第58話

「準備はよいか?」

「はっ。」

 道長達一行は山賊の隠れ村のすぐ近くまで来ている。夜活動する山賊が寝入る昼まで、そこで待機していた。


 昨夜のうちに得丸と和馬が探りを入れている。

 賊の総数約八十。うち女子ども約二十。内紛の情報は事実で、五分の一は牢に拘束されている。つまり実質の敵は約五十。

 裕篤からは「捕まえる必要は無い。全員その場にて処刑せよ。」との命を受けたが、道長は「刃向かう者のみ斬ってよし。降伏する者は殺さず捕らえよ。」と指示した。


「では参る。散れ。」

 道長の合図で皆散る。はずが・・・・・・。

「あの・・・。皆様?」

 香絵が不思議そうな顔をして首を傾げた。

「私は香絵様の護りを。」

「私が香絵様を援護します。皆さんどうぞ前へ。」

「香絵様には私が就きます。方々かたがたは安心して戦ってください。」

 口々に言って、香絵の周りに集まる。道長はくらりと眩暈めまいを覚えた。

「皆の気持ちはとてもありがたいが、香絵には私がつく。皆は存分に力を振るってくれ。」

 むむっ。道長にそういわれては仕方ない。香絵の護りは諦めて、皆が散る。


 すぐにあちこちで戦いの音が聞こえ始めた。

 道長は昨夜のことを思い返す。


 眠ってしまった香絵を自分の天幕へ運んだ後、未だ香絵の話で盛り上がる男達のところへ戻り、道長は頼んだ。

「香絵は剣の腕は立つ。しかし、まだ人を斬った事はない。出来れば私は、香絵の手を賊の血で汚したくない。こんな時に私情を持ち込むのは、上に立つ者にあるまじき行為だと思う。が・・・。」

 道長が全てを言い終わらないうちに、政次が「分かっています。」と言葉を挟む。こんな殺伐とした場に香絵を連れて来なければならなかった道長の事情も心情も理解している。

 基義も、「皆、道長様と同じ気持ちです。御心配なされますな。」と道長の肩を叩き、全員が『そうです。』と肯く。


 皆が香絵の周りを離れようとしなかった時、『やはり香絵を連れて来たのは間違いだったか。』と道長に後悔が生まれた。

 だが、そうではないことはすぐに分かった。前線へ出るのならば、やることはひとつ。

『香絵様を衛る。賊を一人たりとも香絵様の所へは行かせない。』

 その気持ちが全員の心を奮い立たせた。

 道長も香絵も刀を抜き構えているが、一人の敵も現われない。



 刀を構え、集中を切らさないため殊更ことさらに緊張を保っている香絵の耳に、歌が届いた。空耳?ではない。懐かしく心に響く歌声。どっち?どっちから聞こえる?頭を左右に回して、耳の向きを変えて方向を探る。

