父娘再会

第44話

 鈴木の町は夏も盛りとなり、いたるところで蝉時雨が賑やかに降り注ぐ。朝と昼の狭間の朱雀御殿に、遠方からの旅の一行が到着した。

 若者3人を従えた初老の男が、旅の疲れも感じさせずに訊ねる。

「朱雀御殿とはこちらかな?」

「そうです。」

 訊ねられた外門の番兵が答えた。

 この国の者なら朱雀御殿を知らないはずはない。朱色の屋根を持つのは朱雀御殿だけと決まっている。しかし、詰襟の上衣に、袴とは違う形の穿きもの。見たところ異国の者の様だ。


 朱雀御殿はぐるりと堀に囲まれていて、その堀をまたぐるりと外塀が囲んでいる。内部に入るには堀に架かる唯一の橋を渡るしかなく、橋を渡るには外塀にあるこの外門を通るしかない。外門は朝から夕刻まで開かれていて、特に問題がなければ誰でも自由に通ることが許されている。


「そうか、そうか。やっと着いたか。さかき幹耶みきやおさむ。ここで良いそうだ。いやあ、遠かったのお。」

 などと言いながら、異国の者達は内へ入って行った。



 橋を渡り、回廊の下をくぐり抜けると、広い表庭の向こうに建物が見えた。表庭を横切って、建物の入り口に立っている警備の者に声を掛ける。

「すまぬが、都紀から徹元てつげんが来たと、道長殿に伝えてもらえるかな?」

「都紀の徹元?」

 訝し気に徹元を眺めていた警備の者がはっと思い当たり、「少々お待ちを。」と言い置いて急いで知らせに走る。


 すぐに接待の者が出てきて、徹元を会見の間へ通した。



 道長もすぐにやって来た。扉を開け、深々と頭を下げる。

「ようこそ遠賀へ、徹元殿。」

 徹元の前まで進む。

「本来ならば私のほうから出向かねばなりませぬのに、遠い所をわざわざお運びいただきまして、有り難うございます。」

「ほう。これはこれは。若いのにしっかりした王様だのう。」

 深々と頭を下げた道長に、徹元はにこにこと和らかい笑顔で感心する。

「なんのなんの。こちらは自由気ままな身。お気になさるな。」

 二人は握手を交わし、両者が会談始めのお約束の挨拶を済ませた。


「先触れを頂ければ、国境までお迎えに参りましたのに。」

 徹元は「いやいや。」と手を振る。

「それには及ばん。出来ればなるべく動かんで欲しい。儂の動きを悟られたくない相手がおっての。遠賀ここへ来ることも息子達と、巫子の婆々にしか言っておらん。供も見てのとおり、この三人だけでな。」

 道長は徹元の言葉の中に感じるものがあって訊ねる。

「それは、香絵に関わる理由からですか?」

「ん?此処でも何かありましたかな?」

 徹元もさすが、察しがいい。

 道長が腰を落ち着けて話を、と思ったその時、扉の向こうに香絵の姿が現われた。


 いつもの男姿ではない。父に会わせるため道長が用意させた、この国の姫の正装姿。

「この話は、また後での。」

「はい。」

 徹元は小声で道長との会話を中断させると、扉へと視線を移す。



 香絵が部屋へ入ってくる。眉を寄せて、ゆっくりと。

「香絵か?」

 徹元が見慣れぬ衣を纏った娘に声を掛けた。

父様とうさま・・・。」

 父の顔を認めると、香絵の瞳から涙があふれ出てきた。

「父様!」

 香絵は徹元に駆け寄り、抱きつき、「わああ。」と泣き出した。


「香絵、元気であったか。良かった、良かった。心配したぞ。どれほど捜したか。いやいや、一段と美しくなって。それはこの国の衣装か?どれ、よく見せておくれ。」

 徹元は香絵を受け止め、抱きしめ、頭を優しく撫でた後、香絵の両肩に手をかけて、元気そうな香絵の姿をしげしげと眺める。

「おお、おお。よく似合っておる。記憶を失くしたと聞いたが、わしが判るのか?」

 香絵が頷く。

「うん。そうかそうか。儂を忘れておらなんだか。嬉しいのう。」

 徹元は、泣きじゃくる香絵の頭を胸に抱え込むようにして、「よしよし。」と撫でる。


 道長は相手が父親だと分かっているのに、抱き合う二人の姿が面白くない。親子の対面に感動しながら、嫉妬していた。


 香絵の頭を撫でながら、徹元は語る。

「道長殿。香絵は月の天使に仕える巫子の役目を継ぐ者として生まれたのだ。生まれた時、背中に翼を持っておっての。巫子を継ぐ者として生まれたなら、身分に関係なく、親元を離れ修業をせねばならん。国王の娘とて例外ではない。儂は身を切る思いで、香絵を巫子の婆々に預けたのだ。

