第80話

「館へ着くまでの道や、館の中でも、いろいろ思い出したのよ。」

 香絵は腕を組んでいる道長を通り越して、その隣の紫紺に話す。

「そうですか。私が都紀中をできる限りご案内しますから、早く全部思い出せるといいですね。」

 紫紺も道長を素通りして、香絵に答える。

「まずは、裏山へ行ってみますか?」

「ええ。どうかしら。変わっていない?」

「はい、あそこは香絵様がいなければ変わりようがありません。外部の者が出入りすることもありませんし。」

「ふふ、それもそうね。」



 ちょうどそこへ、千茅はお婆々に夫を紹介しようと、団を連れて巫女の館へやって来た。


 昨日都紀へ到着して、千茅は団や陰衛隊の面々を引き連れ、直接実家へ直行した。

 両親は疾うに亡く、千茅独りで住んでいた家だが、清華達仕事仲間が時折風を通しに訪れていたそうで、掃除もしてくれたのだろう。出掛けたばかりのようにきれいだった。

 古い造りの大きな家で、陰衛隊を全員迎え入れてもなんとかなりそうだ。部屋割りをしたり、当座の食糧を調達している間に、夜になってしまった。

 夜になると仕事を終えた都紀の仲間が各々訪ねてきて、ほぼ全員――本日夜勤の担当は拗ねていたが仕事だから仕方ない――が集合。

 元山賊だったゴリぃ男ばっかの陰衛隊と、体資本の隠密警護を生業とする都紀の仲間達。どちらも体育会系のノリで盛り上がらないワケがない。

 結果、空が白んでくるまでドンチャンやって、意識を失うように眠りについた。


 そんなこんなで、目が覚めたのがこの時間。

 千茅は館の玄関が見えるところまで来て、そこから出てくる香絵を見付ける。

 声を掛けようとしたが、一緒にいるのが道長だけではないことに気付いて止めた。

『香絵様と道長様、それに紫紺。これは、ぅふっ、面白くなりそう。』

「団、予定変更です。香絵様がお出掛けのようですから、護衛に就きます。」

「おう。」


 千茅の予想は当たっていた。

 これから道長は、香絵と紫紺の仲の良さを目の当たりにする。しかし口出しして記憶を呼び戻す邪魔をするわけにもいかず、嫉妬の炎にひたすら耐えることになる。

 だがその先にある不意の出来事までは、予想できなかった。



「ああ、本当に。わたしがいた頃のまま。」

 香絵は懐かしそうに、住んでいた家を眺める。

 一巡りすると今度は触ってみる。窓、柱、壁。


「どうです?何か思い出しますか?聞きたいことはありますか?」

 訊ねる紫紺に、香絵は少し間をおいて答えた。

とおるの・・・ことが聞きたい。」

 すぐに返らない返事に、紫紺のいる方へ向く。

 紫紺は堅く口を結び、辛そうな目で香絵を見ていた。

「あの時・・・?」

 恐る恐る香絵が訊くと、紫紺は一層辛そうに眉を寄せた。

「思い出したのですか?」

 香絵はゆっくり頷く。

「ここに来て、思い出しました。あの時、わたしは透と一緒にここにいた。お婆々様からの巫子の引き継ぎを済ませて、都紀の人々への顔見せの準備をしていた。そして、あの男達が来て、透を・・・」

 その時の様子が頭の中で甦る。


 香絵は居室で入口の方を向き、透と面していた。

 男達は入ってくるとすぐ、ためらいもなく透を背後から斬った。透が男達に気付く前に。香絵は声を上げる間もなかった。始めから香絵以外の者は斬り捨てるつもりだったのだ。

 二人の男に体と足を抱えられ、手で口を塞がれ、ここから連れ出される時、目の端に見えた透は血塗れで倒れていた。その横に立つ男が止めを刺そうと、刀を縦に構え、


「透を・・・!」

 額に手を当て、香絵がふらつく。

「香絵さ・・・」

 紫紺が手を伸ばすより早く、道長は香絵の横へ来ていた。

「どうした?」

 不安定な香絵の体を支え椅子に座らせて、膝を折って香絵の顔をのぞき込む。

「何でも・・・。少しめまいがして・・・。」

 道長は心配そうに、香絵の頬や額に手を当てる。

 紫紺は拳を硬く握り締め、そんな二人から目を逸らした。

「大丈夫か?」

 道長の問い掛けに、香絵はかるく頭を振ってみる。

「平気。もう何ともないみたい。」

 そう言って、香絵は道長から紫紺へと視線を移す。あの後、透はどうなったのか。答を求めて。

 それを受けて、紫紺が口を開く。

「香絵様と父がいつまで待っても戻ってこないので、私が様子を見にここへ来ました。私が来た時にはもう、父は既に息絶えていました。」

 香絵が両手で顔を覆った。肩を震わせ嗚咽を漏らす香絵を、二人の男は静かに見守る。


 暫らく泣き続けて、気持ちが少し落ち着くと、香絵は懐から布袋を取り出した。中には一枚の衣が入っている。千茅に渡されてからずっと、思い出せない想い出が痛くて、でも手離せなくて、いつも懐に忍ばせていた。

 香絵は記憶の中でこれを着ていた。やっと思い出した。新巫子お披露目のための晴れ着だったのだ。

 あの時透が着せてくれた。肩に掛け、袖を通し、帯を結んでくれて、「お似合いですよ。」と褒めてくれた。

 あの言葉と笑顔が最期になった。


 畳んだままの柿色の衣を抱きしめて、香絵は話す。

「男達は三人。彼等は何の躊躇もなく透を背後から斬った。」

 香絵は悔し気に唇を噛み、気を取り直すように小さく深呼吸した。

「わたしは縄で縛られて、錠の付いた馬車に乗せられました。けれど、縄抜けも、錠破りも得意だったから、逃げるのに苦労はなかったわ。夜を待って逃げ出して、馬車の馬を一頭拝借して、都紀に向かったの。でも行っても行っても都紀には着かなくて・・・。何日かして山の中でまた捕まりそうになって、それで巫子の能力に封印を・・・。」


『そうか。私が香絵に出逢ったのは、きっと、そのすぐ後だな。』

 道長があの出逢いの日を思い出していると、

「くくくくっ。」

 紫紺が堪らないといった風に笑いを洩らした。

「香絵様の方向音痴は相当強力ですね。それほど必死の状況なら、普通勘は正しい方向へ働きますよ。それなのに、都紀から遠く離れた遠賀まで行ってしまうとは・・・。」

 紫紺がおかしくて堪らないと笑い続ける。父のことで沈んでいる香絵の心を、何とか紛らそうと。

「紫紺ったら、そんなに笑わなくったって。」

 思惑通り、香絵がむくれる。

 慰めに近付いた紫紺へ、道長は少し退がり、香絵の隣を空けた。

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