第34話

 書庫を出ると道長はその足で馬舎へ行き、安隆を呼んだ。

「吹雪は戻ったか?」

「いえ。まだ。」

「遅いな。」

 道長は香絵が今日出掛けた事を知っている。


 政次と兼良やこの安隆に指示して、わざとその隙を与えたのは道長だ。でなければ彼等は、先日の教訓があるのに、香絵を執務室に一人だけ残したりしないし、吹雪が動いた時に止めもせず行かせたりしない。

 道長が馬舎に来る途中で政次と兼良に今日の業務報告を受けた時、やはり香絵が一人で屋敷を出てしまったと告げると、二人は今後何があろうと決して香絵から目を離さないことを誓い合っていた。


 昼に書庫へ向かう時、香絵が何か言いかけたのは気付いていた。だが気付かないふりをした。できれば今日もこのまま、屋敷内でおとなしく安全に過ごしてほしい。そう思ったから。


 香絵が替え玉まで仕掛けて屋敷を抜け出したあの事件。それまでも十分に護りは固めていたつもりだった。屋敷も、奥の間も、香絵も。

 なのに、あれだ。

『警備の見直しが必要だ。』

 入場者には目を光らせている。不審者であれば奥に辿り着く前に誰かが気付いて防ぐはずだと油断していた。確かに曲者が侵入する隙は無いはずだ。だが入って行く者には気を配っても、出て行く者はさして気に留めない。そんなものかも知れない。今回のようなことがあるなら、奥へ出入りする者は全て、たとえ香絵本人であろうと、漏らさず確認しようと道長は思った。

『いや、それよりも、香絵に直接監視を付けたほうが確実か?』

 得丸か和馬に監視させれば確実だろう。しかし彼等の仕事はこの国にとって重要であり、誰かが代われる人材ではない。四六時中香絵に張り付けておくことはできない。道長としてはそうしたい。したいが、できない。

 道長は苦悩する。


 とにかく、今できる対策は行った。

 だからと言って、香絵がおとなしく、部屋で道長の帰りを待っていられる性格でないことは、これまで起こった出来事でよーく解かっている。どんなに警備を強化しようと、根源を絶たねば二度と無いとはいえない。

 そこで安隆には「吹雪が動いたら和馬へ知らせるように。」、そして和馬には「香絵が表へ出る様なら跡をつけろ。」と言っておいた。そして今日、どちらも忠実に任務を果たしている。


「迎えに行ってみるか。得丸を呼べ。」

 馬舎付きの通信役が走り、すぐに得丸を連れ、戻って来た。平素は居所のつかめない得丸も、さすがに今日は自室でおとなしく休んでいたようだ。

「休んでいるところを悪いな。」

「いえ、和馬は今鏡山の麓付近にいます。ご案内いたします。」

「ああ、頼む。」

 いいや、違った。自室に居たからすぐに呼んでこられたのではない。お呼びがかかるとわかったから自室に居たのだ。ずっと寝ていたと思ったが、違うのか?幾分朝より疲れは抜けているようだから、休養はとっていたのだろう。なのになぜか現状を解かっている。それが得丸の凄い所だ。和馬からの情報なのか?双子の能力に舌を巻く。

 馬番がすでに準備してあった風丸と、得丸の馬琢磨たくまに、それぞれが乗り込む。



 鏡山の麓に着いた時、ちょうど陽が西の山に隠れていった。

 少し林に踏み入った所で、和馬と合流した。

「得丸、ご苦労だった。帰って休んでいいぞ。」

「はっ。」

 道長は風丸を、和馬を背に乗せた凌雅りょうがの横へと静かに寄せる。近くにいるはずの香絵に気付かれないように。


 それにしてもこんな所で、香絵は一体何をしているのか。

「どうした?こんな所で。」

 小声で訊く。

「はい。香絵様は猟師の家へ行かれました。しばし御歓談されました後、猟師の家を出られたのですが、帰りに道をはずされまして。どうも迷っていらっしゃるようです。」

 和馬が手で示す、少し離れた所に、不安気に辺りを見回す香絵の姿が見える。

「もう迷われて随分になります。道はすぐそこなのですが・・・。なんだかお可哀想で。」

「よい。懲らしめだ。少し放っておけ。」

 背の高い雑草に隠れ、香絵の様子を眺める。

 香絵はうろうろと、帰り道を一所懸命探している。吹雪に「ごめんね。あっち行ってみようか。」とか「やっぱりこっちかな。」とか話しかけ、少しでも不安な気持ちを紛らそうとしているようだ。

 道長は初めて出逢った時のことを思い出した。あの時も辺りを見回してはうろうろとしていた。どうやら香絵は方向にうといらしい。

 ちょっと行けば出られる道には、いつまでも辿り着きそうにない。

 和馬は香絵のこんな様子をどれほどの時間見守っていたのか。確かにこれは見るに忍びない。道長も香絵が可哀想になってきた。

『そろそろ許してやるか。少しは反省してくれるといいのだが・・・・・・。』

 そう考えながら、わざと草むらをガサガサ鳴らし、前へ出る。

 振り向きながら、刀に手を掛け、身構える香絵。強気の瞳も初めて会ったあの時と同じ。

 だが、この後は違った。


 香絵は道長の姿を認めると、安心から顔を歪ませる。潤んだ瞳で吹雪を走らせ、勢いよく道長の胸に飛び込んだ。



 六日むいか月の下を、朱雀御殿へ向かっている。辺りには大きな邸が並び、もうすぐ朱い屋根が見える頃だ。

 ここまでずっと香絵は道長の愛馬風丸に乗せられたままで、手綱を握る道長の両腕の間でお説教を聞かされていた。


 始めこそ怒り口調の道長だったが、今ではもう懇願に近い。

「頼むから、ほんと、一人で出歩いたりしないでくれ。残念ながら我が国は、治安が良いとはいえない。盗賊を生業なりわいとするやからもいれば、国境辺りの山には、旅人を襲う山賊もいる。もし一人でそんな者に出遭ったらどうするのだ。なるべく私も時間を作って、そなたの外出に付き合うようにするから。」

 事実、遠賀の治安は良いとはいえない。はっきりいって悪い。

 身代金目的の誘拐は日常茶飯。一人歩きの腕力のなさそうな役人など、またとない獲物。香絵の姿は、正体を知らない者にはそう見えるはず。まして香絵は女。誘拐され、それが露見すれば、その身の解放は絶望的。

 賊の男の慰み者となるか、他国の遊郭に売られるか。どちらにしても、心も体も傷付けられ、もてあそばれ、香絵は二度と道長の元へ戻ってはこられない。

 そんなこと、考えるだけでも怖ろしい。

 道長は片腕を手綱から香絵の腹へと移し、香絵の温もりを確かめると、心から願った。

「一人で行かないでくれ。頼むから。」

 香絵は林で迷って心細かったこともあって、殊勝に頷いていた。


「それにしても、何故あんな所でうろうろと。吹雪に屋敷へ戻るように言えば、すぐに帰って来られたのに。」

 馬には帰巣本能がある。吹雪ほどの馬ならば、香絵の一言で迷わず最短距離を帰ったに違いない。

「・・・ああ。そっか。」

 今初めて気が付いたという顔の香絵に、道長は「香絵も抜けたところがあるのだな。」と笑った。


 二人のやり取りは後ろに従う和馬の耳にも当然入ってくる。

『いやいや、後先考えず勝手に屋敷を抜け出したり、凝りもせず帰り道に迷ったり、抜けたところがある、なんてもんじゃないと思いますよ、道長様。』

 という心の声は、そっと和馬の心の中にしまわれた。

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