 会いに行くのは自由だったでの、毎日のように様子を見に行った。周りの者には「国王が毎日ぶらぶらして。」と怒られたがの。

 息子は五人いるが、娘は香絵一人だからの、可愛くて仕方がない」


 香絵が落ち着いてきた様なので、道長は手で『どうぞ』と徹元に椅子を勧めた。

「ああ。有り難う。」

 徹元が椅子に座り、その正面に道長も座る。

 香絵が頬を拭きながら、道長と徹元の間に少し退がって用意されている椅子に座った。


「香絵は幼い頃からそりゃあ辛い修行をしてきた。身体を鍛え、心を鍛え、頭を鍛える。全てが平均して優れておらねばならぬ。巫子を継ぐのは容易な事ではないのだ。そしてやっと、巫子の婆々の許可が出た。正式に香絵が巫子を継いだ日、香絵は姿を消した。」

 香絵と道長は不安な思いで徹元の話の行方を見守る。

「我が国で月の天使の巫子とは大切な存在での、重要な役割があるのだ。」

 だから香絵を連れて帰る。と徹元が続けると思った香絵と道長は、絶望に瞳を見詰め合った。


 だが徹元は、そんな二人をちらっと見た後、道長に信じられない質問を投げた。

「ところで、道長殿。もう香絵とは契られましたかの?」

 香絵は耳を疑った。聞き違いかと道長を見たが、道長の狼狽した様子から聞き違いではないと判った。

『やだっ。父様ったら、何を・・・。』

 香絵は顔を赤くして、下を向く。

 いきなりこんな話題を持ち出すとは何と失礼な、と道長は徹元を睨みつけた。

 しかし、そんな事は気にも留めずに徹元は話を続ける。

「言い伝えの中に、巫子が男と触れ合うと相手に死を与えるというのがあるのだが、道長殿は如何かの?」


 道長は徹元をじっと見ている。

 香絵は道長が怒り出すのではないかと気が気ではなかった。

 だが道長は冷静で、思わぬ答えを返した。

「男が女を自分の屋敷へ連れてきて一緒に暮らしているのです。何もないはずがありません。」

 道長の返事に香絵は驚き、道長に向ける目をみはった。恥ずかしくて自分でも頬が赤くなるのが分かり、隠そうと手を当てる。

 徹元は安心したように目を閉じて、「そうですか・・・・・・。」と大きく頷いた。

『儂の意図が分かってもらえたか。なかなかの男だの。』

 記憶は失くとも香絵の人を見る目に間違いはない。そんな親馬鹿なことを、徹元は考えていた。


「背に翼を持って生まれるのは、月の天使の巫子の印。巫子には重たい使命がある。本来ならば無理にでも連れ帰り、務めを果たさせねばならん。」

「父様!でもわたしは、」

「香絵。」

 徹元に自分の気持ちを訴えようとした香絵は、道長に制され黙った。

 それを見て、徹元は少し微笑むと先を続けた。

「しかし、香絵は巫子ではなかったようだ。香絵と触れ合った道長殿が、こうして生きておられる。香絵が巫子ではなかったからであろう。巫子ではないただの娘が、何処へ嫁ごうとも自由。

 たとえそれが遠い異国の地であったとしても、儂は香絵が幸せならばそれでよいのです。道長殿。」

 香絵の幸せを願う、徹元の心があった。そして、それを道長に託す、と。


「分かりました。香絵はこの地で必ず私が幸せにします。私は香絵無くしては生きてゆけぬほど、のめり込んでおりますゆえ。」

「ははは。そうですか。それほどに香絵を想ってくれておりますか。」

 ははは、と笑いながら、父の目には涙が滲んでいた。

 そして香絵も、袖で目頭を押さえた。

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