第62話

 美平は速足で道長の天幕へ戻った。

 遠賀の戦士達は振る舞われた酒に酔って、それぞれの天幕でまだ賑わっている。道長達に気付いて顔を出した者に、道長は『気にするな。かまわずやってくれ。』と香絵を抱えた手で、しっしっ、と示す。彼は『ああ。』と何かを納得したような顔をして引っ込み、酒盛りを再開した。



 天幕の入り口には凛が待っていた。

 道長に静の言葉を伝えると、道長は顔色を変えて離れへ向かった。美平も場所を知らぬだろう道長を案内しようと後を追い、凛はひとり取り残された。ただならぬ姪の様子を思い出しながら不安を募らせ、凛は天幕ここで待っていた。


 戻ってきた四人の姿を見付けて走り寄り、静の衣にべっとりと附着した真っ赤に驚く。

「どうしました?何があったのですか。」

 その問いに美平が早口で答える。

「話は後で。静の着替えを取ってきてもらえますか?二人分。」

「はい。」

「なるべく人目に付かぬようにしてください。」

 ただごとでないのは一目瞭然。凛は無言で頷くと、庵へ向かった。



 凛が静の伝言を持って道長の天幕へ着いた時、中は道長と美平の二人だけになっていた。挨拶に訪ねてきた住職は、必要な挨拶の言葉のみを並べ終えると、落ち着かない様子でさっさと寺内へ戻っていった。

 天幕を張ってすぐではなくこんな深夜に、酒で盛り上がっていると知っているのに、場を貸した側の住職から借りた道長に、静を伴って、必要とも思えない挨拶に来る。美平は不自然を感じた。

 その理由は、離れに父の姿――その姿は変わり果てた骸と化していたが――を認めた時に分かった。人と人を繋ぐ隠された糸が見えた。


 握った静の手を持ち上げ、両手でぎゅっと握ってから、美平もまた単身庵へ走る。

「兄上、何処へ?」

「やることがある。待っててくれ。」

 置いてゆかれた三人は天幕へ入り、腰を降ろす。

 何も言わない。

 ただ黙って美平と凛の帰りを待つ。



尼御前あまごぜ。いくら年老いたとはいえ、あなたも女でしょう。それも仏に仕える身でありながら、このような事に手を貸すとは!」

 庵の住職の私室で、美平が老尼を責め立てる。

 裕篤が一年に一度か二度この寺を訪れることを、美平は知っていた。信仰などに興味のない裕篤が何のために男子禁制の尼寺を訪ねるのか。裕篤を知る者なら言わずもがな。

 世を捨て自分を頼る比丘尼びくにのみならず、とうとう他国からの客人まで、住職は裕篤への生贄として差し出した。

 激する美平に住職は、曲がった腰を更に深く折り、やせて小さな体をより一層小さく平伏す。

「申し訳ございません。しかし、裕篤様には逆らえません。恐ろしい方です。逆らえば、わたくしも、この寺も、葬られてしまいます。」

 しゃがれた声を震わせる。

「分からなくもないが、許せる事ではない。よく聞け。父は死んだ。」

「何と・・・。」

 住職は驚愕に言葉を失くす。

「寺の宝を狙った盗賊に斬られた。これから御所へ戻り探索の者を寄越す。それまで離れには誰も近付けるな。」

「はい。」

 皺だらけの額を床に着ける。

「離れの密会をお前が手配したと分かれば、これまでのことも隠しおおせまい。咎めを受けるぞ。私は探索方には話さずにおいてやる。残り少ない命を牢の中で過ごしたくなければ、この事もこれまでの事も決して洩らさぬことだ。お前がこれまでに生贄とした尼にも口止めしておくのだな。」

「はい。」

 思いもしなかった事の重大さに、顔を上げることも出来ない住職を置いて、美平は道長達の待つ天幕へと戻った。

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