第81話

 香絵を父や兄達に会わせるため、紫紺は王城へと向かった。

 途中、香絵は次々と記憶を取り戻していった。道長の知らない香絵の世界を、紫紺と楽しげに話す。時には子どもだった頃に戻ってじゃれ合ったり、触れ合ったり。

 その度、二人の間に割り込んで香絵を取り返したくなるのを、道長は必死に抑えた。『これも香絵のため。我慢、我慢。』と・・・。


 通りを歩きながら、道長はふと気付いた。女の姿が多い。通りの隅に女だけでかたまって笑い合っていたり、中には若い娘が一人で歩いていたり。

 それほど都紀は治安が良いのだ。遠賀では考えられない。

 道長はあらためて遠賀の治安を考え直す必要があると思い知らされた。


「ほら。見えてきました。都紀城つきじょうです。」

 紫紺が指差す先に、石造りの高い塔が見える。

 香絵は王女でありながら、ほとんど城では暮らしていない。それでも懐かしそうに目を細める。

 王城にそびえる四本の塔は高く、見えてから城に着くまで、かなりの距離を歩いた。



 異国からの特別な客として、道長と香絵は国王とその家族が暮らす奥宮へと案内された。


 奥宮の応接間で香絵は、父と兄達を待つ。母はいない。五年前、ちょうど道長が母を亡くした頃、やはり香絵も母を亡くしていた。

 そう長く待つことなく扉は開かれる。五人の兄達が、口々に香絵の名を呼びながら入ってきた。

 香絵はすぐさま立ち上がって駆け寄り、彼等に取り囲まれる。


 徹元は最後に入って来て、道長の所へ。

「よく参られた。」

 二人は固く手を握り合った。そこで初めて存在に気付いた兄達の視線が道長へ集まり、徹元は兄達に道長を紹介する。

「遠賀の国王であり、香絵の夫である道長殿じゃ。」

 一番上のたくみから、順に道長の所へ来て握手を交わした。匠、正斗まさと雪桐ゆきり星夕せいゆうみこと。五人は一様に、握る手に必要以上の力を込め、背の高い道長を睨むように見上げた。

 どうも敵意のようなものを感じる。初対面で何故敵視されるのか?妹を持たない道長には、妹の夫を迎える兄の複雑な心境は理解出来なかった。

 それからこの場を辞するまでずっと、道長は兄達からまったく無視された。


 兄達は香絵が失くした記憶を取り戻すため、それぞれが思い出につながる物を箱に詰め、抱えてきていた。

「ほーら。香絵、見てごらん。何か思い出すかい?」

 匠が箱の中身を床に広げると、他の四人も同じように箱をひっくり返した。

「わあ。懐かしい物ばかり。」

 香絵が歓声を上げる。

「だろう?」

「香絵が記憶を失くしたって聞いて、本当は僕達も遠賀へ行きたかったんだ。」

「そうさ。なのに父様はさっさと一人で行ってしまって――――――。」


 紫紺は扉付近で直立したまま、はしゃぐ彼等を真顔で眺めている。ここでは執事の立場を務めるようだ。


 部屋の中央に設えた応接セットの椅子に腰掛けている道長へ、向かいに座る徹元が前のめりに小声で話しかけた。入り口に近い床の上に広げた懐かしい物達を、あーだこーだと物色している愛児いとしご達の耳には届かないだろう。

「だいたいは巫子の婆々から聞いておるが、香絵はどうかの。」

「あまり良くないようです。今朝目覚めてからは元気にしていますが、また何時倒れるか・・・。」

「そうか。」

「今お婆々が、封印を解く方法を調べています。」

「うむ。見つかると良いがの・・・。」

 それきり徹元が黙ったので、道長は気になっていたことを訊ねた。

「香絵を巫子の任から解くと公表されましたか?」

「した。正しくは、巫子の見習いはまだ巫子職を引き継いでおらず、行方知れずとなったため継承は中止じゃと公布した。」

「それはいつ頃?」

「儂が都紀に帰ってすぐ。もう三月みつきも前じゃ。」

「そうですか。」

 三月みつき前だと、朱雀御殿奥の間の襲撃よりは後。黄暢きちょうの王がそれを知ってから遠賀へ急いで伝令を走らせると、丁度怪しい薬の捕り物があった頃となる。

 あの時隠密に伝令は届いていたのか、まだ届いていなかったのか。それとも伝令など出なかったのか。香絵が巫子ではないと知り、敵にとって香絵は必要ではなくなったのか、それとも今もまだ狙っているのか。

 道長には判断がつかなかった。



 話題が途切れ、遠賀から遠く離れた都紀で香絵の身を案じていた徹元に、何か香絵の話をと、道長は語る。

「そういえば、徹元殿が遠賀を発たれた日、香絵が夢を見たと言って、その様子を絵に描いたのです。一気に五枚。どれにも月の天使と思われる人物がいて、周りの風景まで詳細に。都紀なのだろうと思うのですが、あれは一体何処なのか・・・。」

 そこまで言うと、道長の頭をふっと何かが過ぎった。

『あの絵・・・・・・!!。』

 道長がやにわに立ち上がる。

「香絵。お婆々の館へ帰るぞ。」


「お兄様、これは何?」

 香絵が兄にそう訊ねた時、道長に声を掛けられた。

 香絵は掌に収まる小さな箱を持ったままで、『え?もう?』と道長を振り返る。目が合った道長が頷いたので、床の絨毯に直接座り込んでいた香絵は立ち上がった。


 道長は徹元へ、

「申し訳ない。お婆々へ急用を思い出しました。一度館へ戻ります。後程改めて参りますので、これにて失礼。」

「何か思い付かれましたな。お気を付けて帰られよ。」

 わだかまり無く送り出す柔らかな笑顔に頭を下げ、「香絵。」と促す。

 久し振りに会った可愛い妹をこんなに早く連れ去る道長に、刺すような視線をびしばし送る兄達を無視して、部屋を出る。

 道長はそれどころではない。


『あの絵。月の天使と都紀のどこかだと思われる風景。心の奥に閉ざされた記憶。封印。夢。あの絵に何か手掛かりが隠されているかも知れない。』

 そう考えると、道長の気持ちが急いた。

『急ぎ館へ戻ってお婆々にあの絵を見せよう。』

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