第59話

 山賊の残党を率い血塗られた村を出て、昨夜野営した場所に再び天幕を張る。

 その中の一つ、野営の中心に位置する天幕の内で、千茅が香絵にここまでの経緯の説明を始めた。

 同席するのは道長ともう一人。内紛に敗れ、牢に繋がれていた山賊の元首領かしら。名は団。

 そして天幕の外にひっそりと二つの気配、得丸と和馬。香絵の知り合いのようだが、得体の知れない相手との密議。彼等としてはただ放ってはいられないのだろう。姿は見せないが、道長と香絵に手を出せばただでは済まないだろう、と感じる程度の気配は漂わせる。

 道長と香絵はもちろん、団も千茅も気付いていたが、構わず話を始めた。



 千茅は香絵がいなくなってすぐに、香絵を捜しに都紀を出た。足どりを追ったが、賀川に入ったところで分からなくなり、国境に沿って手掛かりを捜していった。そして、山賊に捕まった。

 千茅であれば逃げ出す手段はいくらもあったが・・・。

「それがこの男に惚れられてしまいまして。」

 少し照れた様子で隣に座る団を親指で指す。

 灼けた肌。厚い胸板。四角くごつい顔。短く刈った黒い髪。切れ長でつり上がった黒い目。動物の皮で作られた衣の下には、鍛えられた筋肉が潜んでいる。いかにも山賊の首領といった風貌の大男。


「わたしは遠賀へ行きます。わたしの仕事はもともと香絵様の身辺警護。一度は追うことを諦めましたが、こうして再びお会い出来たからには、もう離れるわけにはまいりません。」

