非凡の才

第11話

 ここ七日間、道長の機嫌はまるで底のない沼に沈んでいくように、どんどん落ち込んでいた。

 香絵のせいだ。



『私が人を斬るのを見るのは嫌か?』

『ではその肌を私以外の男に見せるな。』

『いつでも部屋に御簾みすを下ろし、男達に姿を見せるな。』

 香絵が得たばかりの両親を亡くしたあの日、道長は鏡山かがみやまの温泉から香絵を連れて屋敷に帰った。香絵は道長の言い付けどおり、部屋に御簾を下ろし、篭もっている。もちろん男は、香絵のいる奥の間には一切出入り禁止。


 それはいいのだ。道長自身がそうしろと言ったのだから。

 ところが香絵は、道長まで締め出してしまった。

 七日間道長は香絵の姿を見ていない。それどころか、必要な事だけを側仕えの姫に伝言して、襖越しに声さえ聞かせてくれないのだ。

 初めのうちは忠勝邸の事件に衝撃を受け、沈んでいるのだろうと思っていた。だが、そうではないらしい。

 泉での出来事を怒っているのだろう。道長は絶賛後悔中だ。これほど、人を斬って後悔したことは嘗てない。


 そう。森の温泉には香絵を慰めるために行った。忠勝の邸で、家人が殺される現場は直接見ていないとはいえ、香絵がかなりの恐怖を味わったのは間違いない。道長が賊を切り捨てたのは、すぐ目の前で見ている。

 そんな心の傷を少しでも癒せればと思ったのに、なのに、再び人が斬られる瞬間を見せてしまった。しかも、相手は子どもだ。

『ああ、最悪だ。だから、香絵は籠っているのだ。出てこないのだ。怒っているのだ。会ってくれないのだ。・・・・・・ああ・・・最悪だ。』

 道長は落ち込んでいる。沼の底は過去最深を更新中だ。

 だが、落ち込んでばかりはいられない。そうだ。やるべき事がある。


「政次。忠勝の邸を襲った賊の調べは進んでいるのか?」

「いえ、それが・・・。金目の物には一切手を付けておらず、かといって忠勝殿ほどの温厚な人物を恨む者も見当たらず・・・。何故押し入ったのか、理由さえ皆目検討が付きません。」

 忠勝は本当に真っ直ぐな善人だった。子煩悩が過剰で偶に周りを巻き込むことはあったが、それもご愛嬌と受け止められるくらい、普段は思いやりのある人物だ。経理という仕事上金銭には厳しく、真面目過ぎて疎まれることはあったかもしれないが、あれ程の、家中の使用人まで全員殺されるほどの、恨みを買うとは思えない。

「何か手懸かりは無いのか?」

 道長が苛立った声を上げる。


 大切な臣下とその家族を殺した。彼等は深い悲しみを越え、やっと生きる希望を取り戻したところだったのに。その上、香絵に恐怖を与え、悲しませた。更には、何日も香絵に逢えないというこの現状を作り出した張本人である。

 許せない。早く犯人を見付け出したい。もう死なせて欲しいと思うほどの罰を与えてやる。と、道長は両の手をわきわきと動かす。


「手掛かりといえるものは何も。足跡さえ残しておりません。道長様がお斬りになった者の遺体まで持ち去っています。ただ・・・。」

 道長の眉がぴくりと動く。

「これは探索方には言ってないのですが、私はあの場で賊の遺体の一つを検分しました。」

 政次はそこで自分の考えを確認する。自分なりに手を尽くして香絵の調査をしてきた。しかし一向に成果は無い。然して広くはない遠賀このくにで、政次が手を尽くしても調べが進まない理由。その答えはここに繋がるのだろう。

 小さく息を吸い、告げる。

「異国の者かと思われます。」

「異国・・・。」

 道長は右手を口に持っていき、少し考えていた。ずっと頭の隅でくすぶっていた考えが形を取り始める。認めたくはない。認めたくはないが、思考の糸はそこへ繋がろうと伸びてゆく。

 できれば、盗賊のたぐいであって欲しかった。目当てが金品であったなら、道長の不安も少しは軽くなる。

 のだが、しかし・・・。

「狙いは香絵、か。」

 道長の下した結論に、政次も肯く。


 あの日も、もしかしたら、と思った。いや、もっと確信に近かったかも知れない。

 だから、忠勝の娘はあの時両親と共に犠牲になったことにして、香絵は別人として道長の屋敷に入れた。忠勝邸を血の海にした残虐な賊、得体の知れない敵が、香絵はもういないのだと思ってくれればと考えたからだ。

 だが、次の手も打っておかねばなるまい。早急に。

「香絵の母国を探さねばならないな。得丸を呼べ。」

 これまでは香絵の母国のことなど考えていなかった。今傍にいるのなら、香絵の過去などどうでもよかった。むしろ、ずっと分からなければいいとさえ思っていた。

 しかし、香絵が狙われているのかも知れない、となればそうはいかない。その理由を見付けねばならない。

 香絵を護るために。

 得丸は異国の情報を集めてくる仕事をしている。

 政次はすぐに執務室の扉を開け、次室に控えている通信役の幸久に得丸を連れてくるように言った。


「政次、もう一つ。香絵の部屋に置く姫を増やす。条件は―――。」

 道長の指示を聞き終えると、政次は「はっ。」と畏まり、部屋を出た。

 幸久の姿はすでにない。得丸は片時も一か所に留まっていない男である。それは外国そとの仕事の切れ間に、この国に帰っている時も変わらない。今日はこの屋敷に出仕している筈だが、幸久が得丸を見付けるのには時間が掛かるだろう。

 ならば仕方ない。

 政次は自分で手配を指示することにした。


 事務方の役人達が詰めている部屋へ行き、一人の男に声をかける。名を晴市はるいちという。人事担当の役人だ。政次とは同期で人柄はよく知っている。口の固さは信頼できる。

 政次は晴市に、道長からの指示を細かく伝えた。

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