遠賀と賀川

第35話

 屋敷へ帰ると、すぐ通信役の幸久が知らせに来た。

「政次殿が道長様のお帰りをお待ちです。」

「政次が?わかった。私の部屋で待つと伝えろ。」

 幸久に命じ、香絵に、

「先に奥へ帰ってなさい。終わったら行く。」

 そう言って、自室へ向かった。



 政次はすぐにやって来た。

「何かあったか?」

「はい。道長様がお出掛けになった後、賀川ますかわからの使者が裕篤ひろあつ様の手紙を持って参りました。」

 「裕篤」と聞いて、道長は顔をしかめた。

「近いうちに、美平様と共に遠賀を訪ねたいので、都合の良い日を知らせて欲しいということです。詳しくは手紙に書いてあると。」

 政次から手紙を受け取ると、手荒に開封し、読んだ。

「ふん。目的は香絵か。父上らしいな。」

 手紙をばさっと畳に放ると、

「『噂では大層美しい奥方を迎えたそうで、おめでとう。ぜひお目にかかってご挨拶をしたい。』のだそうだ。」

「いかがいたしましょう。」

「うん。・・・・・・・・・。」

 考えてみるが、『どうするか・・・・・・。』

 名案は浮かばない。

「少し考える。明日決めよう。今夜はもう退がってよい。」

「はっ。では失礼いたします。」


 政次が出てゆくと、道長は手紙を拾ってくしゃくしゃっと丸め、屑入れに投げ捨てた。

『まったく厄介だな。とにかく・・・、香絵の顔を見に行こう。』

 嫌な事のあった時はこれに限る。と、道長は香絵の部屋へと急いだ。



 道長は綿の入った大きな背もたれに身を沈め、両手を頭の下に組んで天井を向いている。視線は一点から動かない。何かを見ているわけではない。視線の向かう先など意に介さないほど考えにふけっていた。

 さっきの手紙について。

 両足の間にいる香絵は、道長に体を預け物語を読んでいる。

 ふわっと軽く身動ぎした。身体だけでなく心にまで温か味を伝える心地良い重さに和む。


 道長は香絵ならどう考えるのか訊いてみたくなった。

「なあ香絵。私の父がそなたに会いたいそうだ。」

 香絵は読んでいた物語を、開いたまま胸の上に伏せた。

「お父上様が?」

「うん。だが私は香絵を父に会わせたくない。」


 あの男のことだ、会えばきっと香絵を自分のものにしたくなるだろう。曖昧な香絵の身分を持ち出して、道長には相応しくない、賀川に引き取るなどと言いだすに決まっている。

 これまでも再三、結婚相手にするならどうだこうだと口出ししてきた。香絵を取り上げて、自分に都合の良い相手を押し付けてくるに違いない。


「どういうお人ですか?」

「隣国、賀川の王。冷血非道な男。無類の女好き。女を手に入れるためなら手段を選ばない。」

 香絵は物語を取り上げ、一言「わたしも会いたくありません。」と言うと、続きを読み始めた。

「そうか。そうだな。よし、会わせないことにしよう。何か理由をつけて、訪問を断ってしまおう。」

 道長の顔は嬉しそうだった。

「それで納得するようなお人ですか?」

 香絵は物語から目を離さず問う。

「・・・・・・。いや、女にかけてはかなりしつこい。・・・それで諦めるはずもない、か・・・・・・。」


 香絵は物語を再び胸に伏せる。

「じゃあお招きしたら?ただし、わたしは急な病にかかります。流行り病で、うつると生死にかかわる難病です。」

 道長の顔が見えるよう、頭を脇にずらして見上げる。

「どうですか?」

「そうか。一度招いておけば当分は来ないだろうし、急病なら会えなくても仕方ない。流行り病ならば父も会いたいとは言わないだろうし。これはいい。」

 よしよし、と頭を撫でる道長に、香絵はにっこり笑いかけると、再度物語を取り上げた。

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