第23話

 兼良は男の手当てを終え、男の横に立ちあがった。不審な行動をすればすぐに刀を抜けるよう身構え、男を視下ろす。

 道長と政次もこちらへ歩いてきた。


 薄衣を男の手当てのために渡してしまい、香絵の左腕が剥き出しになっているのに気付いた道長が、自分の羽織を香絵の肩に掛ける。

「寒くないか?」

「はい。ありがとうございます。」

 そんな優し気な道長から、男は目を逸らす。


「あなたは猟師さんですね。この近くの人ですか?」

 肩に布を巻いた男に、香絵が問いかける。とても尋問しているとは思えない、そう、まるで『お友達になりましょう。』とでも言っているような、好意的な声で。

 香絵のその言葉で、兼良の中で引っ掛かっていたものが解けた。

「そうか。お前は・・・。」

 男から目を放さず、兼良は道長に報告する。

「道長様。この男はこの鏡山の猟師です。先日道長様がお手討ちにされた子どもの父親です。」

 男が道長を睨み付けた。

 香絵の心にあの時の罪悪感が蘇る。


「優しい息子だった。」

 猟師が絞り出すような声を発した。

「あの日も熱を出した妹のため、夜も遅いというのに湯を汲みに行ったんだ。『汗をかいてかわいそうだ、体を拭いてやろう』と言って。それがあんな姿で帰ってくるとは・・・。」

 気持ちが高ぶり、言葉が詰まる。

「そりゃあ悲しかったが、無礼打ちなら仕方ねえ。猟師の息子だ。礼儀も作法も知らねえ。お偉い人に出会っちまったのが、不運だったんだ。そう思って諦めた。それが今日、そちらの供の方をお見かけして、怒りが込み上げてきて、我慢できなくなった。」

 そのときの怒りが蘇ったのか、膝の上に握り締めた拳がぶるぶると震える。

 兼良は刀の柄を持つ腕を緊張させる。

「夢中でここまで追ってきて、姿を見たら、撃ってた・・・。」


 猟師は突然がばっと地に頭を擦り付ける。

「申し訳ねえ。本当に・・・。獣を仕留めるはずの銃で、人様を傷つけるなんて!」

「いいえ。」

 香絵の声が澄み渡る空気の中で静かに響いた。

「これは天罰です。あれは・・・わたしのせいだから・・・。」

 伏せた猟師の耳に届いた香絵の声は、泣いていた。

 猟師がそっと顔を上げると、香絵の目から涙が次々と流れ、頬を伝って落ちていた。

 不思議な人だ。眩しいほどに美しい・・・。

『天使様のようだ。』


 天使様を傷つけた。

 自分の犯してしまった罪の恐ろしさに、猟師の身体はがたがたと震えた。

「わたしに傷をつけたのは、あなたではありません。」

 男の気持ちを見透かしたような、誰一人想像もしなかった言葉に、皆が驚き、香絵を見た。

「言ったでしょう?これは天罰です。あなたの息子さんを死なせてしまったのは、わたしだから。・・・ごめんなさい。」

 香絵は猟師に深々と頭を下げた。瞳からは涙が止まることなく流れ続ける。

「何とお詫びしても足りません。この場であなたに殺されても、償いきれません。息子さんは戻ってきませんもの・・・。」

 猟師は目を見開いてふるふると頭を振る。あの夜の状況はよく知らない。でも目の前にいるのは天使様のような人だ。後光のような眩い光に包まれているこの人が、息子を死なせたなんて信じられない。息子の死んだことへの罪が、尊い温もりを与えたもうこの人にあるとはとても思えない。きっとどうしようもないことだったのだ。そう、運命というものだ。そういうめぐり合わせだったのだ。

「とんでもねえ。お偉い人に無礼をしたら、斬られるのは仕方ねえ。それを仕返ししようなんて。それも国王様に。何と恐ろしいことを・・・。なのにあなた様にそんなふうに言ってもらって。息子だってこんなに綺麗なお人に、そんなに泣いてもらって。もったいねえ。」


 猟師は少し沈黙して、思い切った様に香絵の方へ身を乗り出した。『天使様のようなこのお方なら・・・。』

「お願いがあります。いえ、命乞いではねえです。俺はここで斬られてもいい。大変な事をしちまったんだから。だから後を、俺の死んだ後の妻と娘の事を。どうか、お願いします。」

 頭を下げる猟師に、香絵は「心配いりません。」と優しく声を掛け、道長を見上げた。

「ふ、ん。天罰ならば仕方ないな。神を斬る訳にもいかぬしっ。」


 道長にはすでに、香絵の考えていることなど解かっている。

 香絵に傷を負わせたのは許し難いが、少年を斬ってしまった事は、道長の心にも苦いものが残っていた。

 ここで猟師を斬って、また香絵に拗ねられても困るし・・・。香絵が言い出したら引かない頑固者なことは、このふた月弱で十分承知している。また七日も部屋に籠もられてはかなわない。いや、今度は十日?二十日?ひと月も籠もられたらこちらの精神がとてもではないがもちそうにない。

「その猟師は、咎め無し。」

 公にこんな判決を知られては、懲罰の甘さに批判を受けるだろうが、この場にはこの五人だけで、他者がこれを知ることはない。せっかくの香絵の温情を無にするわけにもいかないし、一生に一度くらいはこんなことも良いだろう。と道長は心の中で言い訳する。


 香絵は道長の言葉を聞くと、嬉しそうに微笑んだ。

 猟師は信じられないという顔をした。

『きっとこのお方は、本物の天使様だ。そうに違いねえ。』「あなた様は・・・?」

 確認の欲しい猟師は訊ねたが、香絵には答えられない。

 まさか『実は天使でしたー。』なんて答えを求められているとは知る由もないが、猟師の求める正解だけでなく、香絵はひとつも答えを持っていない。

 自分を何者と言えばいいのか、答えに困っている香絵に代わって、政次が答える。

「この方は道長様の奥方様。つまりこの国の王妃様です。」

『『え?』』

 猟師はそれを聞いて再びひれ伏した。

「王妃様・・・。王妃様・・・。そんなお偉い人を俺は・・・。」


『・・・なんだか今、複数の口から不穏な言葉が聞こえた気がしたけれど・・・。いえ、聞き違い?そう、きっと聞き違い!今はそれどころではありませんし。ええ、そう、ぜんぜんそれどころではありませんからっ。』

 香絵は頭を振って、その言葉を一旦頭の隅に押しやった。

 そして猟師に向かって訊ねた。

「娘さんのご病気はもうよろしいのですか?」

「は?」


 いきなり話題が変わって、猟師は何の事を訊かれたのか、すぐには分からなかった。が、苦し気な娘の顔が頭に浮かぶ。今日も娘に何か滋養のつく物を買ってやりたくて、その金を作るため猟に出た。

 まさかこんなことになるとは思わなかったが。


「あ、いえ。兄の死のショックか、熱が下がらず・・・。」

 香絵は立ち上がり、衣に附いた草を払った。

「お見舞いをさせてください。道案内してもらえますか?」

「はあ・・・。」

 力なく返事をした猟師は、はっと思い直し、「そんな。あんな狭くて汚ねえ所、とんでもねえ。」と両手を振った。

「お願い。息子さんへのお焼香もさせてください。」

 『天使様』に両手を合わせて懇願されては致し方ない。猟師は渋々「そんなに言われるなら。」と立ち上がる。


 政次が三頭の馬を迎えに行った。馬は銃声に逃げ出すこともなく、近くで草をんでいた。

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