休日

第28話

 和馬は、発ってから七日で戻ってきた。

 得丸は香絵の足取りを遡ってはいるが、母国についてはまだ何も掴んでいない、と言う報告だった。その後、得丸からは何の知らせもない。


 それから何事も無く十日が過ぎたこの日、道長は香絵に休みを与えた。


 道長は立場上、まったくの休日は取れない。朱雀御殿にいる限り、たとえ自室にいても、公務はついて回る。息抜きの野駆けも、めったにない私物の買い物も、近隣の視察にとって換わる。

 遠方への視察や外交などで道長が座を外す場合でも国政に支障を来たすことのないよう、臣下への仕事の配分などはしてはある。もしも、そう例えば道長が病床に就いて長期の公務離脱を余儀なくされたとしても、国王が不在で何の支障も無くとはいかないかも知れないが、彼等ならば何とか国を治めていくだろう。幸い過去にそんな事態は一度も起こったことはないが。


 そんなわけで、道長は王座に就いてから今日まで、まるっきりの休日というものを取ったことはない。しかし、臣下の者達には五日に一度の休日を交替で取らせている。

 香絵は道長が休まないのなら自分もいらないと言ったが、身体を休めるのも仕事のうちだと言うと、すんなり引いた。ここで素直すぎると気付けばよかった。

 そう、この日も何事もなく過ぎるはずだった・・・・・・。



 道長は馬に乗る用事のなかった日は、夕方、執務の間からの帰りに馬舎へ寄ることにしている。今日もいつものように、馬達のご機嫌伺いにやって来た。

 ゆっくり馬舎を一周しながら、一頭一頭に目を配る。

 そして馬場の方へ。そこには何頭かの馬が思い思いに過ごしている。馬場の半分は高めの柵で囲まれているが、道長の風丸、政次の望、兼良の華丸は、柵の外にいる。馬は賢い。乗り手を決めた馬は、柵に入れたり手綱を結ばなくても、逃げたりしない。いざという時この方が、馬から乗り手の元へ駆けて来られる。

 ところが、吹雪がいない。

「安隆。」

 道長が声を掛けると、後に従っていた安隆が答える。

「はっ。何か。」

「吹雪はどうした?」

「はい。昼を過ぎた頃、静かに出て行きました。香絵様がお呼びになったのだと思いますが?」

 それを聞くと、道長は顔色を変え、屋敷奥へ入っていった。



 急ぎ足で奥の間へ渡り、香絵の部屋に声を掛ける。

「香絵!いるか?」

 次室の襖が開き、静が両手を衝いて、道長を招き入れる。

「香絵様は読み物をされるとおっしゃって、お昼過ぎからずっと、居室にいらっしゃいます。」

「そうか。いるか。」『よかった・・・。』

 静の返答に、道長はほっと胸を撫で下ろした。

 静が居室に繋がる襖を少し開くと、襖の隙間から小さな文机に向かう後ろ姿が見える。

「物語に夢中になられている様なので、お邪魔をしないようにと・・・。」

 その後ろ姿を見た道長は、物音を立てないようにそっと開けた静の心遣いを無にして、いきなり襖を大きく開け放った。ずかずかと進むと、背を向け本の物語を辿るその人の肩を掴む。

「お前は誰だ!?」

 掴んだ肩を引き、こちらを向かせると、道長を見上げるその人の顔を見て、静が驚きの声を上げた。

えい!」

 道長は栄の衣の胸ぐらを掴み、引っ張り上げる。

「香絵はどうした?香絵は何処だ?!」

 栄の足は畳を離れ、息が詰まっている。見かねた静が止めに入った。

「道長様、お静まりを。それでは答えられません。」

 道長が投げるように突き放すと、栄はへたへたと畳に座り込んだ。苦しそうに二度咳をすると、喘ぎながら、

「も、申し訳、ございません。夕刻までの影を、香絵様に頼まれました。」

「何故だ!?何処へいった?」

「存じません。ただここに座っていて欲しいと・・・。うぅっ・・・。」

 激昂し殺意をも滲ませる道長の視線に、顔を上げることも恐ろしく、栄は畳に伏してすすり泣き始める。

「くっ。」

 道長は唇を噛み、その場にどかっと腰を下ろした。膝に肘をついた左手を顎に当て、右手の指は忙しなく右膝を叩く。


『香絵がいない。自分から屋敷を出ていった。私には一言も告げず。どういうことだ?!そとで襲われたらどうするのだ。香絵は何者かに狙われている。表で見付かって、殺されたら・・・。』

 考えたくないと頭を振る。

『それとも記憶が戻ったのだろうか。自分の国へ帰り、このまま戻ってこない・・・?』

 道長は後悔した。馬など与えるのではなかったと。


「・・・夕刻までと言ったのか?」

「は?」

 ぼそりと呟くように問うた声が聞こえ難く、栄が聞き返した。道長は苛立ち、大声を上げる。

「夕刻までと、香絵はそう言ったのだな?!」

 栄はびくっと体を強張らせ、「はいっっ。」と答えると、ひれ伏し声を上げ泣き出した。


『夕刻までと期限を切ったのなら、帰ってくるつもりなのだ。一人で行ってしまったわけではない。』

「そうだ。私を置いて、行ってしまったのではない。」

 道長は必死に自分の心を落ち着かせようとした。

『帰ってくる。永遠の別れではない。帰ってくのだ。香絵はきっと・・・。』


 だが栄の泣く声が苛立ちを増させ、道長は舌を打つ。

「ちっ。どうして影などする気になった。見付かればどうなるか考えなかったのか?」

 落ち着かない心を落ち着けるため、無理に静かな声で訊く。

 道長の凍えるような冷たい視線に怯え、泣きじゃくりながら栄は答えた。

「見付かるとは、思いませんでした。っく。わたくし、、は朱雀御殿ここに来て、何度も香絵様に間違われる、ほど、でしたから。っっく。後ろ姿を見ても、っく、誰も、気付くことはないと、思いました。ひっく。うっっく。」

「ふんっ。浅はかな。私が香絵とお前を見間違えると思ったか。」

 道長が責めるように冷たく言い放つ。

 栄は堪らず道長の方へ身を乗り出し、心の中にあるものをぶつけた。

「道長様に、近付きたかったのです。香絵様が夢中になって読み物をしていれば、お邪魔出来るのは道長様だけ。もし道長様に見付かっても、香絵様に似たわたくしがお誘いすれば、もしかしたらと・・・。」

「抱いて欲しかったと言うのか。それでこんな事をしたと?」

 栄の言葉を最後まで聞かず嘲るように言うと、道長は怒りに立ち上がった。

「香絵に代われると思った?私が誘いに乗るかも知れない?」

 恐ろしい顔でにじり寄る道長に、栄は後退さる。

「お前のどこが香絵に勝るというのだ。見せてみよ!」

 我慢も限界と声を荒げ、道長は栄に掴みかかり乱暴に帯を解いた。

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