都紀の伝説

第31話

 とんとんとん。

 朝、執務室の扉を叩く音がして、通信役の幸久が入ってきた。

「道長様、得丸殿が帰って参りました。」

 得丸が遠賀を発ってからひと月半が過ぎていた。


「帰ったか。」

 待ち兼ねた得丸の帰報に、道長は持っていた筆を投げるようにして椅子から立ち、部屋を出た。同室で仕事中の三人は同行を求められなかったので、それぞれ仕事の手を休めることなく、道長を見送った。

 速足で立ち去る道長の背中に「得丸殿は会議の間です。」と幸久が告げる。道長は歩を緩めることなく『分かった。』と片手を上げた。



 会議の間の一室へ入ると、発つ日に道長がしたように、得丸が椅子を二つ用意していた。その横で片膝を衝き、頭を垂れて道長を待つ。

 道長は椅子の一つに座りながら、得丸に声を掛けた。

「珍しく疲れた顔をしているな。」

「は。かなり遠方まで行って参りましたので。」

 その遠方から、寝る間も惜しんで戻ったのだろう。目の下や頬に疲労が色濃く表われている。

「うん聞こう。座れ。」

 道長に促され、得丸は向かい合って座る。得丸の疲れを察しても、道長は先ずは休めと言わない。得丸も報告の前に休ませて欲しいとは思わない。

 道長に伝える為に苦労して集めてきた情報だ。道長に伝えるまで、仕事は終わらない。休んでいる間、何も起こらないとは限らない。とにかく、集めた情報を道長に渡してしまうことが、ゆっくり休むための第一条件なのだ。

 得丸のそんな責任感の強さを十分理解しているから、道長は何をさておいても報告を受け取ることを優先する。



「初めに、香絵様の母国ですが、ここから北へ七国越しの『都紀』という国です。香絵様のお父上はその国の王で、名は徹元。つまり香絵様は都紀の王女です。」

『王女・・・。』

 そう聞いて道長はいくらか納得した。これまでの言動からも、国を広く細かく展望すべき立場であったのだろうと想像できたから。

 しかし、全てに納得がいくかと言えば、そうでもない。いくらかは腑に落ちない。

「しかし、王女としての暮らしはしておられません。『巫子の役目を継ぐ運命』を持って誕生されたそうで、幼い頃から親元を離れておられました。巫子と呼ばれる老女と慎ましく暮らしていたようです。」

 そこまで聞いてようやく、なるほど、と頷けた。

 道長は異国を多くは知らないが、国を統べる立場の者であれば、同じような立場の人種はなんとなくわかる。

 高貴なものを感じさせるのに、素朴だったり、上位者の心得を語る癖に、天真爛漫。香絵の醸す雰囲気に何かちぐはぐな人となりを感じていた。それは、王女であって王女として暮らしてない、生まれと育ちの格差なのかも知れない。


「行方が分からなくなったのは、道長様と出逢う十六日前。都紀から遠賀まで戻るのに、私が馬で十二日掛かりました。急いで馬を走らせたとして、女性ならばちょうどそのくらい掛かるかと思われます。行方知れずとなられるまでは、記憶を失くすような出来事はなかったようです。ただ、気になる書物を見付けましたので、写して参りました。」

 得丸はそこまで一気に話すと、懐から布に包んだ本を取り出した。布を開き、道長に差し出す。

「『巫子』について書かれた物ですが、その中に、『記憶の封印』という言葉が出てくる項があります。」

 道長は本を受け取ると、ぱらぱらと中をのぞいて見た。小さな文字がびっしり詰まっていて、かなりのページ数だ。後でじっくり読むことにして、元通り布に包み懐へしまった。


「都紀という国をもっと知りたいな。」

「はい。まずは何から?」

「そうだな。まず・・・。」

 道長が問うて、得丸が答える。問答は昼まで掛かり、得丸は道長の質問のすべてに、正確かつ詳細な回答を示した。都紀にいたのはほんの五日くらい。なのに得丸の情報量は目を見張るものがあった。国政のこと、国王とその家族のこと、香絵の生い立ち、近国との国交問題。もしかしたら国民一人一人の悩み事まで知っているのではないだろうか。


「御苦労であった。ゆっくり休んでおけ。回復したら、もう一度行ってもらう。」

「は。では、失礼します。」

 得丸は椅子から立ち上がり、礼をして退出。

 道長も、懐の本に手を当てぽんぽんと叩いた後、部屋を出た。


 道長の心境は複雑だった。香絵の昔を知る。現在いまの香絵さえ知らない香絵の過去を、道長は探ろうとしている。それが良いのか、悪いのか。

 未来さきが読めずに不安が広がる。

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