第24話

 五人は馬を持たない猟師の案内で、歩いて山道を下った。

 手綱を引いているわけでもないのに、三頭の馬は後ろをついて来る。


 例の泉からもう少し下った辺りに、猟師の家はあった。小さくてかなり古いが、手入れが行き届いていて、清潔な感じがする。

 のちに猟師の娘が「親子三人で身を寄せ合って暮らしていくにはちょうどいい広さなんです。」と香絵に言った。家族の温もりを感じて暮らすのには、あまり広すぎる家よりもこれくらいがちょうどいいのかも知れない。


 家に入る前、政次は猟師に耳打ちした。

「道長様の身分と、それに、ご子息との関係も、今は家の者には言わぬように。感情が先走り、お前の二の舞ということもある。」

「はい。」

 あんな恐ろしい事を妻や娘にさせるわけにはいかない。思い出しただけで身震いする。政次の言うとおり、今は言わないほうがいい。猟師もそう思った。



 猟師は一息吐いてから玄関の戸を開けた。

 中には小さな土間があって、すぐ六畳ほどの部屋がある。正面の障子が半分開いていて、その向こうにもう一つ部屋があるのが見える。

 猟師が声を掛ける前に障子が開き、女が出てきた。

せい、お客様だ。岳彦のお知り合いだと。線香を上げてくださるそうだ。」

「それは、それは。」

 女はこれまでまったく縁の無かった、身分の高そうな人々に驚いて、畏まり、頭を下げた。

「申し遅れましたが、俺は岳蔵たけぞうといいます。これは俺の妻で、せいです。娘のたつはこちらで。」

 岳蔵が奥の部屋へ案内する。


 香絵と道長だけ草履を脱いで上がり、政次は土間で待った。兼良は顔を知られているので、屋外の、家人からは見えない場所で待機している。



 病床のある部屋は心地よい日差しが入り、こまめに換気を行っているのか澱んだ感じを受けない。

 香絵と道長が岳蔵に続いて入って行くと、布団に寝ていた辰が起き上がろうとしている。幼くとも客に対する礼儀を心得ているようだ。その肩を香絵は手で押し止めた。

「そのまま寝ていていいのよ。」

 力なく頷いて体を横たえる辰は、香絵より十は若いだろう。痩せて顔色も悪く、苦しそうに息をしている。

 香絵は不安を滲ませた顔で道長を振り返った。

 道長は香絵を退かせ、辰の横に座りながら、香絵に訊いてみる。

「そなた、始めから私に診せるつもりでここまで来たのか?」

「静様から道長様は医学の心得があると聞きましたから。今朝のお薬もとてもよく効きましたし。」

「なるほど。」

『あの状況でよくここまで考え付くものだ。』

 香絵の状況判断と対処の速さに、今日何度目かの感心をしながら、ゆったりとした袖が邪魔にならないように肩までたくし上げ纏める。

 家に入る前に外の手水で手は洗ったが、懐から手拭いを取り出しもう一度手を拭くと、診察を始めた。


「失礼。」

 道長は辰の衣の胸を開き、耳を当てたり、指で叩いたりした。口の中を見て、目を覗き込み、お腹を押す。

 心配そうに後ろで覗いている勢に、診察を続けながら道長は訊いた。

「食欲はあるか?」

「いえ、あまり。」

「吐いたり、下したりは?」

「いいえ。そんなことはありません。」

「ならば大丈夫だろう。温かくして静かに休ませ、軟らかく消化の良い物を食べさせなさい。水を充分に飲ませ、汗を掻いたらすぐに拭き、衣を替えなさい。後で薬を届けさせる。日に三度、必ず飲ませるように。」

「はい。」

 深々と頭を下げる勢の前を通り、道長は手を洗いに表へ行った。


 そんな道長を不安そうに眺める勢に、香絵が声を掛ける。

「心配しないでください。道長様はちゃんと医学を学んでいらっしゃいます。お医者様より詳しいんですって。」

「はい。有難うございます。」

 香絵に心から感謝の一礼をすると、勢はお茶の仕度に土間へ下りた。

 貧しい暮らしで他には何も無いが、お茶なら先日兼良から届けられた物がある。せめてそのお茶くらいは飲んでいってもらおうと思ったのだ。



 その後、道長と香絵は岳彦に線香を上げ、お茶を頂き、岳蔵の家を出た。


 岳蔵は香絵の姿を見送りながら、

『天使様だ。王様も誰も知らねぇみてぇだが、間違いねぇ。天使様が降りていらっしゃったんだ。』

 そう信じて疑わなかった。

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