 これからの希望を道長に訊かれ、千茅が答えた。団の方をちらりとも見ずの即答。わざと見ないようにしている。目が合えば、気持ちが揺らぐかも知れないから。

 一度は香絵を諦め、任務を捨てた。

 団のため。

 だけど・・・・・・・・・。



『どうする?』

 切り立った谷を背に、千茅は考えた。

 大した使い手はいない。直接闘っても負けはしないだろう。でも、倒す必要のある相手ではない。

 張り出したあの枝と、手に持つこの鎖を使えば、川向こうへ簡単に越えられる。そのほうが闘うよりずっとてっとり早い。

 そう考えたとき千茅は、香絵も山賊に出会う可能性に思い当たった。

「ほーら。無駄な抵抗はして、おとなしく捕まれよ。怪我したら損だろ?」

 千茅を囲む山賊九人。その中で一番態度の偉そうな男が、思いもしなかった拾い物ににやけた顔で言う。

「そんな怖い顔せずに。その危な気な鎖も捨てて。何もしやしねえよ。道にでも迷ったんだろ?お前の村まで送ってやるって。」

 そんなことは大嘘だと分かっているが、千茅は鎖を離した。

 がちゃがちゃん。鎖が音を立てて草の中でとぐろを巻くと、若い男が「ひゃっほー」と奇声を発して千茅の体に飛びかかった。

 草の上に仰向けに倒れた千茅の上で、荒い息を吐きながら千茅の帯を解き、衣を開く。

「止めろ。首領かしらに殴られるぞ。」

 偉そうな男の声で、若い男は「ちっ」と舌を鳴らした。

 乱暴に腕を引き千茅を立たせると、道を覚えられないように、自分の腰に下げていた手拭いで千茅の目を隠す。

 偉そうな男が「よっ」と千茅を肩に担いで、森の木々に隠された自分等の村へと運んだ。

 珍しく手に入れた上玉は、当然首領の物。

 千茅にしても、任務のため『女』である自分の体を使うことに躊躇ためらいはない。情報の有る無しがはっきりすれば、すぐに逃げ出すつもりだった。


 ところが思わぬ事態に。

 首領である団に惚れられてしまったのだ。

 団は片時も千茅を傍から離してくれない。

 それまではべらせていた女は皆仲間へ分配し、仕事も仲間任せにして、千茅に溺れた。

「お前。ただの女じゃないだろ。何者だ?」

 寝床の上で汗ばんだ裸体からだを横にして、腕を枕にした団が千茅の背に訊く。

「捕り方の囮にしては未だ役人が来ないのはおかしいし・・・。誰か捜しているのか?村の女に探りを入れてたろ。」

「そんなことを聞いてどうする?話せば解放してくれるのか?」

 寝床の端に座り髪を整えていた千茅が、団に背を向けたまま冷たく言う。

「いや・・・それは・・・。」

「わたしの何がそんなに気に入った?取り立てていいところなどないと思うが?」

「何がと訊かれてもなあ。俺にもよく分からん。」

 ふん。と鼻を鳴らして千茅は立ちあがった。

「どこへ行く?」

「水を浴びてくる。」

「俺も行く。」

鬱陶うっとうしい奴!」

「見張ってないと逃げちまうだろ?」

 団は起き上がりながら言って、指に引っ掛けた服を肩にのせる。

「当たり前だ。」

 千茅の即答に団が小さく息を吐く。笑ったのか溜息か。胸が痛くなるような淋しい顔で、「お前をここに止どめておく方法はないものかな。」とこぼす。

「ない。山賊の仲間になるなどお断りだ。」

「では山賊でなければいいのか?」

「抜ける気か?」

「いや・・・。それは出来ない。」

 今自分が抜けると、次の首領は決まっている。欲の張った野心家で、極悪非道と呼ぶに相応ふさわしい。

 さらった女は使い捨てる。金持ち貧乏人見境なく襲う。捕まった仲間は見殺す。

 自分が力で抑えてなければ、やりたい放題。とても仲間達を委ねられない。

「じゃあ、どうする。村ごと職業替えでもするのか?」

「まさか!」

 その時は間をおかずに否定した。村の男は皆、生まれた時から山賊。他の仕事などしたことも、しようと考えたこともない。自分とて同じ。

 しかし、川の水に腰まで浸かり、裸の肩に水を掛ける千茅を眺めながら、

『もしそんなことが可能だとしたら・・・。』

 これまで頭の片隅にも存在しなかった考えが、気が付かないほどゆっくりした速度で占領を開始した。

 団は頭の全土を占領されるのにふた月掛かった。

 その間、千茅に逃げ出すチャンスが訪れなかったわけではない。だがすっかり情が移ってしまっていた。

 山賊を止めようと考えるきっかけを作ったのは千茅だ。途中で逃げるのは無責任のような気がした。

『職業替えがうまくいくまで。それまで見届けよう。そうしたらまた香絵様を捜しに行く。』

 自分自身に、団の傍にいる言い訳を作ろうとしていた。

 団は仲間に自分の気持ちを打ち明け、説得を始めた。具体的な職業を挙げ、それぞれに必要な手段も調べて説明した。賛否両論。さまざまな反応の中で、団は全員の了解を得ようと努力した。

 そんな団の姿は少なからず千茅に感動を与えた。

 しかし、努力は報われることなく、内紛が起こった。仲間割れを良しとせず、闘うことを放棄した団一派は牢へ繋がれた。

 この時点で千茅は勝者の持ち物となるのだが、内紛の起こった際、かなりの抵抗を見せ、「止めろ、千茅!俺の仲間を傷付けないでくれ。」と団に止められるまで暴れ続けたおかげで、団達と一緒に牢へ入れられることになった。

 こんな牢など破るのはたやすい。でも出来ない。

 自分一人で逃げることも、団や仲間を助けて一緒に逃げるのも、団のプライドを深く傷つけるだろう。

 そんなことをするくらいなら、一生牢に繋がれていたほうがましだ。団はきっと新しい首領から処刑されるのだろう。その時は一緒に・・・・・・。

『香絵様。わたしはもうあなたを追ってゆけません。申し訳ございません。』

 千茅は香絵との再会を諦めた。



 香絵に従い遠賀へ行くと言った千茅は、団の顔を見なかった。

 香絵についてゆく。それはつまり、団との別れ。ぎりぎりのところで下した決断が、団の顔を見ると翻してしまいそうだったから。

 しかし、当の団本人はまったく辛い顔も、悲しい顔もしてはいない。

 千茅が団を見ていたら、本当は自分のことなど愛してはいなかったのだ、と思ったかも知れない。

 だが、違う。

 千茅を愛しているからこそ、団には何の迷いも躊躇ためらいもなかった。

「俺も遠賀へ行く。」

 思ってもみなかった言葉に零れ落ちそうなほど目を見開いた千茅へ、団が笑いかける。

「でも、仲間達は?」

「あいつ等も連れてく。反対はしないだろう。争いになったとき、真っ先に俺についてくれた奴等だ。」

 千茅は香絵に許可を請う目を向ける。香絵はそれを道長へ。

「いいだろう。父からは『全員その場にて処刑』の命を受けている。どうせ賀川には置いてゆけない。」

 香絵と千茅は喜びのあまり、それぞれの相手に飛び付いた。


 道長達は佐々木の町へ寄らねばならない。山賊達は同行できない。

 保護した女や子ども達は、佐々木へ連れていっても罰を受けたりしないだろう。だが、幸福と呼べる将来が待っているとは思えない。

 それで、千茅と団に彼等を任せることにした。国境に沿って遠賀へ行き、鈴木の町へ入るように指示。山中の道なき道を行くことになるが、そこは山賊、何とかするだろう。

 早朝道長は、一足先に遠賀を目指す彼等を見送った。

「行かせてよろしいのですか?」

 道長の一歩後ろから得丸が訊ねた。

「うん。私も甘いな。」

「このまま逃亡するかもしれません。跡をつけましょうか?」

「いや。それならそれで仕方あるまい。」

 言いながらも道長は、再び遠賀で彼等と会う時、一人も欠けてはいないだろうと思っていた。

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