第27話

 香絵は馬舎へ行くと、一頭一頭馬を見ていった。どの馬もこれ以上はないといえるほど、きちんと手入れされている。

「良い馬ばかりですね。」

 香絵について歩いていた馬番纏め役の安隆が、馬達を誉められて目尻を下げる。仕事一筋で、30歳を越えても未だ独身の安隆には馬が自分の子どものようなものだ。

「有り難うございます。馬は何時いつでも出せるようにと、道長様のお言い付けです。道長様は必ず毎日、様子を見にいらっしゃいます。」

「そう。大事にしているのね。」

 香絵は順番に馬を見詰め、肌を触っていく。


 ふと、一頭の馬の前で足を止めた。

「綺麗・・・。」

 真っ白な馬。

 それだけで十分目を引く。しかし、香絵の足を止めさせたのはそれだけが理由ではない。

 バランスよく整った美しい肢体。強い意思を秘めて輝く黒い瞳。凛として立つ姿からは気品の高ささえ感じ取れる。


「はい。自慢の馬です。しかし、少し我儘で気紛れなところがありまして、香絵様の騎乗馬には不向きかと思われます。」

 香絵は白馬を見詰め、手を伸ばした。が、ふいっと避けられてしまった。

「そう・・・。」

 残念そうに手を引き、その馬に心を残したまま、次の馬に移ろうとした。

 すると、くいっ、と袖を引っ張られた。白馬が袖をくわえている。

 バランスを崩した香絵は転びそうになり、左手を柵に掛けた。体重が腕に掛かり、づきん、と傷が痛む。

「ん!」

「香絵様!大丈夫で・・・。」

 慌てて支えようとした政次の手を香絵は跳ね除け、尻餅をついた。

「あ、ごめんなさい。でも道長様に斬られたくはないでしょ?」

 そう政次に笑いかけ、「いたた」と左手でお尻を、右手で左腕を擦った。


 道長が馬舎へ来た時、ちょうどその場面に出くわした。

「助けの手を撥ね退けられるのも、困ったものだな。そとに出す以上、触れるなというのは無理な話か・・・。」

 大げさに溜め息を吐いてみせる。

「今の様な非常時には男に触れる事も許す。だから、何よりも自分の身の安全を考えよ。」

 言いながら香絵の脇に手を回し、立たせた。

 白馬に向かって「少し悪戯が過ぎるぞ。」と首筋に手を伸ばす。が、やはりそっぽを向かれた。宙に浮いてしまった手で、白馬の鼻先を指差す。

「相変わらず気紛れな奴だな。この国で私に知らんぷり出来るのはお前くらいだ。」


 ぱんぱんと衣を叩いて附いた汚れを落としている香絵に向き、道長は「良い馬はいたか?」と訊ねた。

 道長に訊かれて、香絵は馬達に視線を廻らせる。

「それが、どれも良い馬で、決められなくって。」

 そう言った香絵の袖を、白馬がまた引っ張った。今度は力を加減している。そして、そうぅっと、鼻で香絵の左腕をさすった。まるでそこに傷があることを知っている様に。

「いい子ね。大丈夫よ。」

 と香絵が手を伸ばせば、静かに鼻を寄せ、今度はおとなしく撫でられ目を細める。

「この馬に乗ってみてもいい?」

 道長が『いいよ。』と首を縦に振ると、二人がぱあぁと嬉しそうな顔をした。乗馬のお許しをもらった香絵と、白馬の出番を喜ぶ安隆だ。


 安隆は自慢の白馬を柵から出すと、馬場まで引いて行く。

 そこで鞍を載せようとした時、急に白馬は走り出した。踊るように跳躍を繰り返し、動くことを楽しんでいる。

 その美しさに、香絵は惚れ惚れと見惚れてしまった。

「何て綺麗なの。」

 隣で「ほほぅ。」と感嘆している道長が言う。

「名を付けてやれ。」

「わたしが?」

 道長は「ああ。」と肯く。

「乗り手はまず馬に名を与える。その名が馬と人の心を繋ぐ。」

 香絵は走る白馬を見詰めた。

 雪の様に白い肌が、景色に流れ混む。

 冬でも比較的暖かいこの国に雪は降らない。遠賀ここではない景色の記憶が、ほんの刹那、脳裏に浮かんだ。

 風に舞うたくさんの雪。目の前の樹さえ視界から消してしまうような、真っ白い・・・、

「吹雪・・・。」

 一度呟き、次に香絵は白馬に向かって叫んだ。

「吹雪!」

 白馬はその声にいなないて応え、一直線に香絵の元へ帰ってくる。側で速度を落とし、左へ向きを変え、ゆっくり走る。

 香絵を誘う。

 香絵は駆け出し、吹雪に追い付く。首に手を掛けると背に飛び乗った。

「「「「ほおーっ。」」」」

 見ている者達から賛美の声が洩れる。


 香絵は暫らく吹雪と戯れ、男達はそれに魅入っていた。

 たしか先刻道長は、「一番おとなしい馬を選んでやる」と言ったような気がするが、結局“香絵様の騎乗馬”の栄誉に輝いたのは、馬舎の中でも一、二を争う気性の荒い馬だった。

 道長は手取り足取りの乗馬指導を内心期待していたのだが、その夢も儚く散った。今見ているのは、鞍も着けない裸馬を華麗に乗りこなす香絵。指導など必要なはずがない。

『香絵といると先が読めない。私の思惑などことごとく外されてゆく。』

 がっかりしながらも、まるで子どもの頃にした肝試しのような、見えない未来さきへの不安と期待に、わくわくと胸が弾んでくるのを道長は止めることが出来なかった。

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