酒宴

第16話

 道長は寛いだ衣に、香絵は男装を解いて姫らしい華やかな衣に着替えている。

 政次と兼良はこれも仕事の一つと思ってか、着替えもせずそのままの姿。しかし、仕事をしているのは衣だけ。二人はすでに出来上がり、顔を朱くして噂話に花を咲かせていた。

 道長は二人より飲んだ量は多いと思われるのだが、いつもと変わらない冷静な顔をして、話の聞き役をしている。


 ここは道長の私室の一部屋。南側が堀に面していて、窓を開ければ香絵の寝室の灯かりが見えるのだが、まだまだ夜風は冷たく、今はぴったりと閉じられている。


 ふと、兼良が香絵に聞いた。

「香絵様はお飲みにならないのですか?」

 香絵はずっと道長の横でお酌をしていて、膳の猪口ちょこは伏せたままだ。

「私に酌をさせてください。さ。」

 兼良は酔っているせいか、差し出した徳利を引きそうにない。香絵は道長を向く。

 道長は笑み、『受けるがよい。』とかるく頷いてみせた。救いを求めたつもりだったのだが、道長がそれに気付かないのは、道長も酒に酔っているのだろう。


 香絵は酒を飲まないほうがいいような気がしていた。過去の記憶のない香絵には、それが何故なのかは分からない。

 だがとにかく、この場は兼良の申し出を受けなければならないようだ。仕方なく猪口を自分の膳から取り上げた。

「じゃあ、少しだけ。」

 兼良は満面の笑顔で香絵に酌をした。にこにこ、にこにこ。猪口が溢れそうなほど。

「あ。もう、これくらいで・・・。」

 猪口を少し上げ、兼良の徳利から酒が注がれるのを止める。

「頂きます。」

 と男たち三人に礼をして、一口飲んだ。

 兼良はこれで気が済んだらしく、にこにこと自分の席へ戻って、政次との話を再会した。


 少しの間、また二人はたわいのない会話で笑ったり、怒ったり、悩んだり。道長も、一緒に笑ったり、時には会話に参加したりして、それを聞いていた。

 すると、香絵が道長の腕にもたれかかってきた。

 道長は香絵が眠くなったのかと、顔をのぞいてみると・・・。

「香絵。そなた・・・。」

 道長が絶句する。

 香絵の顔は真っ赤で、前には徳利が五本も転がっている。

「これ、全部飲んだのか?」

 道長の言葉に、政次と兼良の二人が徳利の側まで来て、手に取った。

 政次は両手に一本ずつ徳利の首を持ち、振ってみる。水の音はしない。

 兼良は徳利を逆さにひっくり返している。それを覗き込みながら、

「あらら。全部空ですねぇ。」


 この国の酒は強い。少量を舐めるように嗜むのが常識。道長、政次、兼良の三人合わせても、これまでまだ徳利四本ちょっと。なのに、道長はともかく、供の二人はかなり酔っている。

 それを一人で、短時間に五本。

「んふ♡道長様♡」

 香絵が道長の腕にまって、頬をすりすりしている。

「道長さーま♡大、好き、です♡」

 目はとろんとして焦点が合ってない。

『これはかなり危ないぞ。』

 香絵が酔ったのを見るのはこれが初めて。これから何をしはじめるのか判断出来ない道長は、取り敢えずこの場はお開きにすることにした。

「今夜はここまでだ。」

「はっ。では失礼します。」

 空気を読んだ政次と兼良はすぐに部屋を出た。



 兼良は廊下を歩きながら、頭を掻く。

「まずいなー。私が酒を勧めたのが悪かったかなぁ。」

「うーん。あの様子ではかなり回ってましたね。五本も空けてましたからね。」

「でもさぁ、えへへ、香絵様は艶っぽかったなぁ。」

「ええ。酒に酔うと見るに耐えない女もいますが、香絵様は酔わせても最高ですね。」

「いいなぁ、道長様は。私にも香絵様のような最高の嫁さんが見つからないかなぁ。」

「そうですね。でも香絵様を見てると理想が高くなりますから、条件厳しいんじゃないですか?」

「気楽に言ってくれるよ。いいよなー。政次にはもう美しい奥方がいるからなー。」

「はい。香絵様ほどではありませんが、あれはあれで美しい。良い女です。」

「なあ。奥方と香絵様を比べてしまったりはしない?政次の奥方も美しくて頭の良いお方だけど、香絵様はその上をゆくよね?」

「兼良、夫の前で失礼ですね、君。」

「ごめん。」

 兼良が頭を下げる。

「ははは。確かに香絵様に比べれば私の奥など足元にも及びません。ですが、香絵様は何人なにびとよりも上をゆきすぎるのです。」

「上をゆきすぎる?」

「そう。何事も非の打ち所がない。今日の執務室のあれもそうですが、何事にも優れすぎていて、うーん、そうですね。まるで天女様の様です。私などには天の上の人ですよ。道長様と同じです。」

「そうかぁ。天女様かぁ。確かにそうだなー。高い所にいて手が届くのは道長様くらいだ。」

 憧れは憧れ。自分にはつり合った相手がどこかにいるのだろう。兼良はそう納得する。

『早く出逢いたいものだ。』


「ところで、これからどうするだろう。道長様は。」

「ん?」

 見ると兼良の顔はいやらしくにたにたと笑っている。政次にも兼良の考えはすぐに分かった。

「ばーか。道長様はそんな男ではありませんよ。」

「いーや、分からんぞ。あの艶っぽーい香絵様を見れば。酒も召し上がっていることだし、そのままお床入りってことも・・・。」

「道長様は酒に流されるような方ではないでしょう。」

 政次はきっぱりと言った。

「そうか?・・・ああー・・・そうだな。うん、そういう方だ。」

 二人は「そうそう。だが、優しすぎるのも見ててじれったいな。」などと話しながら、泊まりの多い臣下のために設けられている、屋敷内のそれぞれの私室へと向かった。

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