第51話

 次の日。

 空は快晴。出掛けるにはもってこいの陽気だ。

「まだ早い?まだ早い・・・か。あまり早すぎてもご迷惑よね。」

 言ってるそばから、「ね、まだ早いかしら。ねえ静様、早い?」

 早朝から何度も、香絵が静に訊ねる。食事をして、身仕度を済ませ、後は出掛けるばかり。

「まだ、だめ?ね、静様。まだ早いかしら。」

「そうですね。そろそろよろしいのではないですか?」

「そう?そう?じゃあ、行ってきまーす。」

「では、わたくしも。」

 待ってましたとばかりに、香絵が部屋を出て、その後を栄が追う。

「お気を付けて行ってらっしゃいませ。」

 静は愛し気に微笑んで、二人を見送った。


 道長に出掛ける挨拶をするため、執務の間へ立ち寄る。次室で待機している通信役の幸久に挨拶をして、執務室の扉を半分開け、香絵は顔だけのぞかせた。

「道長様。行ってまいります。」

「ああ。兼良。」

「はい。」

 兼良が羽織を着込み、出掛ける準備を始めた。

「お供いたします。」

「え?いいのに。栄様がいるもの。」

「しかし、栄は馬に乗れませんから。」

「あ。そっか。」

「香絵様は時々どこか抜けていらっしゃる。」

 その時、栄の平手が兼良の後ろ頭へ『べしっ』と飛んだ。香絵の後ろに控えていたはずが、いつの間にか前に出ている。

「兼良様、香絵様に失礼です。」

「痛いなあ。そこがまた可愛らしいと誉めようと思ったんだよ。」

 兼良が頭をさすりながら言うと、

「誉め言葉になっておりません。」

 栄が顎を上げ、つんと横を向く。

「まあまあ。」

 香絵は二人を宥め、「とにかく、行ってまいります。」と道長に笑顔を向ける。

「ああ。気をつけて。」

 道長も笑顔を返した。



 二の門を通り抜ける。近頃では軽口もたたけるようになった門番に、香絵も顔パスだ。

 と、本人は思っているが、顔パスなのは兼良だ。事前に連絡なく、香絵が道長、政次、兼良のいずれかと一緒でない場合は、決して通さず時間を稼いで道長に知らせるように。と“門番の手引き”には書かれている。


 道長は夏の始まりに屋敷の警備を見直した。

 屋敷の人間が奥の間に主人が居ることに慣れてきた頃。流石に王の溺愛する奥方に手を出す者もいないだろうという油断もあったかも知れない。そもそも朱雀御殿は総体、入る者に厳しくとも、出る者には調べが甘かった。

 そのせいで、香絵に屋敷を抜け出され肝を冷やした。

 それが屋敷中の警備を見直すきっかけとなり、おかげで一層強化することができた。


 特に一の門、二の門から出る者の確認に厳しくなった手引書に、いつも男姿をしている香絵の正体を知らされていない門番達は『奥に勤める誰かの子どもだろう。』くらいに思っている。

『道長様にそれほど手を焼かすのだから、そうとうやんちゃ坊主なんだな。』


 そんなこととは知らない香絵が上機嫌で赤の棟の脇を抜け広庭へ出ると、そこに吹雪と華丸が待っていた。

 香絵は軽やかに吹雪に乗り込み、兼良は栄を抱え華丸に乗せる。

「うっ、重っ。」

 ぺしっ。華丸の上からまたも栄の平手が飛ぶ。

「あなたって本当に失礼ね。」

「ってーな。だったら香絵様のように、自分で馬に乗れるようになれよな。じゃないと香絵様のお役になんか立てないぞ。」

 痛い所を衝かれ、栄は黙って横を向く。

 兼良も黙って華丸に乗り込み、前へ進める。



 五の門を通り、堀に架かった朱雀橋を渡ると、外門の向こうの表通りで双子の一人が待っていた。

「えっとー・・・・・・どっち?」

「和馬です。」

 答えを聞くと、香絵は吹雪を凌雅に横付けして鐙に立ち上がり、両手で和馬の顔や胸を撫でたり軽く叩いたりした。

 いきなりの奇行に和馬がたじろぐ。

「なっ何を?」

「得丸様と和馬様はそっくり過ぎてどっちがどっちか全然わからないのだもの。どちらかが魔法使いで、もうひとりは魔法で作った分身なんじゃないかと思って。お馬さんもそっくりだし。」

 そう言って、香絵は凌雅の首筋も撫でてみる。

 華丸の上で、兼良は「ぷっ」と吹き出し、栄は「たしかにそうかも。」と頷いている。

「どちらも実体ですよ。私も得丸も魔法なんて使えません。香絵様に触れられているのを道長様に見られたら命にかかわりますので、ご勘弁ください。」

 和馬は気持ちを立て直すように衣を正して、冷静に戻った瞳で香絵を見る。

「道長様に香絵様のお供を命じられました。ご同行いたします。」


 護衛ならば兼良だけでも充分だろうが、道長は香絵のこととなるとどうも心配が倍増するようだ。たとえ何人供につけても、安心できないらしい。何が起こるか。何を起こすか。

 その点、和馬を付けておけば、何かあったときに得丸が気付く。

 香絵を表へ出す時は、この双子を使うのが一番と、道長は考えている。


「道長様ったら、心配性ね。わたし一人でも大丈夫なのに。」

 外門を出ると、香絵の後ろから和馬が声を掛けた。

「香絵様。政次殿の邸はこちらです。」

 迷いもなく右へ吹雪を導く香絵に、和馬が左を指差す。

「あら、そうでしたっけ?」

 昨日政次の邸までの道順を、道長によく教えてもらったのだが・・・。何度も何度も、地図まで作って。

「道長様は香絵様の、その方向に疎い所を一番心配しておられました。」

「・・・そう。」

 香絵の方向感覚のなさは自他共に認めるところだったので、香絵はそれ以上何も言わないことにした。

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