「香絵?どうした?」

「聞こえませんか?誰かが歌を・・・。」

 耳を済ますが道長には聞こえない。聞こえるのは少し離れた場所での剣戟の音だけだ。

「こっちです。」

 歌に導かれ、香絵が駈け出した。

 道長は後を追う。

 少し走り歌声に近付くと、道長にも聞こえてきた。これまで聞いたことのない調べの、涼やかな歌声。


 香絵が行き着いたのは岩牢。そそり立つ岩壁に穴を開け、幾つもの牢が並んでいる。

 その中の一つに、香絵が走り寄り、柵を掴む。

「千茅!」

 柵の向こうの女が、信じられないという顔で駆け寄る。

「香絵様!」

「千茅。待って今開けます。」

 柵を絡めている鎖に付いた大きな錠を、香絵ががちゃがちゃと揺する。

「香絵。それは誰だ?知り合いか?」

「千茅です。えっと・・・。どうして知っているのかしら・・・?」

「下がれ。」

 後ろにいた道長が香絵の腕を引き、自分の背後へ移動させて訊く。

「何者だ?賊の仲間か?何故香絵を知っている?」

「あなたこそ何者ですか?」

「私は遠賀を治める者。名は道長。」

 何者か聞かれた場合の通常の答えに、もう一つ付け加える。

「香絵の夫だ。」

「え?」

 千茅は香絵に目線を送って確認する。

 香絵が肯く。ホントはそうじゃないけど、なんて、今はこだわっている場合ではなさそうだ。

 千茅は信じられないという顔をして、訝し気に道長を眺め回した。


 遠賀を治める者と名乗ったこの男。遠賀は国の名。それを治める者とは、つまり一国の王ということ。王直々に山賊討伐?にわかには信じがたいが、ここへ来てから得た情報から鑑みれば、そうなのかも知れない。

 国の法も常識も守る気はない山賊でも、うまく仕事をこなすには情報が必要。国や人を知れば、その裏をかくこともできる。夜の街を暗躍する山賊はかなりの情報通と言える。

 賀川と遠賀の関係は、寝物語に聞いて千茅もよく知っている。賀川の頂上に君臨するあのヒヒ爺なら、見目麗しい遠賀の王を引っ張り出して山賊の相手をさせるくらいの嫌がらせはやりそうだ。

 でも、夫?香絵様の?それは考えられない。


「何故そういうことになっているのか、わたしには信じられませんが、まあよろしいでしょう。わたしは香絵様と同じ都紀の者です。都紀で巫子様の護衛に就いていました。香絵様の行方が分からなくなってからずっと、都紀を出て捜していました。」

 道長は都紀からやってきたしゅうと、徹元の話の中に彼女の姿を思い出した。巫子を追って姿を消したままの護衛がいると、徹元は確かに言っていた。女だとは思わなかったが。

「それで山賊に捕まったというわけか。分かった。」

 道長は千茅を牢から解放しようと刀の柄で錠を叩く。が、壊れそうにない。

「ちょっと失礼。」

 千茅が柵の間から手を伸ばして、道長の刀の柄に刺してある小さな刃を取る。それで錠の鍵穴を器用に回すと、錠は外れた。

「外せるなら何故逃げなかった?」

「ちょっと事情がございまして。後程御説明いたしますので、そちらの事情もその時にお聞かせください。」

 まだ信用してはいないという目で、牢から出た千茅が道長を見る。

 そんな二人の険悪なムードなどまったく気にならない様子で、香絵は千茅が外した錠を手にしている。

「器用ねえ。」

 感心している香絵に千茅が笑顔を向ける。

「それくらいの錠なら香絵様でも開きますよ。錠破りはお得意でしょう?」

「そうなの?」

 香絵の態度を見て妙な顔をする千茅。道長が説明する。

「香絵には過去の記憶が失いのだ。」

「なんですって!?」

 香絵を見て、再び道長を振り返る。

『それでこの男は!香絵様の記憶が失いのをいいことに、自分が香絵様の夫だなどと!!』

 道長を思い切り睨みつけた。


 戦いはすぐにけりがついた。遠賀の戦士達には一人の負傷者もなく。

 内紛の傷跡も癒えぬ間の、それも村のほとんどが熟睡している時間を衝かれ、山賊一味が気付いた時には仲間は半分になっていた。

 おまけに遠賀の戦士達の気迫は凄まじく。残り半分が片付くのもそう時間は掛からなかった。

 抵抗した賊は一人残らず斬り捨てられ、内紛に因り牢に繋がれていた者は服従を約束して牢から解放された。やりたい放題の男達に逆らうことも許されず、村から出る手段も持たず、ただ耐えていた女子どもは保護された。

 ここまで速やかに事が片付いたのは、上手く相手の虚をついたためだが、それだけではない。勝利の女神の効果は絶大なるものだった。

 戦士達に残虐非道な山賊も震え上がるような気概を与え、牢に繋がれているとはいえ悪事の限りを尽くしてきた気の荒い山賊達を一瞬のうちに足下にひれ伏させ、傷付くだけ傷付いて心身共に生きる力をなくしている女子どもに元気を授け、彼等に一緒に山を降りることを承知させた。

 どれも、香絵でなければ出来ることではなかった。

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