胸は鮮血に染まり、倒れたまま動かない。
紫紺は、香絵を奪られ動くことが出来ない。
たった今、団が引き連れて戻ってきた陰衛隊の仲間達は、真欄の視線によって無言で命じられ、近付くことさえ止められた。
「まさか・・・。遠賀一強え道長様が敗れるとは・・・。」
仲間の一人が「信じられねぇ。」と青ざめた顔で首を振る。
「千茅!千茅、しっかりして!」
香絵の叫びが草原に響くが、千茅はぴくりともしない。
「ふん。遠賀などほんの小国ではないか。国での一番などたかが知れている。そんなもので満足しているから、そこから上に進歩しないのだ。」
真欄がちらりと千茅を見て、片頬で笑う。
「黄泉の道を一人では寂しいだろう。お前も一緒に行ってやるがいい。」
道長に向かって刀を振り上げた。
「やめて!!」
真欄は思いがけない力で左腕を弾かれ、数歩後ろへ退がった。
香絵が道長を庇い、その背に隠す。
真欄の手から香絵が逃れたのを見て、仲間達が一斉に攻撃へと動いた。
「ちっ。」
舌打ちして、真欄と隠密達は後方へと駆け出した。形勢が不利となれば直ちに退却すると決めていたのだろう。逃げ足は速かった。
香絵は敵から目を離すまいと、身動きせず真欄の後ろ姿を見送る。
安全と思われる距離が開いてから、千茅を振り返った。
「千茅!」
いけない!香絵を千茅に触れさせては、封印された能力を使ってしまう。千茅の傷は深い。これまで以上の能力を使い、香絵の
道長の横をすり抜け千茅に走り寄ろうとする香絵の左右で、道長と紫紺が止めた。
「紫紺殿、香絵を頼む。私は千茅の傷を診る。」
「いいえ。千茅は私が。私にも多少医学の心得があります。香絵様は道長様が館までお連れください。その方がいい。」
どうやら紫紺は道長の虚勢に気付いているようだと察し、道長は「わかった。」と頷いた。
千茅を団と紫紺に託し、泣き叫ぶ香絵を無理やりその場から離す。抱えるようにして、とにかく早く香絵が安全な場所へ、と進む。
陰衛隊の仲間達も千茅が心配だろうに、半数は紫紺を手伝うためにその場に残ったが、数人はふたりを遠巻きにして周りを警戒しながらついてきてくれる。
「香絵、千茅のことは紫紺に任せよ。そなたは早く館へ。そなたを奴等から護るため千茅は身を懸けたのだ。ここでぐずぐずして捕まるわけにはゆかぬ。」
道長の言葉に、香絵が千茅の傍へ戻るのを諦めた時、香絵の胸が痛んだ。
ふと見上げた香絵は、一瞬で隠した道長の痛みに歪んだ顔を見逃さなかった。
「道長様。胸に傷を・・・?」
「いや。」
道長は知らぬふりで笑って見せたが、
「隠してもだめです。わたしには分かるのですから。」
言うが早いか、香絵は道長の衣をむんずと掴むと胸の合わせを左右に開いた。露わになった右胸が紫色に大きく腫れ上がっている。
「こんなに・・・。痛そう・・・。」
「触るな!」
香絵が傷に掌を寄せるのを避け、道長は後ろへ退がる。
「あ。ごめんなさい。」
香絵は、触られると痛むので道長が避けたのだと思い、手を引いた。
「いや、たいしたことはない。」
香絵には道長が無理をしているのが分かる。香絵の胸も、づくん、づくん、と痛みを脈打つ。きっと道長は息をするにも苦痛が伴っているに違いない。香絵まで息苦しくなる。
「道長様、館まで頑張ってくださいね。お婆々様なら傷を癒してくれますから。」
半泣きの香絵が道長に手を貸そうと差し出すが、道長は一歩引いて、「私は大丈夫だよ。」と傷を衣の中に隠した。
道長は考えていた。香絵はどんな状態で
とにかくこれ以上、香絵に能力を使わせるわけにはいかない。道長は出来るかぎり平気なふりで、出来るかぎり速く、香絵の前を歩いた。
懸命に痛みを堪え、前を行く道長。その背中を見ていて、香絵は何もしてあげられない自分が悔しくなってきた。悔しくて泣けてくる。
ぐしゅぐしゅとすすり泣く声に、道長が振り返った。
「香絵、どうした?」
「ぐじゅ。ごめんなさい。道長様。いつもわたしのために道長様は危険を冒してくれるのに、わたしは道長様のために何も出来ない。護られるばかりで。」
「馬鹿だな。そんなことを気にしているのか。
私はね、香絵。きっと香絵のために生まれてきたのだよ。この世に生まれる前から、私は香絵を護ると、そう決まっていたのだ。」
道長は立っているのが辛くなって、道端のちょうどいい高さの石に腰を降ろした。「ぅっ」と胸を押さえる。
「道長様、辛いのですか?」
「来るな!」
近付く香絵を止める。本当は香絵を抱きしめてやりたいのに
「どうして?・・・」
香絵が再び泣き出す。
「香絵・・・泣くな。泣かないでくれ。」
『このまま、隠し通すのは無理だ。』
人を疑うことを知らない香絵に、隠し続けるのはそう難しくはないだろう。無理なのは、道長の方だった。今、この瞬間に香絵が泣いている。そのことに道長は耐えられない。だから、話すことにした。
別に隠さなければならない理由があった訳ではない。が、事実を知れば香絵のことだ、病人や怪我人を自分の身を顧みずに救けようとするのではないか。そう考えると、言い出せなかったのだ。
とにかくここに
「香絵。香絵が護られてばかりだなんて、大間違いだ。護られていたのは私達の方なのだよ。」
後ろを泣きながらついてくる香絵に、道長が語り始める。
記憶の封印。香絵の能力。心身への影響。そして、早急に封印を解く必要があること。道長は館の門前でほぼ話し終えた。
「私が一番恐れているのは、香絵が私の元へ帰ってこないことだ。例えば香絵を黄暢に奪われたとしても、私は必ず取り戻す。決して諦めたりしない。だが、私にも迎えにいけない
館の門を潜り安全地帯へ辿り着くと、道長は足を止め、香絵と向かい合った。
「だから頼む。癒しの能力を、他のどんな能力も、使わぬよう気をつけて欲しい。」
香絵はきっと、心の深いところですべてを知っていたのだろう。さして動揺もせず、じっと道長を見ている。
「道長様はいつもわたしを心配してくださるけれど、でもわたし、道長様のためなら命など惜しいと思いません。少しでもお役に立ちたい・・・。」
道長は苦しそうに首を振る。それを見詰める香絵が頷く。
「わかっています。無茶はしません。道長様の悲しそうなお顔は見たくないもの。」
香絵が道長の方へ手を伸ばす。道長は反射的に肩を引いた。
「大丈夫。能力は使わないようにしますから、お身体を支えるくらいはさせて?」
道長に少し哀し気な微笑を向ける。
「お婆々様の所へ行きましょう?」
香絵のお願いに弱い道長が折れた。「能力を使わないのならば。」と頷き香絵の肩に手をかけると、香絵の右胸が『づくっ』と痛んだ。
道長の痛みが伝わる。触れ合えば、より強く。
『せめてこれくらいは。同じ痛みを分かつくらいは・・・。』
今はこれくらいしか出来ない。道長のために何かしたい。その思いばかりが空回りしているようで、香絵はまた泣きたくなる。でも、
『でもいつか。道長様のためにわたしにも出来る事を見つけたら、きっと・・・。』
決意で涙に蓋をした。
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