第17話

 その頃、腹心二人の信頼に応えるべく、道長は苦労していた。

「道長様♡」

 香絵は道長の腕から胸へと移り、すりすりしている。

 道長は押し倒してしまいたい衝動を理性で必死に止めていた。


「香絵は本当に道長様が大好きです。」

 すりすりしながら言ったかと思ったら、急に涙を流し始める。「ぐすっ」

「香絵?」

「香絵は道長様が頼りです。あの山で道長様に拾ってもらわなかったら、今頃どうなっていたか・・・・・・。」

 うつむいたまま顔は見えないが、胸の衣が濡れて冷たい。

「その後だって、過去の思い出が何一つなくて、自分が何者かも分からなくて。毎日が不安で。昼は忙しさに気が紛れても、夜になると闇がわたしを包んで消してしまうんじゃないかって、怖くて、淋しくて。」

 道長は香絵の突然の涙に戸惑いながらも、肩をしっかりと抱き寄せ、黙って聞いた。

「忠勝様の家にいた頃、毎夜道長様が来てくれることが、香絵にはどんなに救いだったか。一人で床に就いたら、きっと朝まで泣き続けて、眠ることなんて出来なかった・・・。」

 香絵が道長の胸をぎゅっと抱いた。

「道長様が、寝るまで一緒にいてくれたから、嬉しかった。」


 香絵が心細く、不安を抱きながら毎日を過ごしているだろうとは思っていた。

 だが最近は一日のほとんどを一緒に過ごしている。香絵が側にいることに安心して、つい香絵の不安な心を忘れかけていた。

 香絵が心を押し隠し、気丈に明るく振る舞っていたのだと思うと、一層愛しく感じた。


「ここへ来てから、しばらく道長様に逢わなかった日々は、本当はわたしの方が淋しくて、眠れなくて。だから一所懸命道長様のお側にいられるように考えたんです。・・・・・・道長様?」

「ん?」

「道長様の親切には本当に感謝しています。」

「違うよ、香絵。」

 黙って聞いていた道長が口を開く。

「香絵。私がしているのは親切からではない。愛情だ。心から愛しいと思っている。」

「知っています。」

「え?」


 告白からの自然な流れなら、床入りに持ち込むのもありかと考えた道長だが、予想外の答えに虚を突かれた。

 香絵のこれまでの態度から、てっきり道長の気持ちに気付いていないのだと思っていた。しかし、知っていたのなら話が早い。このまま抱いてしまおう。

 と思った矢先・・・。


「情ですよね?保護した責任で世話していたら、情が移っちゃったのでしょ?仕事の話で毎夜義父様の屋敷に来て、ついでに様子を見ているうちに父親のような気持ちになってしまったのですよね?義父様が教えてくれました。」


 はあ?そんなわけないだろう。何を余計な入れ知恵してくれているのだ。毎夜怯える香絵との添い寝を、道長に譲らなければならなかった腹癒はらいせか?

『忠勝~~~っ。』

 それは誤解だ、男女の愛情だ、と主張しようとした。が、道長が心の中で忠勝を責めているわずかの間に、香絵は眠りに落ちてしまったようだ。道長の胸の中で静かに寝息を立てている。

 香絵が相手だと、どうも思ったように事が進まない。


 道長は香絵の顔をそっと上向きにして、頬の涙を拭いてやった。

「かわいそうに。」

 香絵の頬に自分の頬を寄せる。

「時々一緒に酒を飲もう。今夜のように胸に溜まったものを吐き出してしまえばいい。私がいくらでも聞いてあげるから。」

 動かすのもかわいそうだし、このままここに寝かせておこうかと思ったが、止めた。

 朝まで理性を持続させる自信がなかった。

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